山形県酒田市は、最上川の河口にある、江戸時代から北前船で栄えた日本海の港町。最上川がつくりだした庄内平野は日本有数の米どころで、100年以上前に建てられた「山居倉庫」は、今も現役の農業倉庫として活躍しています。

酒田市内から車で30分ほど、最上川の南にある全長30kmを越える砂丘地・十里塚へ向かうとたどり着く、砂防林のクロマツ林。そのまま車を走らせると、近代的でクリーンな工場を構える東北銘醸株式会社が見えてきました。ここで、山形の銘酒「初孫」が造られています。

全量生酛!人と機械が補い合う酒造り

東北銘醸株式会社の歴史は、明治26年、廻船問屋を営んでいた初代が旧庄内藩酒井家から酒造技術を学び「金久(きんきゅう)」という銘柄を世に送り出したことから始まりました。昭和初期、当主に長男が誕生したことをきっかけに、"人々に愛され喜ばれる酒にしたい"という願いを込めて、銘柄を「初孫」に改めたそう。

最大の特徴は、すべての酒を江戸時代から伝わる「生酛造り」で醸造していること。生酛造りとは、酒のもととなる"酒母"を、天然に存在する乳酸菌の力を借りて造る方法。手間がかかる上に、難易度が高いといわれています。

その複雑な工程を省力化しようと、現在では人工的につくられた乳酸を添加する「速醸酛」が日本酒全体の約8割を占めているとか。全量生酛造りの酒蔵はほとんどありません。

営業部次長の今野学さんに、近代的な工場をご案内いただきました。醸造棟は長さがおよそ100mもあるそう。

伝統的な一升盛りの麹蓋が使われる製麹室や、手作業での山卸しをする酒母室なども備えている一方で、麹の重さを自動計測し、温度管理も含めた製麹の工程を自動で制御する製麹機など、機械も多く導入されていました。

「手作業による生酛造りの過程で何が起こっているのか、造り手が把握するのは基本。そのうえで、機械化している部分は手作業の経験を活かしながら機械で効率的に、機械でできない細かい作業は人の手で行なうようにしています。徹底した温度管理と科学的なデータの把握によって、再現性の高い大量生産を可能にし、生酛というすぐれた技術を後世に伝えていくことが、私たちの使命ですね」と今野さんは語ります。

つい、"機械ではなく、人の手で造るのが本物なのでは"と考えてしまいがちですが、日本酒の未来を見据えたうえで、伝統と技術発展のバランスをどうとっていくかが重要なのでしょう。

こちらは酒母室に備えられている櫂。生酛造りならではの山卸しは、人力で行なうこともあるそうですが、ほとんどの場合は専用のドリルを用いて、省力化・標準化を図っているとのこと。

しかし、今野さんは「それでも、蔵人が一通りの作業を把握していないと、本当の機械化はできません」と話していました。

こちらは、普通酒から純米酒までのタンク。初孫の生産量は1万石を越えていますが、普通酒にまで生酛造りにこだわるのは、現代の日本酒業界では珍しいでしょう。

こちらは醪タンクの上部。タンクの開口部がとても小さいですね。これはタンクへの転落事故を防ぐためとのこと。

生酛は味の幅が広い?生酛本来の味わいとは

設備を見学した後で、杜氏の後藤英之さんにお話をうかがいました。

「まずはこの酒を飲んでみてください」

南国のフルーツを思わせる上立ち香。ふんわりと甘味を感じながらも、ほどよい酸とともに後味が消えていきます。さらっとしているにもかかわらず、米のふくらみと旨味も感じる絶妙なバランスがありました。これまで生酛に対して抱いていたイメージを打ち砕くような、繊細でフルーティー、かつ軽快な味わいの酒ですね。

「これ、本当に生酛なんですか!?」と、思わず声に出してしまうほどでした。

いただいたお酒は季節限定の「初孫 生もと 純米吟醸 原酒 光る海 8205」。原酒とは思えないほど、すっきりした味わいでした。原料米は美山錦と出羽の里。

「一言に『生酛』といっても、製法やレシピを変えるだけで、こんなに味のバラエティが出るんですよ。この『光る海』は原酒で、日本酒度も 1.7 あります。それを感じさせないでしょう?これが生酛の実力です。実は、生酛は万能な造り方なんですよ。味のバラエティをいちばん出せるのは、生酛造りなんじゃないかな」と後藤さん。

また、工場がある十里塚はもともと、地元の杜氏が集まっていた村だそうで、「地元の杜氏や蔵人がブラインドで酒を味わってみると、酒質の良さで選ばれるのは生酛造りだったんです。それならば、多少手間はかかっても"生酛でやろう"と。平成6年に全量生酛に転換しました」とも話してくれました。

