こんにちは!SAKETIMESライターの梅山紗季です。10月に入り、気候もぐっと秋めいてきましたね。

前回から、読書の秋にちなんで、私・SAKETIMESライター梅山紗季が、日本酒の登場する文学作品を作家ごとにご紹介しています。前回は、「吾輩は猫である」などで有名な夏目漱石の「お酒」にまつわる表現をご紹介しました
「月がきれいですね」と訳した作家の「お酒」の表現を読むー夏目漱石の作品と「酒」
今回第2弾で取り上げる作家は、森鴎外です。医師と作家の2つの顔を持ち、雑誌「スバル」を発行したことでも有名な森鴎外の作品の中から、この時代ならではのお酒の表現をご紹介したいと思います。

交わす「盃」のあたたかさ「阿部一族」

はじめにご紹介したいのが、1913年に発表された「阿部一族」。この作品は、実際に江戸時代に起きた事件を題材に創作された短編小説で、「興津弥五右衛門の遺書(おきつやごえもんのいしょ)」(1912年)に続く、森鴎外の2作目の歴史小説です。殉死への批判、というなかなか重いテーマが描かれたこの作品ですが、登場人物が作中で飲むお酒にはあたたかさが満ちています。

 

たとえば、殉死をしてしまう細川忠利が生きていた際に彼と、その机廻りの用を任され、忠利を快方していた内藤長十郎元続(ないとうちょうじゅうろうもとすけ)とお酒を飲む場面があります。鴎外はまず、この内藤長十郎元続について
「長十郎はまだ弱輩で、何1つ際立った功績もなかったが、忠利は終始目を掛けて側近く使っていた。

酒が好きで、別人なら無礼のお咎めもありそうな失錯をしたことがあるのに、忠利は『あれは長十郎がしたのではない、酒がしたのじゃ』と云って笑っていた」と、忠利に大変可愛がられていたことを書いています。「酒がした」と笑ってくれる懐の広い主君、現代にいたら大変ありがたい存在でしょう。

そしてこの酒好きの長十郎にも、殉死をしなくてはならない、つまり腹を切らなくてはいけないときがやってきます。彼は死が決まった後、自分の嫁と母、弟の左平次とともに、やはり酒を酌み交わします。
「4人は黙って杯を取り交わした。杯が一順した時母が云った。
- 長十郎や、お前の好きな酒じゃ。少し過してはどうじゃな
- ほんとにそうでござりまするな。
と云って、長十郎は微笑みを含んで、心地好げに杯を重ねた。暫くして長十郎が母に言った。
- 好い心持に酔いました。先日から彼此と心遣を致しましたせいか、いつもより酒が利いたようでござります。」

このとき、夫の死を覚悟した嫁の目は赤くなり、文中にある通り、みんな口数は少なくなっています。しかし、そんな家族の思いを察知してか、長十郎は心地よさそうに酒を飲み、「好い心地に酔った」と笑ってみせます。悲しい場面でも、家族のことを思いやって飲む長十郎と、それに寄り添ってお酒をともに飲む家族の、あたたかな心が感じ取れます。

学びのそばにある「お酒」―「安井夫人」

次にご紹介するのは、1914年に発表された「安井夫人」という作品です。

安井息軒(やすいそっけん)という江戸時代の漢学者の妻をモデルとして描かれたこの作品には、勤勉な青年が勉学に励む場面で、意外にもお酒が登場します。登場人物・仲平(ちゅうへい)は、病で右の目が潰れ、その外見を周囲の人々から馬鹿にされ、その屈辱と右目のない不便さに耐えながら勉学に励みます。そんな仲平が、親元を離れ蔵屋敷の長屋で自炊をしながら勉学に励む際のことが、こう描かれています。

「倹約のために大豆を塩と醤油とで煮ておいて、それを飯の菜にしたのを、蔵屋敷では仲平豆(ちゅうへいまめ)と名づけた。同じ長屋に住むものが、あれでは体が続くまいと気遣って、酒を飲むことを勧めると、仲平は素直に聴きいれて、毎日一合ずつ酒を買った。そして晩になると、その一合入の徳利を紙撚(こより)で縛って、行燈(あんどん)の火の上に吊るして置く。そして燈火に向って、篠崎の塾から借りて来た本を読んでいるうちに半夜人定ったころ、燈火で尻をあぶられた徳利の口から、蓬々(ほうほう)として蒸気が立ち(のぼ)って来る。仲平は巻を()いて、徳利の酒を旨そうに飲んで寝るのであった。

彼は勉強のご褒美として、徳利の中のお酒を飲んで寝ているのです。現代のように明るいなかで勉強にも励めなかった時代、片目で懸命に書物を読む仲平の、息抜きが毎日一合ずつ買う酒であることがなんとも微笑ましく感じられます。塩と醤油で煮た仲平豆のおいしそうなのもさることながら、一合ずつ買っては行燈の上であたたまったお酒が、部屋中をいい香りで満たす様子が、この描写からは感じ取れます。「安井夫人」の冒頭に登場するこの場面、勤勉な若者の学びを日本酒が支えている姿が、情感豊かに描かれています。

以上、今回は「阿部一族」と「安井夫人」、森鴎外の2つの作品に登場する「お酒」をご紹介して参りました。森鴎外というと、「舞姫」や「雁」などが有名ですが、歴史小説も独特の視点で描かれており、大切な一場面や、人物を支える役割を果たす日本酒の描写も、森鴎外という人の感性が出ていたように思います。今回の2作品は比較的短い作品なので、ぜひ、読書の秋に読む1冊に加えてみてください!

<参考文献>
・作家用語索引 森鴎外 第4巻 1985年 教育社

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