入社3年目の22歳にして杜氏(製造責任者)に抜擢された女性が宮城県の酒蔵にいます。「伯楽星」と「あたごのまつ」の二本柱で美酒を醸している新澤醸造店(大崎市、醸造場所は川崎町)の渡部七海(わたなべ・ななみ)さんです。
男女を問わず、全国最年少杜氏になった渡部さんの酒造りへのひたむきな姿勢を探りました。
無縁のところから醸造の世界へ
神奈川県大和市出身の渡部さん。父親はエレクトロニクス関連の会社員で、両親共に下戸だそうです。子供時代は、お酒とまったくの無縁でした。
そんな渡部さんが日本酒の世界へじわりと接近したきっかけは、志望する大学選び。「就職先は食品関連がいいなと考えながら、受験する大学を探しました」と話す渡部さんの目に止まったのは、東京農業大学でした。
「食品関連のなかでも一番興味があったのは、香りでした。農大にはその専門学科があり、これはいいなぁと思ったら、なんと北海道のオホーツクキャンパスなんです。さすがに遠くて無理だなと諦めて、次の候補を探している時に見つけたのが短期大学部の醸造学科でした。醤油とか味噌にも関心がありましたし、2年間というのも、なるべく早く社会人になりたいと思っていた私にぴったりでした」
他大学もいくつか受験をして、合格したそうですが、渡部さんは迷わず農大を選んだそうです。
「仕込みタンクの中ですごいことが起きている」
入学後、いろいろな授業の中で最も心を動かされたのが日本酒の造りでした。
仕込みタンクの中で、でんぷんが糖分に変わるのと、糖分がアルコールと炭酸ガスに変わるのと、これら2つの発酵が同時に進むのを目の当たりにして、すごいことが起きているんだと渡部さんは驚きます。この並行複発酵が日本酒造りの特徴であることを知って、もっともっと詳しく学びたくなりました。
2年生になると渡部さんは迷わず、酒類学研究室に入ります。そこで仕込み班に加わって体験したのが、農大が分離した花酵母による酒造りでした。
「すべての条件がまったく同じ仕込みを2本立てて経過のデータを見ていくのですが、微妙な温度の違いなどで発酵の進み具合が大きく違ってくる。漂ってくる香りも異なるし、まだその頃は未成年で飲めないので、データと香りだけでしたが、その面白さにのめりこみました」と渡部さんは振り返ります。
新澤醸造店との出会い
ある夏の日、研究室の先生から「宮城県の新澤醸造店が東京で試飲会をやるので、農大の学生さんに手伝ってほしいとの依頼が来ている。よかったら行ってみないか」と声を掛けられます。
簡単に応じたものの「未成年でお酒が飲めないので、味わいについて説明ができない。それなら、蔵の酒造りに対する考え方とかポリシーとかを完璧に言える様にしよう」と渡部さんは考えました。
「その事前の勉強をしていて、この酒蔵は面白いことをやっているんだなぁと知らず知らずのうちに引き込まれていたんです。そのまま、秋の会社説明会にも足を運んでみると、会う人が皆、面白くて親しみやすく、すぐに入社を決めてしまいました」と渡部さんは当時を思い出していました。
「あ、遠慮せずなんでも言っていいんだ」
こうして、渡部さんは2016年4月に新澤醸造店へ入社します。
新澤醸造店は新入社員にすべての部署を半年かけて経験させます。適性を見るとともに、酒蔵業務の全貌を把握させるためです。
「農大で学んだことは実験の域を出ておらず、スケールの違いにも意外にたくさんの機械が入っていることにも驚きました。最先端の分析機器が並んでいるのを見たときは感動しました」と渡部さんは振り返ります。
そうして半年後経った10月、渡部さんは希望していた醸造部に配属されます。そこで、すぐに先輩たちの作業の補佐についたところ、渡部さんは大きなショックを受けます。
「先輩たちが私の意見を求めてくるんです。入社1年生であろうと、作業は常に考えながらやって、さらに改善するにはどうしたらいいかを求められました。遠慮なく何でも言っていいんだ、と感じて自由に発言できるようになりました」
