スパークリング清酒の「澪」やパック酒の「天」といった松竹梅ブランドでおなじみの、京都に本社を置く宝酒造が新商品を発売しました。その名は松竹梅「香り酵母877(ハチ ナナ ナナ)」。自社で開発したオリジナル酵母の名前を冠した新しいお酒は、普通酒でありながらバナナを思わせるフルーティーな香りが特徴です。
特徴的な名前の「香り酵母877」とはいったいどのような商品なのでしょうか。そして、オリジナル酵母の開発はどのようにして進められたのでしょうか。
酵母の研究開発と新商品のブランディングに関わった、商品第二部 副部長の橋本倫徳さんにお話をうかがいました。
若い世代に向けたフルーティーな普通酒
「香り酵母877」は、日本酒らしいふくよかな旨味を感じつつも、フルーティーで華やかな香りが印象的なお酒です。
宝酒造の看板商品である「松竹梅」がどっしりと安定感のあるベテラン俳優だとしたら、こちらは新進気鋭の若手俳優のよう。味わいに感じる若々しいイメージに、「まさに狙いどおりです。それを表現するために、必要な酵母をゼロからつくりました」と橋本さんは話します。
「若い人にも、清酒をもっと気軽に、そして身近に楽しんでもらいたいとの考えから、この商品の企画が始まりました。『香り酵母877』と、酵母の名前そのものが商品名になっているように、自社で開発した華やかでフルーティーな香りを生み出す酵母を使った商品です」
ここ数年でヒットしたお酒のトレンドには「香り」の要素が大きく関わっています。
日本酒市場を見ても、特に若い世代にはフルーティーな香りを持つお酒が人気です。若い世代をターゲットに開発されただけあって、商品への反応は好評を博しているそう。
「とはいえ、香りだけを立たせようとすると日本酒らしさが失われてしまうので、あくまでも日本酒としてのフルーティーなおいしさを目指しました」
ちょい飲みにぴったりな「かおりカン」
「香り酵母877」の商品ラインナップは、1.8L/900mlの「かおりパック」、そして微発泡で250mlの小ぶりな缶「かおりカン」の3種類。
「日本酒ではよく見る紙パックに加えて、新規性があり、手にとってもらいやすい缶を導入しました。若い方や、お酒をあまり飲まない人にも気軽に飲んでもらいたいです。缶飲料の方がなじみがありますしね」と、橋本さん。
一般的な缶チューハイよりも100ml少ないサイズの商品導入も、若い世代に向けてのチャレンジです。
「負担なく飲みきれるお酒の量を自社で調査した結果、一般的な缶チューハイと同じ350mlでは量が多いことがわかったんです。そのため、『かおりカン』の容量は250mlとしました。普段の晩酌にちょうど良い量になっています。売り上げとしてはパックの方が多いのですが、『かおりカン』がそのお試しとしての役割を果たしています」
さらに、「かおりカン」は飲み口にも工夫がされています。橋本さんいわく、「缶から直接飲んでも香りをより感じやすいよう、一般的な缶より広めな飲み口にしています」とのこと。ぜひ実際に手にとってみて、飲み口をチェックしてみてください。
「かおりカン」のもうひとつの特徴は、炭酸が加えられた微発泡酒であることです。
「パック酒を製造したあとに酒質を調べると、炭酸との相性が良いことがわかったんです。缶で飲む場合は炭酸があったほうが香りが立ちますし、ユーザーも缶チューハイの体験があるぶんなじみやすい。うれしい偶然でしたね。
また、かおりカンは氷を入れてロックで飲むのもおすすめです。氷で少し薄まっても香りが高いため最後までおいしくいただけます」
日常に寄り添う日本酒を目指して
「香り酵母877」は特定名称酒ではなく、普通酒として販売されています。なぜでしょうか。
