クラフトビールやクラフトジンなど、近年、小規模の設備で手造りされたアルコール飲料が世界的に注目されています。"クラフトSAKE"もそのひとつで、2016年にはイギリスでカンパイ・ロンドン・クラフト・サケが、2018年1月にはアメリカでブルックリン・クラが開業するなど、海外で酒造りに取り組む人が増えてきました。

そして2018年10月、イギリス・ケンブリッジに、堂島酒醸造所(Dojima Sake Brewery)がオープンしました。大阪にある堂島麦酒醸造所を母体とする酒蔵で、日本企業がヨーロッパに設立した初めての酒蔵です。

イギリスの酒蔵・堂島酒醸造所

ケンブリッジ郊外に10万坪という広大な敷地をもつ堂島酒醸造所は、その設備や醸造能力をみると、いわゆる"クラフトSAKE"とは言えません。しかし、彼らの存在が世界中にクラフトSAKEを生み出す起爆剤になり得ることが、取材を通して見えてきました。

日本から遠く離れた地に酒蔵を建設した背景と目的について、堂島酒醸造所の創立者である橋本良英さんに話を伺いました。

5年の構想を経て誕生した、イギリスの酒蔵

堂島酒醸造所は、大阪府大阪市にある堂島麦酒醸造所の代表取締役社長・橋本良英さんにより創立されました。橋本さんは創業200年の歴史を誇る寿酒造(大阪府高槻市)の次男として産まれ、兄とともに26年間、実家の酒造りを支えてきました。

その後、1997年に独立し、全国で9番目の地ビール蔵として堂島麦酒醸造所を設立。寿酒造の専務として日本酒に携わりながら、地ビールの製造や販売、酒造関係のコンサルティングなどを行ってきました。

堂島酒醸造所創立者 橋本良英さん

「いずれまた、日本酒の事業を本格的にやりたいと思っていたんです。韓国で地ビール会社設立のコンサルティングをしたり、ミャンマーで国営ビール工場のリニューアルに携わったりしているうちに『新たに酒造業をやるなら海外だ』と思うようになりました。

子供がイギリスの大学へ入学したのを機に、その地をイギリスと決めました。イギリスは、長い伝統をもつ文化の国。また、明治維新の頃に、日本の礎を築いた若者たちが学んだ場所でもあります。ここなら、日本の文化である酒を世界に発信する拠点として最適だと考えたんです」

イギリスの酒蔵・堂島酒醸造所の蔵から見える、敷地内の公園

堂島酒醸造所の敷地内には、豊かな緑が広がっている

ヨーロッパに日本の酒造会社が進出していなかったことも、イギリスを選んだ理由のひとつだったと橋本さんは話します。アメリカでは、いくつかの大手メーカーが20年ほど前から現地醸造を始め、アジアでは日本酒の輸出が盛り上がりつつあるなかで、他のメーカーと競争するのではなく、カバーできていないエリアを担うことで、日本酒業界の底上げを目指したのです。

10万坪で造る、15万円の高級酒

堂島酒醸造所があるのは、イギリス東部の学園都市・ケンブリッジから車で30分ほどのフォーダムアビーという自然豊かな田舎町。敷地には、18世紀に建てられた重要建造物に指定されているマナーハウスがあり、ここで試飲会などのイベントを開催する予定です。

マナーハウス外観

原料となる米は、山田錦(兵庫県産)と秋田酒こまちを使用しています。水は氷河期の地層から汲み上げた硬水で、軟水化の処理を施しているのだそう。麹や酵母は日本から輸入しているようですが、酒蔵の周辺に酵母などの菌類を学術的に研究する世界的な機関があるため、清酒酵母について協同研究を進めていく話も持ち上がっているのだとか。

堂島酒醸造所の基本商品は2種類。精米歩合70%の「堂島」と、古式造りの「懸橋(ケンブリッジ)」です。これらに加え、オープン記念として500本限定で「隗(かい)」という銘柄も醸造されました。