チームの信頼を得る盤石の仕事ぶり
そんな渡部さんの様子がやがて、専務の杉原健太郎さんの目に留まりました。
「新澤醸造店では、ひとりのベテラン杜氏に酒を委ねるというスタイルは取っていません。蔵人全員が日々酒造りを学び、昨日よりも今日、今日よりも明日と、よりよい酒を造っていく、という強い意志を持って、メンバーが刺激しあう酒造りをチームで実現しています。
ただし、最終的に麹を出す見極めや醪を搾る(上槽する)タイミングについては、ひとりが判断しなければなりません。その責任者が杜氏です。これまでその役割は蔵元の新澤巌夫社長が担ってきましたが、事業規模の拡大とともに、社長が多忙になり、代行者が必要になってきました。
そんな時期に渡部君が入社してきたのです。彼女は大学できっちり勉強して醸造理論は習得しており、しかも、日々改善させようとする意欲に満ちていて、最初の1年でメキメキ腕を上げていました。そのうえ、特筆すべきなのはきき酒の能力でした。これはもって生まれたセンスの部分が大きかったですね」(杉原専務)。
新澤社長も同意見だったようで、2年目の冬(2017~2018年)には、新澤社長が不在になるときに、杉原専務から渡部さんへ「杜氏の仕事をやってもらうから頼む」と指示が出るようになりました。
渡部さんは「杜氏の仕事をするのであって、ポストに就くということではなかったので、案外気楽な気持ちで酒造りに没頭しました」と言います。
しかし、日々刻々と上がってくる分析データをにらみながら、次々と判断していく渡部さんの姿を見ながら、10人ほどの醸造部メンバーは信頼を確実に高めたそうです。
そして、平成30BYの造りが始まる前の2018年夏ごろ、渡部さんは新澤社長から「製造責任者にならないか」と聞かれます。
「びっくりしました。先輩ばかりの職場で責任者になるなど、大変なことだと感じました。しばらく考えさせて下さいと答えたあと、すぐにお腹が痛くなりました。迷いに迷いましたが、周りの人たちが『やってみればいいじゃない。ダメだったらやめればいいし』と声を掛けてくれたことで決心が着きました」(渡部さん)。
いきなりの「トロフィー酒」獲得
そうして9月からの造りで杜氏になった渡部さんの元へ、11月に入って朗報が飛び込んできます。
世界的なワイン品評会「ブリュッセル国際コンクール(CMB)」が昨年新設した日本酒部門「SAKE selection 2018」の本醸造酒部門で、渡部さんが"責任仕込み"をした「あたごのまつ 鮮烈辛口」がトップである「トロフィー酒」を獲得したのです。
表彰式には名だたる蔵元や杜氏に混じって、渡部さんの笑顔がありました。受賞を聞いて、新澤社長は「実力に折り紙もついたのだから、杜氏であることを対外的にも発表する」ことを決めました。
今年も美味しいねと言われるために
こうして今季から正式に杜氏になった渡部さんですが、「去年とやっていることはほとんど同じです。醸造部の仕事は他の人たちと同じようにこなしています。瓶詰めも出荷も事務作業もやりますよ」と話しています。
ただし、麹の仕上げるタイミングや、搾る日時などの判断は渡部さんが責任を持って決めなければなりません。
仕込みがフル回転になる冬場でも週に1日は休みますが、仙台市内の自宅からネットを通じて仕込みの各種データを確認することは日課です。
「相談の電話がかかってこないと、あれ、どうしたのかな、と心配になります。仕込みがある間は気の休まる暇はないですね。伯楽星とあたごのまつを買ってくださるお客様にとって、誰が杜氏かは関係ないですから、私が杜氏になって、味が変わったと言われないために必死です。今年も美味しいねと言われるのが一番の励みです」と本音も覗かせていました。
杉原専務は「渡部がこれからずっと杜氏かというとそれはわからない。もっと優秀な人間が現れれば交代もありうる」と言い切ります。「仕込みの1本1本が勝負です」と気を引き締める渡部さんが指揮を取るお酒のさらなる進化が楽しみです。
(取材・文/空太郎)