2020年の春、酒蔵の施設を改装した宿泊施設に泊まりながら酒造りを体験できる、日本初の「酒蔵ホテル」が長野県佐久市に誕生します。
手がけたのは、地方に眠っている資源を生かして観光客を呼び込もうと考えた、ひとりの女性が代表を務めるベンチャー企業。酒蔵と協力しながら、準備を進めています。
この「酒蔵ホテル」では、どのような体験ができるのでしょうか。株式会社KURABITO STAYの代表・田澤麻里香さんにお話をうかがうとともに、蔵で行われたプロモーション動画の撮影に立会いました。
「地元のためになる仕事がしたい」
今回のプロジェクトのきっかけは、戦略的に観光地域づくりを推進するDMO(観光地経営組織)と呼ばれる「一般社団法人 こもろ観光局」が、長野県小諸市に設立されたことでした。この活動に、田澤さんが携わったところから始まります。
小諸市出身の田澤さん。大学卒業後は大手旅行会社に入社しました。ヨーロッパを中心に添乗員も経験し、ヨーロッパの小さな街の地域住民が主体的に行う観光振興を目の当たりにしたといいます。当時は、「日本の地方でも、このような手法が通用するのでは」と思いを馳せていたのだそう。
その後、結婚、出産を経て仕事に復帰します。「生まれ育った小諸のためになる仕事がしたい」と考えていたところ、偶然にも小諸市が「こもろ観光局」の設立に向けて、旅行業界に精通する人材を募集していることを知りました。すぐに応募し、採用された田澤さんは、2016年7月から息子を連れて小諸に単身赴任することを決めます。
それから1年間ほど活動するなかで、田澤さんは佐久エリア(小諸市、佐久市、佐久穂町)に13件の日本酒蔵があることを知ります。
さらに、その若手後継者たちが共同でお酒を造るプロジェクト「SAKU13(サク・サーティーン)」など、佐久の魅力を発信しているのを見て、「自分が培ってきた観光振興分野の経験で、なにか一緒にできることががあるかもしれない」と考えたのだそうです。
酒蔵を中心に、地域の飲食店や特産品のメーカーなども巻き込んで地域全体をブランディングすることで、「県外や海外からの観光客を呼び込めるし、滞在してもらうこともできるのでは」と、構想を膨らませました。
古民家を「酒蔵ホテル」に改装
2017年3月、「こもろ観光局」の仕事をしているなかで、地域の魅力ある場所を巡るバスツアーを企画して欲しいという依頼が田澤さんのもとに届きます。その立ち寄り地として受け入れを快諾してくれたのが、佐久市にある創業300年の酒蔵・橘倉酒造の専務、井出平さんです。
これをきっかけとして、橘倉酒造の営業の仕事を手伝うことになった田澤さん。蔵に足しげく通うようになると、ふと、蔵の一角に古くて使われないまま放置されている2階建ての建物を見つけました。
話を聞くと、この建物は大正10年(1921年)に建てられた築100年ほどの古民家で、造りの期間に蔵人が寝泊りするため、2000年ごろまで使われていたそうです。
田澤さんは「この古民家を改装して宿泊施設にしたらどうでしょう。さらに、酒造りにも参加してもらうことで、とても魅力的な体験ができるはず。現役の酒蔵の敷地内に泊まって酒造り体験ができれば、日本で初めての取り組みになりますよ!」と、井出さんに提案します。2018年5月のことでした。
しかし、「面白いけど、改装に相当なお金がかかる」という理由で、実現は難しそうでした。
そんなとき、起業を目指す人たちが事業計画を発表するビジネスコンテスト「みんなの夢AWARD in 小諸」が、同年9月に小諸市で開かれると聞いた田澤さんは、酒蔵をホテルにして酒造り体験もできる一連の計画で出場し、見事グランプリに。さらに、2019年2月に開かれた全国大会でもグランプリを受賞しました。
その結果を聞いた地元の銀行から、融資への前向きな返事をもらいます。さらに、古民家を観光資源などに活用する新規性の高いプロジェクトに資金支援をする総務省の制度があることがわかりました。