精米歩合70%の純米酒「堂島」と、貴醸酒の「懸橋(ケンブリッジ)」、オープン記念として500本限定で醸造された「隗(かい)」

「堂島」は、徹底した温度管理のもと、ゆっくりと時間をかけて発酵させました。芳醇な味わいでバランスの良い香りが特徴です。対して「懸橋」は、甘味の強い再醸造仕込み。異なるタイプをヨーロッパの人々に体験してもらうことで、SAKEの幅を知ってもらうことを目指しています。いずれも価格は1,000ポンド、日本円でなんと約15万円です。「隗」は「堂島」よりもさらに磨いた、精米歩合60%。英国大使が命名し、筆を取った文字なのだそうです。

高級市場こそが、SAKEの底上げの鍵

1,000ポンドという高級酒を造る堂島酒醸造所。果たして、これほど高価な商品は、現地の消費者に受け入れられるのでしょうか。橋本さんは「高級化こそ、SAKEの市場を活性化させるために必要な戦略だ」と話します。

「高価格商品を飲むワインファンの方々をはじめ、ヨーロッパや世界中の人々に、SAKEの本質的な価値を知ってもらうべく、この価格にしました。味わいや原料、環境、技術......すべてを含めて、1,000ポンドの価値がある酒です」

橋本さんは、SAKEが世界中で過小評価されていると考えています。SAKEの味わいやそれを生み出す技術は、どれを取っても他酒類に劣るものではありません。現地で醸造した新鮮な商品を、きちんと管理した状態で流通させることで、本来の価値を届けられると信じているのです。

世界的に認められた高級レストランでは、高価であることが信頼のひとつとみなされます。価格が安いという事実だけで、提供するに値しないと判断されてしまうのです。これまでの日本酒は、価格を決める価値軸が限定されていたため、価格の幅が狭く、高級レストランに足る品質でありながらも、その入り口に立つことすらできない現実がありました。堂島酒醸造所の存在は、その風穴を開ける大きな一歩になるでしょう。

ケンブリッジから世界へ

堂島酒醸造所では、消費者にSAKEの知識を正しく理解してもらうことを目的に、日本酒の歴史や製造工程などをレクチャーするツアーも開催するそうです。

「日本酒を海外の人に紹介する際、壁になるのが言語です。SAKEの知識を英語で正しく伝え、蔵でしか提供できないフレッシュなSAKEを試飲してほしいと思い、情報や体験を提供できる場所をつくりました」

堂島酒醸造所では、カフェやレストランの併設も計画中だそう。地元をはじめ、ヨーロッパの方々が実際にSAKEを体験できる場が身近にあることで、興味・関心を抱く人も多いでしょう。

イギリスの酒蔵・堂島酒醸造所の酒蔵ツアーの様子

また、単なる醸造施設ではなく、酒造関係者に向けて、知識や技術を提供する役割も果たすそうです。これまでは、ヨーロッパの方々がSAKEに興味をもったとしても、遠い日本まで足を運ぶか、独学でしか醸造技術を学ぶことはできませんでした。堂島酒醸造所では、SAKE造りを実地で学びたい若者を受け入れ、さまざまな知識・技術を伝えることで、SAKEの裾野を広げていこうと考えています。

「ロンドンのような大都会では認知が少しずつ広まってきましたが、一歩外へ踏み出すと、SAKEを飲んだことのない人は大勢います。しかし、酒蔵ができることで、住民の方々がみんな興味をもってくれるんです。同じように、世界中に醸造所が設立されることで、各地でSAKEへの興味が高まっていくと考えています」

イギリスの酒蔵・堂島酒醸造所での酒造りの様子

堂島酒醸造所で酒造りを学んだ人には、今後設立される「世界酒醸造協会」から、品質の高さを示す認定証が付与されるそうです。

世界酒醸造協会は、世界各国に散らばったSAKEの醸造家たちがコミュニケーションをとる場として、情報発信の拠点となっていくとのこと。すでに十数人の方々が酒造りを学びに蔵を訪れたのだそう。世界中で高品質なSAKEが造られる日は、遠くない未来なのかもしれません。

世界醸造協会から付与される認定証

堂島酒醸造所の誕生は、単に「新しい酒蔵ができた」というニュースに留まらない、大きな意味をもたらすでしょう。

酒蔵の存在によって、SAKEに興味をもつヨーロッパの人々が増え、ケンブリッジで醸造を学んだ人々が、世界各地に醸造所をつくっていく、そしてまた、その地域の人々が関心をもつ......そんな好循環を通して、SAKEの魅力が広がっていく未来がみえました。

(取材・文/古川理恵)

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