アメリカのニューヨーク州ブルックリンにて、「Sake Brooklyn Brewing Company(サケ・ブルックリン・ブルーイング・カンパニー/以下「SBBC」と略)」という企業が、新しいSAKE醸造所を立ち上げようとしています。
会社を創設したのはアメリカ人ですが、日本から若手醸造家を招いて、日本の伝統を大事にしながらもアメリカならではの革新的なお酒を生産する予定です。
「SBBC」の蔵人として抜擢されたのは、新潟県の阿部酒造で修行した経験があり、日本酒YouTube・酒造りオンラインサロン「酔うちゅー部」の代表を務めていた日本酒プロデューサーの上田睦紘さんと、福島県南相馬市の醸造所「haccoba」で働いていた後藤優希さん。
新しい醸造所の完成は年内を予定していますが、アメリカでの醸造開始に先立って、2人は日本で「SakeBrooklyn LAB」というファントム・ブリュワリー(※)をスタートします。今回は、その経緯や展望について話をお伺いしました。
※ファントム・ブリュワリー:自身の免許や設備を持たず、既存の醸造所と契約をして醸造をする形態
2人が「SBBC」の蔵人に選ばれた理由
「SBBC」の発起人は、金融業界のキャリアをもつアメリカ人のダッチ・フォックスさん。2004年ごろ、メリーランド大学のビジネススクールで、後に同じニューヨークでSAKE醸造所をスタートする加藤忍さんと出会い、それまで苦手意識さえあったという日本酒の魅力に目覚めました。
その十数年後、加藤さんから「SAKE醸造所を立ち上げないか」と声をかけられたダッチさんは、2017年に「SBBC」を設立。しかし、大規模なビジネスを夢見る野心的なダッチさんに対し、小規模な酒造りにこだわった加藤さんは、独立して「Kato Sake Works」をオープンすることになりました。
新しいパートナーに選ばれたのは、同じくアメリカでSAKE醸造所を立ち上げようとしていたジョージ・ウィードさん。
2人は酒造りの経験者を探して、当時、米国月桂冠の杜氏を務めていた河瀬陽亮さん(現在はSAKETIMESを運営するClearに勤務)に相談します。
河瀬さんがまず紹介したのは、日本酒YouTube・酒造りオンラインサロン「酔うちゅー部」の代表を務めていた、日本酒プロデューサーの上田睦紘さんです。
もともとIT企業で働いていた上田さんは、日本酒好きが高じて、2017年ごろから日本酒ブランド「MUEZ」などのプロデュース活動をスタート。さらに、「酔うちゅー部」の活動を通して自身も酒造りに挑戦するうちに、「自分の酒蔵をもちたい」と考えるようになりました。
そんな時、河瀬さんから「SBBC」のオファーを受け、「自分にやらせてほしい」と快諾。さらに、醸造技術を磨くために、新潟県の阿部酒造で修行をします。
2人目として候補に挙がったのは、福島県南相馬市のクラフトサケ醸造所「haccoba」に勤めていた後藤優希さんでした。
中学生の時に、漫画『もやしもん』を読んで酒造りに興味を持った後藤さんは、東京農業大学の短期大学部で醸造学を学び、20歳になってまもなく、「森嶋」や「富士大観」を造る茨城県の森島酒造に入社します。
その後、尊敬する若手醸造家の立川哲之さんが「haccoba」を立ち上げるのに伴い、同社へ籍を移しました。現在は「haccoba」を退職し、東京都の蔵前にある「木花之醸造所」で、杜氏のサポートをしています。
河瀬さんは、基本的な醸造技術や酒造りに対する情熱を前提に、2人の「海外に出ることに対して怖気づかないところ」が抜擢の決定打になったと話します。
「海外での醸造に興味があっても、日本から移住することに躊躇してしまう人がほとんど。アメリカへ行くことに不安を感じることなく、むしろ、わくわくしながら取り組んでくれる2人だからこそ、適任だと考えました」(河瀬さん)
その後、SBBCはマーケティングやブランディング、広報の担当として、元ロビイストで大手不動産会社の勤務経験も持つレスリー・フォックスさんを迎え入れ、合計5人のメンバーとなりました。
アメリカでしか造れないSAKEを造る
「アメリカにおけるクラフトビールやテキーラのような、ジャンルとしてのムーブメントを起こしたい」と燃えるダッチさんたちが目指す製造規模は約400石と、アメリカのSAKE醸造所の中では比較的大きめです。
その一方、生産するお酒については、上田さんと後藤さんのアイデアを尊重。2人も「日本ではできないことをやりたい」と意気込み、米と米麹だけで醸す「清酒」と、副原料を用いる「クラフトサケ(その他の醸造酒)」の両方のレシピを考えています。
「せっかくアメリカで酒造りをするのだから、日本でやれることをしても仕方がありません。ただ、日本で培った本流の技術があるからこそ、新しいチャレンジができるのだとも伝えたい。現地の人々からすれば、日本らしさへの期待もあるでしょうから」(上田さん)
「アメリカで手に入りやすい酵母は、ビール酵母。『木花之醸造所』で使ったことがありますが、育てる方法によってさまざまな特色が出るおもしろさがあります。副原料は『haccoba』で使っていたホップのほか、アメリカらしい素材や、日本のボタニカルを使った商品も造っていきたいです」(後藤さん)
醸造所のオープンは年内の予定ですが、それに先立って、日本国内で「SakeBrooklyn LAB」というファントム・ブリュワリーをスタートすることが決まりました。国内の酒蔵の設備を借りて、実験的なお酒を少量で生産していきます。
上田さん曰く、「さまざまな環境で酒造りを経験することが勉強になるので、いろいろな酒蔵さんを渡り歩いて、全国行脚をする予定」とのこと。現在、ふたりの古巣である阿部酒造とhaccobaとのコラボが決定しています。
また、醸造するお酒など、「SakeBrooklyn LAB」に関する最新情報は、Instagramにて発信される予定です。
ニューヨークはアメリカSAKEの激戦区!
