日本一長い川・信濃川下流の越後平野は、上流から流れてきた肥沃な土壌のおかげで米作りが盛んな地域です。しかし、明治・大正時代までは、水はけが悪い土地でした。
新潟は「新しい潟」と書くように、河川の水位よりも低い土地が広がる氾濫が起きやすい地域で、農作業の際には腰まで水に浸かりながら米作りを行っていました。しかも、苦労して収穫した米の質は悪く、「とりまたぎ米(鳥さえもまたいで食べずに通る米)」と揶揄されていたほどです。
そんな越後平野が日本有数の米どころとして生まれ変わったのは、1922年(大正11年)に完成した「大河津分水路(おおこうずぶんすいろ)」がきっかけでした。大河津分水は、越後平野の中央部で分岐する人力で掘られた分水路で、信濃川下流に流れる水量を調整する役割があります。このおかげで越後平野の排水性は向上し、信濃川沿いの耕地は美しい水田へと生まれ変わりました。
この記事では、そんな大河津分水路のある新潟県燕市で始まった、町と人を日本酒で結ぶ「つばめ日本酒プロジェクト」とオリジナル日本酒「haretoke(ハレトケ)」についてご紹介します。
「大河津分水路 通水100周年」に向けて地元のためにできること
大河津分水路がある新潟県燕市は、金属加工で全国的に有名な町です。
燕のものづくりの歴史は古く、江戸時代に農家が副業として始めた和釘づくりがそのルーツ。それから現代に至るまで時代の変遷に合わせながら、常に人々から必要とされるモノを作り続けてきました。
現在の主力商品は金属洋食器で、その生産量は日本一。キッチン用品やカトラリーを手掛ける会社も数多く、飲食店さんと関わり合いが深い町です。
長引くコロナ禍で苦戦する飲食店を元気にしたいと立ち上がったのが、燕市を食を通じて盛り上げる団体「TSUBAME×ACTIONS(ツバメクロスアクションズ)」のメンバーたちです。
プロジェクトリーダーを務める新潟地酒の専門店「タカバタケCYAYA」の店長・高畑篤志さんは、プロジェクトの立ち上げについて次のように話します。
「燕市には約500の飲食店がありますが、どこも昨年対比で売上が大幅にダウンしました。業績の悪化が原因で、廃業や休業する店舗も増え、今後もこのような状況が続くと、さらに廃業する店舗も増えることが予想されます。そうすると、農家をはじめ、八百屋、肉屋、米屋といった納入業者までも、ともに追い込まれていくんですね。
酒屋をやっていると、大きな居酒屋から小さなスナックまで、様々な業態の店舗に配達に行きます。そこで飲食店のみなさんから、『希望が持てない』『いつまで続くんだろう』『どうしたらいいか分からない』といった悲痛な叫びを聞いて、なんとか応援したいと思うようになりました」
燕市で米ときゅうりを育てる鎌倉時代から続く農家の27代目、「一笑百姓ひうら農場」代表の樋浦幸彦さんも、プロジェクトメンバーのひとり。
「来年2022年は、大河津分水路が通水してから100周年を迎える年です。この記念すべき年に向けて燕の町全体が賑わうようなことをやりたいと考えていましたが、せっかくなら地元飲食店の一助となるようなものにしたいと思ったんです」
高畑さんと樋浦さんが中心となり、「つばめ日本酒プロジェクト」が本格的に始動。かつて、米がとれない最低の土地と言われたこの地で、諦めずに苦難を乗り越えてきた“燕の心意気”を表現した日本酒を造り、燕の飲食店を応援しようという企画です。
初めての酒米づくりに挑戦
越後平野の稲作地帯にある燕市ですが、数十年前に最後の酒蔵が廃業してしまい、現在は日本酒を造る酒蔵がありません。そこで、燕市に隣接する弥彦村にある、天保九年(1838年)創業の弥彦酒造に酒造りを依頼しました。
眼下に日本海と越後平野を一望する越後の名峰・弥彦山の麓で酒造りを行う弥彦酒造は、弥彦山の伏流水を使って雪の降り積もる厳寒期のみ酒造りを行う歴史ある酒蔵です。杜氏の大井源一郎さんは、今回の日本酒プロジェクトを引き受けた理由を、「高畑さんと樋浦さんと熱い想いに感銘を受けたから」と話します。
