自らの年齢を冠したお酒を14年間も造り続けている杜氏がいます。岐阜県美濃加茂市にある御代桜(みよざくら)醸造株式会社の酒向博昭(さこうひろあき)氏です。
杜氏になって4年目に「二十八才の春」を売り出したところ評判が良く、翌年以降もお客様からの声に背中を押されて、歳を重ねながら春のお酒を造り続けてきました。そして今年も「四十一才の春」をリリース。
御代桜醸造の1年を代表するお酒とあって、発売を心待ちにしているファンが多く、すぐに完売になる人気商品です。そんな「○才の春」シリーズの誕生秘話に迫りました。
弱冠25歳での大抜擢
御代桜醸造は長年、冬場に但馬杜氏と蔵人を招いて酒造りを続けていましたが、先代蔵元が「杜氏のなり手が減っている。将来は社員が杜氏になることを考えたい」と、1990年代半ばに杜氏の候補生を募集しました。
当時、専門学校で微生物関係の勉強をしていた酒向さんは「杜氏は職人っぽくてかっこいい。仕事の内容も魅力的だ」と、蔵の門をたたき、御代桜醸造に入社。20歳でした。
それまで御代桜醸造の社員は造りに一切関与していませんでしたが、酒向さんは入社後、ほかの社員とともに但馬杜氏の下で酒造りを学びました。しかし、蔵に入って5年目の造りを迎える前に、杜氏が体調を崩し、酒造りができなくなる事態に。
弱冠25歳だった酒向さん。「まだ若すぎる」との反対を押し切り、蔵元の判断で杜氏になりました。
商品開発のきっかけは書家との出会い
それから3年後、前衛的書家の遠藤泉女先生らとともに会食した時のことでした。
懇談の最中、遠藤先生は筆を執って、さまざまな文字を書いていたそうです。先生はふと、「あなた、いまいくつ?」と酒向杜氏に問いました。「28歳です」と答えると、「そう」といいながら紙に向かい、『二十八才の春』と書きました。
その力強い独創的な仕上がりに、同席した人たちから「この銘柄があったらおもしろい」との声があがり、商品化が決まったそうです。同年、全国新酒鑑評会で金賞を受賞していた酒向さんの杜氏としての信頼も、蔵元の決断を後押ししたのでしょう。
その年は専用の仕込みはせずに、できあがっているお酒のなかから選抜して「二十八才の春」を商品化。岐阜県内の酒販店を巡ると、どこの店主も興味を示し、あっという間に完売しました。
酒質を含めて消費者の評判も良く、半年も経つと「来年は『二十九才の春』が飲みたい」との問い合わせが来るように。遠藤先生も「毎年出したらいい。毎回、書いてあげるから」と支援を申し出てくれました。
3年目からは専用の仕込みをすることになり、地元・岐阜県産の契約栽培米を使って、純米大吟醸の生原酒として出荷するようになりました。これにより「岐阜地酒」「高級酒」「春の季節酒」に惹かれる地元ファンが着実に増えてきました。
遠藤先生の書体は毎年異なるので、作品を眺めながら美酒を楽しむファンもいるそうです。また、過去数年分のお酒を大切に冷蔵保管して、まとめて飲み比べを楽しむ猛者もいるとか。酒向杜氏は「楽しみ方は人それぞれですが、生酒なので、できれば早めに飲んでいただきたいのですが」と苦笑していました。
「気持ちはいつまでも若々しくありたい」
今年で14年目となる春のお酒。酒向杜氏にその想いをうかがいました。
「"今年の私の酒造りはこうでした"という1年間のすべてが表れているお酒だと思っています。リピーターのお客様も多く、頻繁に『今年も飲んだよ』と声をかけていただき、どんどん高くなる期待にプレッシャーも感じています」
(左は蔵元・渡邉博栄さん)
歳を重ねながら14年続けてきた春のお酒。しかし、「春」という表現は若々しいイメージが強いようで「30才になっても春か」「40才で春は違和感がある」と言われたこともあるそうです。
けれども酒向杜氏は「気持ちはいつまでも若々しくありたいですし、出荷するのも春。花見に飲むお酒としてアピールしつつ、今後も『◯才の春』で続けていければと思っています」と語ってくれました。
御代桜醸造の1年間すべてと、酒向杜氏の"若々しさ"がつまったこのお酒。これからも毎年、春の訪れとともにファンを喜ばせてくれることでしょう。
(取材・文/空太郎)