海の幸・山の幸に恵まれた山城の麓
岡山県中西部に位置する備中地域。日本一標高が高い山城「備中松山城」の麓、高梁市成羽町に白菊酒造はあります。創業は明治19年(1886年)、当時の川上郡成羽村で、渡辺廣太郎氏により創業されました。古くから瀬戸内海の海の幸、そして吉備高原の山の幸に恵まれた同地は、高瀬船の往来と物資の集積地として繁栄していたそうです。
恵まれた土地柄のおかげで、当時は同蔵を含めた3つの造り酒屋が存在していたのだとか。創業当時の銘柄は「白菊」。日本を代表する花にちなんでいます。昭和3年(1928年)、全国清酒品評会で優等賞を受賞したことを機に「大典白菊」と改めました。
米にこだわり"消えた酒米"を復活
昭和25年(1950年)、渡辺酒造本店に改組。昭和47年(1972年)の豪雨による洪水で、当時の明治蔵と恵比寿蔵が水没する被害に見舞われてしまいます。翌年、現在地に蔵を移転し、同時に企業合併も進め「成羽大関酒造」として新しいスタートを切りました。そして平成19年(2007年)に現在の「白菊酒造株式会社」に社名を変更し、現在に至っています。
蔵のこだわりは「米」。主に岡山県を代表する酒造好適米である「雄町」「山田錦」「五百万石」を使用していますが、「造酒錦(みきにしき)」と「白菊」を使用しているのは世界で同蔵だけだそうです。
55粒の種もみから蘇った「白菊」
酒造好適米「白菊」は、雄町の流れをくむ「菊水」と「巴神力」を掛け合わせて生まれ、昭和19年(1944年)ころに愛知県を中心に広く栽培されました。奨励品種として採用されるなど評価の高い米でしたが、戦後の混乱で栽培されなくなってしまいます。
銘柄名との関係性はもともとありませんでしたが、「銘柄と同じ名前の米で酒を造りたい」との思いから、苦心して「白菊」の種もみを取り寄せたそうです。その数、わずか55粒。それから10年をかけて、「白菊」を復活させることに成功しました。
今回の純米酒は、その「白菊」を65%まで磨いています。香りは、心地良い甘酸っぱい香り。雄町にも似た太い骨格を感じ、しっとりとした米の甘みと酸のバランスが絶妙。透明感があり、さばけも良いため、飲みやすいです。やわらかな甘口の酒ですが、酸が引き締めてくれるので後口は切れていきます。食中酒として飲むなら、濃いおつまみが合うでしょう。干物ならみりん干し、ボタンエビの刺身や煮穴子、蛸のやわらか煮、くさやにも合います。生酒ですが、燗にすると酸も甘みも引き立つので、よりホッと一息つける晩酌酒になるでしょう。