以降、"米の旨味や酸がしっかりと感じられる、安定した深みのある味わいの酒"を求めるファンに支えられているのだとか。

「"初孫は生酛らしくない"とよく言われますが、『これが生酛なんだよ』と言いたいですね。いわゆる、ヨーグルトみたいな"生酛らしい味"というのは、私からすると野生酵母が混入したオフフレーバー。酵母が純粋培養されていて、きちんと管理されていれば、綺麗な味になるものですよ。こういう生酛は、次の世代へ引き継いでいけるでしょう。これからもさまざまなタイプの酒質を、米などのレシピを変えながら造っていきたいですね」と、自信をのぞかせていました。

旨い酒を造るための手間は惜しまず、自然がもつ力と蔵人たちの力が融合したところに、初孫のおいしさがあるのですね。

天皇陛下にも献上された「初孫」のすべてがわかる、蔵探訪館

続いて、工場に隣接する蔵探訪館へ。

原材料や醸造工程を写真・パネルでわかりやすく解説するほか、歴史ある看板や酒樽などを展示しています。酒の仕込み風景や、初孫の歴史、酒田の四季などを紹介するフィルム映写コーナー、初孫の利き酒コーナーなど、充実していました。

展示コーナーには数々の賞状や、酒米、昔ながらの道具などが展示。眞子様ご誕生の際、天皇陛下にとっての「初孫」という理由で、日本酒を献上されたこともあるとか。

こちらは試飲コーナーでも一番の売れ筋という「初孫 純米本辛口 魔斬(まきり)」

「魔斬」というのは、酒田特産の小刀。"魔"を"斬る"ことから、魔除けの縁起物とされているそうです。その名の通り、口の中でスッと切れていく辛口ながら、骨太でふくらみもあり、繊細さも併せ持っていました。懐の深さと色気があるお酒ですね。

山菜に!お刺身に!汁ものに!初孫がベストマッチ

酒田の街でどんなふうに初孫が愛されているのか、現場で体感してみたい!という願望が叶い、今野さんが地元で有名な居酒屋を紹介してくれました。

「酒田は山菜や白身の魚、タケノコなど、淡泊だけれども旨味のある料理が美味しい。特に山菜は全国2位の消費量。そこに北前船がもたらした、京風昆布だしの文化が融合しています。だから、雑味がなく、それでいて米の旨みを生かした上品な味わいの生酛が絶妙に合うんですよ」と今野さん。

「初孫 生もと 純米吟醸 原酒 光る海 8205」で乾杯!

初孫のシックなラベルイメージを大きく変えるような美しいブルーのボトルに、8205という数字。これは、8(は) 2(つ) 0(ま) 5(ご) という意味だそう。

こちらには刺身がベストマッチ。比較的甘口ですが、ベタッとまとわりつく甘さではなく、ふくらみをもちつつ切れていきます。イカの刺身がもつ甘さにも、〆サバの爽やかさにも寄り添う絶妙さ。この味わいは、生酛ならではでしょう。

山菜消費量全国2位の県ならではの魅力的なラインアップ。これは注文せざるをえません。

山形名産、月山筍(がっさんだけ)の天ぷら。春から夏にかけて、月山で採れる月山筍は味の良さに定評があります。地元でも旬の時期にしか食べられない貴重なものだそう。

月山筍は雪が溶けてから急成長するため、太くて、柔らかく、コクがあります。キメの細かい歯ざわりがとても小気味良く、かみ締めるほどにどんどん旨味と甘味が出てきました。 一度食べると忘れられなくなる食感と風味ですね。

月山筍の旨味と甘味を「初孫 純米本辛口 魔斬」が包み込み、スッと切れていきます。

「次は、魔斬に孟宗汁(もうそうじる)なんてどうですか?」と、今野さん。

孟宗汁は、孟宗竹(もうそうちく)のタケノコを厚揚げや生椎茸とともに出汁で煮込み、味噌と酒粕で味つけした山形の郷土料理です。

ここのお店では、初孫の酒粕を使っているそう。出汁と酒粕の優しい味が、タケノコのフレッシュさを包み込みます。ここに、骨太でキレの良い魔斬が、食中酒としての存在感をしっかり発揮してくれました。

地元のサラリーマンや旅人が気取らない食事を楽しむ居酒屋「久村の酒場」で、お店や地域の方たちと楽しい交流の時間。「初孫」が酒田に愛され、地元の食材に寄り添っていることを肌で感じられますね。

「生酛造り」を続ける東北銘醸の心意気と、広く愛される理由が酒田の港町にありました。

(文/山口吾往子)