李白酒造有限会社の社員であり、社長の妹でもある田中路子(みちこ)さん。幼いころから李白酒造の長女として育ち、小学生のころは"りはく"というあだ名で呼ばれていたそう。それほど、李白酒造の娘という印象が強かったようです。

女性が酒蔵で働く姿は今でこそ珍しくありませんが、路子さんは中学生のころから李白酒造で働きたかったのだとか。そのため、高校生の時に東京農業大学の醸造科学科に進学することを決意しました。

農大を卒業したあとは、2年で実家に帰ることを受け入れてもらった上で、東京青梅市の小澤酒造株式会社に就職。その後、李白酒造のある島根県松江市に戻り、現在に至っています。

路子さんの父である前社長が海外で日本酒の啓蒙活動を行なってきたことは以前の記事で紹介しました。今では、路子さんが国内だけでなく海外での販売を担当することもあるそう。

今回はそんな田中路子さんに、ご自身の働き方や李白酒造についてうかがいました。

酒蔵の娘が取り組む仕事とは?

筆者:今日は取材のためにご足労いただき、ありがとうございます。

田中路子さん(以下、路子さん):いえいえ。昨日まで3日間の試飲販売会があったので、ちょうど東京に来ていました。

筆者:よく出張されるのですか。

路子さん:そうですね。多いときはひと月の半分以上、家を空けています。

筆者:かなり多いですね。蔵にいるときは、どのようなお仕事をされているのでしょうか。

路子さん:基本的には情報発信ですね。ホームページやSNSの運営、月刊広報誌『李白からの手紙』の制作を担当しています。また試飲販売や海外販売などの営業活動や啓蒙活動をすることもありますよ。

筆者:李白酒造は田中家が中心に経営する会社です。身内だからこそできることもあるでしょう。決して規模の大きい会社ではないと思いますが、家族のほかに社員の方もいらっしゃいますよね。

路子さん:そうなんです。小さい企業なので、みんなが力をあわせてやらないといけません。

私は企画室長という肩書をもっているので、蔵開きのイベントを開催するときや、なにか社員からの提案があったときに、それを具体的な形にするのも仕事。抽象的なアイディアを形にしていくことから始まり、最終的にはかなり細かいところまで目を配らなければならないので、仕事量は膨大です。終わりがあるようでない、みたいな。

なにか提案があった時は、はじめに社員の意見を聞き、だいたいのことをまとめたら社内でグループをつくります。そのなかでリーダーを決め、リーダーを中心に企画や方法を考えてもらうようにしていますね。私たちがすべてを決めてしまうと、みんなのやる気もそがれてしまうので。

毎年4月に開催する蔵開きは本当なら4か月くらい前から準備を始めたいですが、その時期は蔵の仕事も忙しく、実際には12月末から準備をしています。みんな、一生懸命やってくれていますよ。

月刊広報誌『李白からの手紙』は田中さんの手書き

実家である酒蔵への強い愛着

筆者:路子さんは蔵の仕事に携わるつもりで東京農業大学に進学されたのですか。

路子さん:そうですね。中学1年生のときに『夏子の酒』という漫画を読み、感動したのがきっかけです。同時に「これってうちのことじゃない?」と、あらためて実家が酒蔵だということを意識しました。

「身近なところでこんなに素晴らしいことが行なわれていたんだ!」と思い、それから家業に目を向けるようになりましたね。「酒蔵の仕事がしたい。私は農大に絶対行くんだ」と決意し、そのために一生懸命勉強しました。

筆者:思い描いたとおりに農大へ入学し、卒業したあとは小澤酒造に就職。入社して2年で辞められたとお聞きしました。どうしてでしょう?

路子さん:やはり、実家である李白酒造で働きたかったんです。小さいころから「ご先祖さまが築き上げてきた」と聞かされていたので、父が大事に育て守ってきた李白酒造に愛着がありました。だからこそ修業は2年間と決め、最初から島根へ戻ってくるつもりで小澤酒造にお世話になったんです。

筆者:蔵に戻ってからは酒造りをしたかったそうですね。製造部の仕事はしないのですか。

路子さん:お酒を造りたかったというより、ものづくりをしたかったんです。だから小澤酒造でも製造に関わっていました。しかし、製造の現場で働くなかで「これは女性には難しい仕事だ」ということを実感したんです。

筆者:近年の日本酒業界をみると、製造の場で働く女性は増えていますよね。

路子さん:もちろん酒質設計などの仕事はできると思います。でも実際に現場で働いてみると、持ち運べる重さや働ける量が男性の半分でした。タンクなどの洗浄はできるけれど、20mのホースを抱えて運ぶことはできません。同じ現場でもできることが限られてしまうんです。男性と同じように働いていたら、女性用の洋服が入らないくらい腕の太い、アスリート体型になってしまいましたよ。

それならばこの仕事は男性にまかせて、製造以外でできることを探そうと思いました。もちろん、本当に忙しくて製造の手がまわらないときには手伝いますけどね。

兄妹で家業に関わるということ

写真右は社長の田中裕一郎さん

筆者:路子さんが戻られてから、李白は"兄妹で造っている"という印象があります。社長であるお兄さんを、妹の路子さんがサポートしているというイメージですが、それについてはどう思われますか。

