人気ブランド「天明」を醸す、福島県会津坂下町の曙酒造。究極の低温環境を整えて美酒造りに挑んでいる酒蔵です。不断の設備改善によって酒質のレベルを年々向上させてきました。その結果、売り上げは順調に伸び、生産量は過去5年で2倍に跳ね上がっています。
この成果を得ることができたキーパーソンは、同蔵の専務であり製造責任者の鈴木孝市さん。「酒質が向上するためなら、どんなにささいなことでもやる。しかし、それが酒質向上につながらなければ、躊躇せずにやめる」という考えを基本にして5年。これまで、どのような軌跡をたどってきたのでしょうか。
「酒は呑んで勉強するもの」という母の言葉
曙酒造は1997年に外部から杜氏を招くのをやめ、孝市さんの両親がみずから酒造りに挑み始めました。「天明」のブランドが誕生したのは1999年。首都圏の有力な地酒販売店が相次いで取り扱うなど、すべり出しは順調で、短期間で人気銘柄の一角に入りました。
ところが2005年、造りの中心だった母が病気になってしまいます。すると、東京で働いていた社会人2年目の孝市さんに、父から連絡が入りました。
「蔵を離れてからの6年間、経営は順調だと思っていました。ところが、父から連絡があった後に都内で『天明』を飲んだところ、素人の自分でもわかるくらいに劣化していたんです。心配になって、蔵へ戻りました」
酒造りを学ぶため、孝市さんは福島県の清酒アカデミーと酒類総合研究所の酒造研修を受けました。その一方で、母に酒造りを教えてもらおうとすると「酒は呑んで勉強するもの」と言われてしまいます。その日から、来る日も来る日も日本酒漬け。1年間で、およそ3,000種類もの酒を、メモを取りながら呑んだそうです。
呑んでみて美味しいと思ったものや、酒質に違和感を抱いたものがあったときは、蔵に足を運ぶこともありました。
「酒質に違和感がある蔵を見るのも勉強になりました。原因にはすぐ気付くのですが、同じことを自分の蔵でもやっていて、愕然としたこともありますね」
蔵の改革に乗り出したいという思いが、孝市さんのなかで次第に募っていきました。
"酒造りをする意味"を見つめ直したきっかけは、東日本大震災
そんな最中に、東日本大震災が起こります。
「生まれ育った土地で商売をして生きていくことが当たり前だと思っていたけれど、不可抗力によってそれが崩され、地元に戻れなくなってしまった先輩や同世代の蔵元を思ったときに『今のままではいけない。ここから離れざるを得なくなったときに、絶対に後悔する』と思いました。理想の酒造りを目指して、蔵の体制や酒を造る理由、ぼくたちがこの土地に生まれた意味......さまざまなことを両親と話しました」
蔵人を集めて「これからは美味しい酒を造るための作業が増えて、体力的にもきつくなる。でも、必ず『やってて良かった』と思う日が来るので、それまでついてきてほしい」と話しましたが、残念ながら残ったのは若手の2人。従兄弟と孝市さんを含めた4人での酒造りが、2011年の冬から始まりました。
ちょうど同じ時期に売り出したリキュール「スノードロップ」の売り上げが好調で、まずはその利益を積極的に設備投資に充てていきます。新しい設備のおかげでできた時間的な余裕を、麹や醪など手造りの部分に活かしていきました。現在では、他の酒蔵がうらやむような、充実した設備と体制が整っています。
- 委託精米した米を保管するための、湿度調整ができる冷蔵調湿庫
- 気泡が含まれたジェット水流で糠を完全に取り除くことができる自動洗米機
- 洗米を正確な量で行うためのオーダーメード重量測定器
- 蒸米の終盤に乾燥蒸気を吹き付けることができる甑
- 別々の温度・湿度で管理できる、5部屋に分かれた麹室
これだけでなく、5℃に設定してある冷蔵の部屋に仕込みタンクを10本入れ、最新の分析機器や槽で搾った酒を低温で滓引きするサーマルタンクなどを揃えました。