アメリカは、日本国外ではSAKE醸造所がもっとも多い国。SAKEに魅了された新しい醸造家が生まれ続けています。
「世界中で醸造所が誕生し、造り手が多様化することは、SAKEがさらにおもしろくなっていくために不可欠なこと。アメリカをはじめとした海外で、SAKEが"よそもの"ではなく、現地の方々にとっての"自分事"になっていくことが大事です」(上田さん)
既にニューヨークには、先述の「Kato Sake Works」や、新潟県の八海醸造と業務資本提携を結んだ「Brooklyn Kura」、そして今年から現地生産を開始した旭酒造の「Dassai Blue」があります。
いわば、アメリカSAKEの激戦区。しかし、上田さんは「プレイヤーは多いほうがおもしろい」と前向きです。
「SAKEの市場はまだ始まったばかりなので、自分たちの利益のみを追求するよりも、市場そのものを大きくして、全体で盛り上げていくことのほうが重要です」(上田さん)
「逆に考えると、醸造所はまだ3軒しかないので、今が現地のSAKEコミュニティに入っていくチャンスだとも思います。アメリカの方々が醸造している『Brooklyn Kura』、醸造経験のない日本人が立ち上げた小規模な『Kato Sake Works』、日本を代表する『獺祭』の旭酒造が設立した『Dassai Blue』、そして僕たちは、日本の若い醸造家が造るアメリカならではのSAKE。それぞれの個性が楽しめるエリアになるんじゃないでしょうか」(後藤さん)
SAKEのおもしろさをアメリカに広めたい
過去、自身が手がけた日本酒ブランドでは、「ワインのテロワールのような、その地域の個性を表現するのではなく、その造り手だからこそ出てくる個性を商品に反映したい」という考えを持っていた上田さん。
「ワインと日本酒の決定的な違いは、原料の味がダイレクトに反映されるかどうか。日本酒は、加工の技術や発酵の作用によって多種多様な味わいを出せるのが魅力。また、ブドウと違い、米は長い輸送にも耐えられます。原料を運ぶことができるという観点では、ワインよりもビールに近いのかもしれません」(上田さん)
これについて、後藤さんも「世界中でSAKEが造られるようになれば、日本の米が優れた原料として輸出されるようになるかもしれない。そのほうが、田んぼを守りたい酒蔵さんや農家さんにとって良いことなのかもしれません」と続けました。
アメリカという新天地での酒造りに、次から次へとアイデアを浮かべる2人。SAKEのことを知らない方々にアプローチするためにも、現地のカルチャーとのコラボも視野に入れています。
「ビールやコーヒー、アートなど、さまざまなアイデアがあります。日本酒の裾野を広げていきたいという思いは、これまで自分がやってきたプロデューサーとしての目標と変わりません」(上田さん)
また、現地で酒造りに興味をもつ人々に学びの機会を与えることも、「SBBC」の役割のひとつです。
「アメリカには自家醸造の文化があります。クラフトビールも自家醸造出身の人が多いので、発酵に興味がある人にSAKE造りの文化を広めていきたいです。例えば、自家醸造で造ったSAKEのコンクールなどを開催したらおもしろいんじゃないかと思っています」(後藤さん)
「日本における阿部酒造のように、アメリカで酒造りに興味をもった人たちが、そこで酒造りの技術を学んで、それぞれの故郷で醸造所を立ち上げるような、教育的な場所になれたらいいですね」(上田さん)
アメリカらしさと日本らしさの融合した醸造所として、また、アメリカにSAKEの魅力を伝える場として、ニューヨークで産声をあげようとしている「SBBC」。そして、そのプロトタイプが日本で楽しめる「SakeBrooklyn LAB」。どちらも期待が高まります。
インタビューの最中、お互いの受け答えを聞きながら、「打ち合わせをしたわけでもないのに、同じことを考えている」と息が合っている様子を見せてくれた上田さんと後藤さん。2人のコンビネーションは、新天地でどのようなSAKEを生み出してくれるのでしょうか。
(取材・文:Saki Kimura/編集:SAKETIMES)