酒米は、新潟県の気候風土に適した新潟生まれの「五百万石」。農業歴21年の樋浦さんが、酒米づくりに初めて挑戦しました。
「酒米を育てるのは初めての経験だったので、まずは『良い酒米とは?』について調べました。良い酒米とは『大粒』で『低タンパク』で『心白がある』こと。大粒で低タンパクというのは、一般の飯米と同じ良い米の条件ですが、米の中心に隙間ができる心白は、飯米では良しとはされません。これが飯米と酒米の大きな違いです」
心白のある酒米を育てるために、樋浦さんは様々な工夫を重ねます。心白は、登熟期の気温が高いほど発現しやすいことから、酒米を育てる水田に昼夜の寒暖差が大きい場所を選びました。また、穂の出始めに肥料を調整したり、寒暖差を保つために水の管理を徹底したりと、初めての酒米づくりは挑戦の連続だったようです。
「収穫量が少なければ、精米所の最低ロットに足りず精米がままなりませんし、逆に多すぎても米の品質が下がって、良い酒にはなりません。農業は常に一発勝負だなと思いました」
こうして気を張りながら育てられた五百万石は、2021年8月末に収穫を迎えました。樋浦さんの水田では、他の飯米よりも早い今年最初の稲刈りです。ここまで早い早生品種の稲刈りも初めての経験だったようで、「近隣で酒米を育てている農家や農協ともに相談して進めました。天気を見ながらの稲刈りは、一か八かの判断ですね」と、樋浦さん。
「私の家の茶の間には『農研努力』という先祖が残した家訓が飾られています。初めての酒米づくりで課題も多く残りましたが、次世代に繋げていきたいことが増え、この機会に感謝したい気持ちです。来年に向けて冬の間にさらに探求を重ねたいと思います」
すべての働く人たちに、晩酌で楽しんでもらいたい
樋浦さんが育てた酒米は弥彦酒造へと運ばれ、ただいま酒造りの真っ最中です。完成予定のオリジナル日本酒には、「haretoke(ハレトケ)」という名前がつけられました。
コンセプトは「働くすべての人が晩酌で楽しむ酒」で、五百万石を精米歩合60%まで磨き、米の旨味が感じられるスッキリしたのどごしの純米吟醸酒。ラベルには、働く人々の顔と夕日、河の水面が描かれています。
「ハレの日(おめでたい日)も、ケの日(いつもの日)も、ケカレの日(元気が枯れた日)も、燕というものづくりの町で働くみなさんに、晴れやかな気持ちで飲んで欲しいという思いで名付けました。燗でも冷でも常温でもおいしくて、家庭や飲食店で気軽に飲める『つばめのレギュラー酒』を目指しています」と、高畑さん。
酒屋を営みながら燕市に酒蔵がないため、自信を持って「地元の酒です!」と言えなかった高畑さんは、燕生まれの日本酒「haretoke(ハレトケ)」に大きな期待を寄せています。
高畑さんと樋浦さんが口を揃えて何度も言った言葉が、「燕は人情がいい」ということ。
「職人の町だからか、最初はとっつきにくかったりしても、一度信頼すると面倒見がよくて温かいんです」と樋浦さんが話せば、高畑さんは「この地で育ったものとして、燕の日本酒を造ることで地元へ恩返しがしたい」と続けます。
「haretoke(ハレトケ)」の完成予定は、2021年12月初旬。ただいま、蔵出しのしぼりたて生原酒を購入できるクラウドファンディングを実施中です。
日本酒で地元飲食店を応援することを目指したこのプロジェクトでは、燕市のブランド野菜の「もとまちきゅうり」を使ったおつまみ「昆布カッパ」とのセットや、燕市の金属加工会社が制作した錫でコーティングした金属製の酒器「まどろむ酒器」とのセットが、リターン品として用意されています。
米どころ・新潟の若手メンバーたちが立ち上げた、日本酒で町を元気にする「つばめ日本酒プロジェクト」。人と人を強く結びつける日本酒の持つ力が感じられたプロジェクトでした。
(取材・文:茜/編集:SAKETIMES)
◎プロジェクト概要
- プロジェクト名:「800年続く農家と130年続く酒屋婿の挑戦!地元飲食店を日本酒で応援したい!」