こうして、蔵人体験を提供する「酒蔵ホテル」の開業と、それを運営するまちづくり会社「KURABITO STAY」の設立へ踏み出したのです。
現在、建物は橘倉酒造から譲り受け、宿泊代と朝食代を料金に含む、「ベッド・アンド・ブレックファスト(B&B)」スタイルの宿泊施設に改装中です。
洗米や麹造りなど、酒造りの作業を体験
「KURABITO STAY」の一番の売りは、なんといっても「酒造り体験」。
そのため、田澤さんは「ほかの蔵でもやっている櫂入れや瓶詰めだけではなく、蔵人の真剣で張り詰めた雰囲気のなかに宿泊者も加わり、麹造りなど酒造りの根幹となる工程を体験できるようにしたい」と、井出さんに持ちかけました。
すると、井出さんは「宿泊者が蔵の売店でお酒を購入してくれるなど、さまざまなメリットもあるので、基本的には協力したい」との考えから、条件付きで受け入れることにしました。以前、軽井沢のホテルと共同醸造した際に、一般の人を蔵に入れても酒質に影響は出なかった経験も、この提案を受け入れても大丈夫と考えた理由です。
宿泊者の受け入れに対して橘倉酒造が提示した条件は、大吟醸酒を造っている時期は受け入れないこと。さらに、造りに影響を与える食べ物を避けることや、香水禁止、爪の手入れ、徹底的な手洗い、手ぬぐいやキャップ、白衣の着用などです。
こうして、大吟醸酒の造りの時期(12月下旬から2月上旬)を除いた酒造りの期間は、洗米作業や蒸米を運んで冷ます作業をはじめ、麹室での作業も体験できることになりました。
橘倉酒造では、日本酒のほかに甘酒なども造っているため、造り期間以外でも甘酒の麹造りや、酒米の田植え、稲刈りなども体験してもらうなど、季節ごとのコンテンツも提供する予定です。
地域の活性化を目指して
「KURABITO STAY」の宿泊プランは、酒造りの時期の2泊3日(金曜日から日曜日)のパッケージで、朝食2回、夕食1回がついて59,000円(税別)。酒造りの時期以外は、39,000円(税別)です。
料金に含まれる夕食は、蔵の近くにある和食店と契約し橘倉酒造のお酒に合う料理を楽しめます。そのほかの食事は、蔵周辺の飲食店を利用してもらうことになります。
この仕組みは「『KURABITO STAY』がお客さんを囲い込むのではなく、周囲のお店にも足を運んでもらうことで、少しでも地域の活性化に貢献したい」という田澤さんの思いからだそう。
10月には蔵周辺の飲食店に向けて説明会を開き、英語メニューを常備するなど、外国人観光客を受け入れるための準備をリクエスト。協力してくれる店舗は「KURABITO FRIENDLY」と称して、宿泊者へおすすめの店として紹介する予定です。
さらに、外国人観光客に人気が高い、お寺での茶道体験や着付け、座禅、書道、寿司握りなど、さまざまな体験を地域と連携して用意し、酒蔵だけでなく地域全体を盛り上げる計画です。
2019年11月上旬に開かれたプロモーション動画撮影に参加した8人のボランティアは、ほとんどが外国の方でした。
初日は洗米と限定吸水の作業を、翌日は甑へ米を入れ、蒸米を運んで放冷する作業や出麹などを体験していました。作業の合間には、杜氏や蔵元に向けてさまざまな質問が飛び交う場面も。
参加者のひとりは、「これまで経験した酒蔵訪問ツアーよりも、ずっと思い出深い体験ができました。両親や知人にも教えてあげたい」と話していました。
宿泊施設の定員は8名。日本文化に関心を持つ、20代から40代の首都圏に住む外国人や外国人観光客が主なターゲットです。アジア諸国からの旅行者に向けて、積極的に宣伝をしていく予定とのこと。
開業は2020年の3月を予定しています。日本初となる新しい試みですから、宿泊者の満足度が成功につながる鍵となるでしょう。今後の展開が楽しみですね。
(取材・文/空太郎)