蔵の中を見学させてもらったとき、もっとも印象的だったのが"超低温での管理"です。槽場(搾りの作業を行う部屋)は空調が効いていて、その設定温度はなんとマイナス5℃。搾った酒を滓引きするために入れるサーマルタンクの設定温度も0.5℃なのだとか。
「品温を下げると滓の下がる速度が上がるため、それまで1週間かかっていましたが、搾ってから2日後に瓶詰めをすることができるようになったんです。酒質への影響も、最低限になりました」
さらに、できあがった麹を乾燥させる出麹部屋もマイナス10℃。風をどんどん当て、短時間で水分を飛ばして麹を凍らせます。
なにがなんでも麹菌以外の繁殖を許さない徹底ぶり。また、火入れについても、従来は65℃まで上げた後に20℃まで急冷してから0℃前後の冷蔵庫に入れていましたが、今では10℃まで一気に下げる設備を使っています。
「これまでは、瓶の中の酒が0℃になるのは翌朝でしたが、その日の夜に0℃まで下がるようになりました」
もちろん、製品を保管する冷蔵庫なども充実しています。
そのほかにも、不要な菌を排除するための対策が目白押し。
たとえば、蔵で使う布類は1度使ったら、湯で漬け洗いした後に脱水。さらに、クリーニング店にあるような大型の高温乾燥機で、カラカラになるまで乾燥させています。
槽搾りで使う酒袋は専用の洗濯機で洗った後、冷水に漬けて脱水を繰り返してから干します。使う直前には冷蔵庫に入れて冷やし、槽場の室温に合わせて使います。
また、雑菌の元凶は人間という考えから、麹室での作業はビニール手袋で行い、麹室に引き込んだ蒸米は種切り(麹菌をふりかけること)をするまで極力触らないようにし、種切りをした後の接触も出麹(できあがった麹を麹室から出すこと)までに多くても2回のみにとどめています。
日本酒で季節感を表現したい
孝市さんは、目指す酒質について、次のように語っています。
「ていねいで清潔な仕事から生まれる、透明感のあふれる酒。ぼくが食いしん坊で、酒単体で飲むことがないので、さまざまな食事に寄り添う食中酒を目指しています。
酒が主役であってはいけません。四季の移ろいがとても鮮やかな福島県で酒造りをするからこそ、しっかりと季節感を表現していきたいと思っています。搾りたてにも良さがあれば、半年程度かけてまとまっていく良さもある。それが冬に向かって熟れていくのも、その熟れた酒が崩れていくところにも良さがあると思います。それを季節限定品で表現して、飲み手に伝えていきます」
このような孝市さんの方針から、通年で出荷する定番品を柱に、月替わりで出荷する季節商品を続々と出荷している曙酒造。「天明」のファンが、1年を通じて飽きることなく、酒を楽しむことができるようになっているのです。
この戦略が功を奏して、23BY(醸造年度)から製造量が大きく増え、直近の28BYは日本酒だけで900石と、5年前の2倍になりました。注文は順調に増えているようで、今後も増産を続けて、フル稼働の三季醸造で1500石まで造れるようになったら、その後は量を追わない方針にするとのことです。
酒造りを通して、どうやって自己実現を達成するか
孝市さんは、将来の目標を次のように語っています。
「いっしょに酒を造っている蔵人の子どもが『お父さんが勤めている曙酒造はかっこいい。ぼくも曙酒造で酒造りをしたい』と言ってくれるのが夢です。蔵人には、酒を造ることでどう自己実現をするか、そこまで考えてほしい。みんなで美味い酒を造るのは必達目標。その上に、個々の夢の実現があると思うんです。造りに従事している蔵人も、酒造りを喜び楽しむ。そんな環境がつくれれば、お客様により楽しんでもらえる酒を生み出せる蔵になれるのではないかと思っています」
夢の実現に向けて邁進していく孝一さん、そして曙酒造の今後に期待しましょう。
(取材・文/空太郎)