「普通酒として手に取りやすい価格で気軽に楽しんでもらうためです。ここで少し香りが生成される仕組みについてお話しますね、米の表層付近には、吟醸香のようにフルーティーな香りの生成を抑制する不飽和脂肪酸が含まれています。そのため、特定名称酒では米の表層をたくさん削って不飽和脂肪酸を減らすんです。
『香り酵母877』は、特定名称酒のような米を使用することなく、フルーティーな香りを生成するように設計した商品です」
日本酒だけではなく、多くの缶チューハイや自家製サワーにぴったりな甲類焼酎など、日々の食卓や晩酌の時間に華を添えるようなお酒を数多く生み出してきた宝酒造。日常に寄り添うお酒であることのマインドは「香り酵母877」にも活きています。
また、「香り酵母877」の名前の由来をたずねると、「実は語呂合わせなんです」と意外な返答。
「『877=バナナ』なんです。この酵母はバナナのような香りを出してくれるので(笑)」と、橋本さん。
「バナナのような香りといえば、酢酸イソアミルですね。『香り酵母877』は酢酸イソアミルを多く生成する酵母として開発しました。フルーティーな香りを持つ普通酒は他にもありますが、カプロン酸エチル由来のリンゴのような香りの商品が多いと思います。その点が、大きな違いですね」
「日本酒の主成分は水で、香気成分はppmオーダーでわずか(ppmは100万分の1)ですが、味わいに大きな影響を与えます。それを生み出す酵母は日本酒にとって重要です。これが日本酒の奥深さであり、酵母研究の面白いところですね」と、橋本さんは研究者の目線から話してくれました。
年単位で進める、新酵母の開発プロジェクト
新しい酵母を開発すると言っても、具体的にどういった工程で、どれくらいの期間を経て完成まで至るのでしょうか。
「この『香り酵母877』は、酵母ありきではなくターゲット設定が先で商品開発がスタートしました。酵母の開発は年単位のプロジェクト。長いものでは数年ほどかかることも珍しくありません。『香り酵母877』の場合は、およそ3年ほどでしょうか。酵母の研究から販売に至るまでの期間が3年で済んだので、かなりスムーズでしたね。
目的の香りは出せても発酵力が弱かったり、試験醸造は成功しても大量ロットの醸造に耐えきれなかったり......「これだ!」と自信を持てる酵母に出会うまで、膨大な数の培養試験を繰り返すのだそうです。
選択肢が多くあるなかで、どこに狙いを定めて開発を進めるのか。橋本さんは生き物としての酵母菌の代謝に着目しています。
「酢酸イソアミルはバナナのような香りをもたらしますが、酵母はバナナの香りを出したくて出しているわけではないんですよ。香気成分は酵母自身が生きていくため、生命維持(代謝)のためにつくりだす副産物に過ぎません。結局、人間ができるのは、酵母が生きやすい環境を整えてあげることくらいしかないんですよ」
無数にある仮説を長い時間をかけてひとつひとつ試し、細い糸をたぐり寄せるような作業。しかし、「時間がかかるからこそ、酵母の開発はおもしろい」と、橋本さんはワクワクした様子で語ってくれました。
「目標とするものにたどり着くのは大変ですが、そうして完成した酵母は世界にひとつだけのものなんですよね。新しい酵母がひとつできたら、新しいお酒の可能性がグンと広がります。『香り酵母877』という酵母が生まれたことで、たくさんの新商品がこれからできていくかもしれません。酵母の開発は、日本酒の新しい選択肢をつくる仕事だと思います」
さらに、「もっと時代のニーズにあった商品を打ち出していく必要がある」と、今後の展望について語る橋本さん。
「日本酒の味わいを若い人にももっと楽しんでほしいですね。手に取ってもらいやすい新しい選択肢をさらにつくっていきたいです」
日本酒の楽しみ方を広げる新酵母「香り酵母877」の誕生の裏には、日本酒の可能性を信じる研究者の、たゆまぬ努力がありました。
(取材・文/ヒラヤマヤスコ)
sponsored by 宝酒造株式会社