路子さん:そうですか?私は兄妹でやっているとは思いません。背負っているものの大きさがあまりに違いすぎるので。

はじめは、李白酒造の子どもとして、兄と同じ土俵の上にいる気持ちで「私は兄よりできるぞ!」なんて思っていました。でも、農大に通って、酒造りの道に足を踏み入れてから兄の話を聞くと、自分がなんと浅はかだったのか気付かされましたね。考えている深さも量も想像を絶するもので、「私は兄には追い付けない」と思いました。そこで、情熱をもって仕事に取り組む兄をできるかぎり手伝いたいという気持ちになったのです。

家族で経営をしている蔵のなかには、ついつい言い争いが始まってしまう蔵も多いと聞きますが、うちはケンカになりません。彼はあくまで会社の社長。彼の描く世界のなかに自分は従事しているので、基本的に意見することはありません。もちろん疑問があれば聞きます。でもそうすると、必ず納得する答えが返ってくるので、ケンカにはならないんですよ。

筆者:社長にとって田中さんはほんとうに心強いサポーターですね。

路子さん:私がでしゃばっても、ろくなことがないので(笑)。社長になると、プライベートと仕事の線引きがまったくなくなる。それは私にはできません。線引きが難しいぶん、私がお手伝いをすることで楽にしてあげたいと思いますね。これからもできるかぎりのことはしていくつもりです。

酒文化を正しく後世に継承する

筆者:国内だけではなく海外にも販路をもっている李白酒造。海外での反応はどうですか。

路子さん:「海外用のお酒を造っているんですか?」と聞かれることがありますが、海外用は特に造っていません。"李白はこの味だ"というベーシックなものを販売しています。

李白酒造の経営理念は「酒文化を正しく後世に継承する」。伝統的に日本国内で飲まれているお酒を広めたいと思っています。海外での反応は良く、喜んで飲まれている印象。海外だからといってお化粧したものではなく、普段通りにしていればじゅうぶん通用すると思いました。ヨーロッパの人にとってお酒は食事といっしょに楽しむものだから、大吟醸ばかりでなく、食中酒も好まれます。美味しいことが大事なんでしょう。

筆者:日本酒ブームの影響で、国内の飲食店では日本酒がよく飲まれているといわれています。メーカーとしてその影響を感じることはありますか。

路子さん:ブームという実感はないけれど、悪くはないと思います。ただ、ブームとは言い切れないので、大きな投資はできません。ブームに対する最大の恐怖は、たくさん売れるようになったから増産したものの、ブームが去ったあとにだれも見向きしなくなってしまうという状況ですね。

ブームに関係なく、みんなが日本酒を飲む時代にならなくてはいけません。今の流行は緩やかなので、とても良いと思います。私が蔵に戻ってきたときは焼酎ブームで、日本酒が最悪の時代でした。それが私のスタートなので、当時と比較すると今はいい状態ですよ。

筆者:現在、李白酒造の海外シェアはどのくらいですか。

路子さん:およそ3割ですね。製造量に対して「海外シェア」「地元消費」「県外出荷」の3つが、だいたい均等になるくらいです。

海外の割合がやや多い気もしますが、減りつつある国内の消費を他の酒蔵やアルコール飲料と奪い合うよりも、海外で安定した販売をすることで体力を温存しています。そうすれば必然的に生き残っていけると考えているので。

あくまで、体力の温存を海外市場でまかなっているだけなので、海外に頼りきっているわけではありません。島根の地酒であるために、国内でもしっかりと売っていますよ。

地元の食文化とともに育ってきたので、地元で愛されるお酒であってこそ本当の地酒だと考えています。地元の人が郷土料理と合わせて美味しいと思うお酒であること。郷土料理は地方によって違うものだから、それと合わせて美味しいことこそ、地酒の個性だと思います。それがなくなったら、おもしろくないでしょう。

筆者:最後に、李白について一言お願いします。

路子さん:李白を一言で表すと「安心できるお酒」です。目立った華やかさはないが地味ではなく、輪の中で自然となじめるような。"この料理だからこのお酒"ではなく、李白だったら何を合わせてもおいしいと思いますよ。

​東京での試飲販売を終えて松江へ戻る日だったにもかかわらず、フライトまでのわずかな時間でインタビューに応じてくれました。路子さんは海外で外国人にお酒を説明し、販売する機会のため、英会話も日々勉強中とのこと。

路子さんとお話ししていると李白酒造の看板娘として誇りをもって外交的な仕事をしていると感じました。家族という特別な立場だからではなく、李白酒造を愛しているからこそなのでしょう。

​日本酒は人が造るもの。しかし酒造りをする蔵人だけが職人ではありません。路子さんのようにお酒の魅力を伝え、広めていく人もまたひとりの職人なのだと思いました。

(文/あらたに菜穂)

この記事を読んだ人はこちらの記事も読んでいます