世界中に名を轟かせるシャンパン「ドン ペリニヨン」を率いた醸造最高責任者のリシャール・ジョフロワ氏は、引退後に富山県立山町白岩に「株式会社白岩」を設立し、創設者としてその最初のリリースとなる日本酒「IWA 5」を造りあげました。

28年間に渡り、シャンパン造りに携わったリシャール氏は、なぜ日本酒の道に進むことを選んだのでしょうか。シャンパンと日本酒の共通点や、シャンパンの名手から見た日本酒の未来についてお話をうかがいました。

人生のモットーは「野心と謙虚さ」

リシャール・ジョフロワ @立山町白岩(写真提供:Nao Tsuda)

リシャール・ジョフロワ (photo by Nao Tsuda)

「日本酒は医学、シャンパンに次ぐ、第三の人生」と語るリシャール氏。フランス・シャンパーニュ地方で葡萄園を経営する一家に生まれたリシャール氏は、一度は医学の道へと進んだのち、1982年にランスの国立葡萄醸造学校に入学しました。

その後、モエ・エ・シャンドンに入社し、以来28年に渡り、「ドン ペリニヨン」の5代目の醸造最高責任者(シェフ・ドゥ・カーヴ)を務めます。

日本酒の道を志した理由は、「純粋な日本への愛」と話すリシャール氏。1991年に初めて日本を訪れたリシャール氏は日本と恋に落ち、京都の伝統的な懐石料理や精進料理を探求する中で、日本酒にも惹かれていきました。

「私のDNAにはシャンパンの血が流れていますが、シャンパンのハーモニーと、日本酒のハーモニーは根本的には同じものと感じています。ハーモニーとは普遍的であり、表現が異なろうと『すべての要素が共に意味を作り出す』という点でつながっています。そのことを確信したときに、新しい分野に挑戦したいという思いが強くなったのです」

リシャール氏は、日本酒とシャンパンのあいだには多くの共通点があると話します。

「日本酒はお米から造られ、ワインはブドウから造られる。ワインは単発酵で、日本酒はより複雑な発酵が絡んでくる。原料や技術における違いはもちろんありますが、日本酒とシャンパンは同じような口あたりと飲み心地を持っています。地球上で、こうしたフロー(口内の流れ方)を持つ飲みものはそう多くはありません」

自身がシャンパンで培った経験をもとに、日本酒に貢献したいと考えるリシャール氏。

「私にとって人生のモットーは、野心と謙虚さ。日本酒造りは初めての経験ですが、だからこそ新しい視点やビジョン、新しい野心を持って挑むことができると考えています」

醸造の場に富山県立山町を選んだ理由

立山町白岩の風景

photo by Nao Tsuda

リシャール氏が創立した株式会社白岩が位置するのは、富山県立山町白岩。背後に2,000m級の立山連峰を望む世界でも有数の豪雪地帯であり、地区名の白岩は「IWA 5」のブランド名の由来にもなっています。

リシャール氏をこの場所へと導いたのは、「満寿泉」でおなじみ富山県・桝田酒造店 代表の桝田隆一郎氏でした。長年の友人でもある建築家・隈研吾氏の紹介により、リシャール氏と桝田氏は親交を深め、富山をIWA誕生の地に決定付けました。

立山町白岩の風景

photo by Nao Tsuda

IWAの蔵は現在建設中のため、今年発売された「IWA 5」は、桝田酒造店で造られました。

「景観を大いに信奉している私にとって、ロケーション選びの最優先事項は自然とのつながりでした。醸造所は、開けた自然の中にあるだけではなく、景観と一体化している必要があるのです。

立山の水は名水として知られていますし、起業家精神にあふれ、サステナビリティの推進にも積極的に取り組む革新的な地であり、日本の外から来たに私にも懐が広い場所だと感じます」

2021年春には、建築家・隈研吾氏の設計したコンテンポラリーな酒蔵がこの白岩の地にオープンします。

「ケンゴと一緒に考えたのは、一枚屋根の醸造所です。これは以前、私たちが訪問した伝統的な農家の家屋にインスピレーションを受けています。

そこでは家主の家族、動物、人間の食糧、動物たちの食糧や作物などすべてのものがひとつの屋根の下にありました。そのように非常に合理化された、機能的な建造物を目指しています」

ブレンダーの仕事は明確な方向性を示すこと

リシャール氏が初めて造り上げた日本酒「IWA 5」は、3種類の酒造好適米(山田錦、雄町、五百万石)と5種類の酵母を用い、巧みなアッサンブラージュ(ブレンド)技術によって調合されます。

IWA 5

photo by Jonas Marguet

「私が日本酒に求めるビジョンは明確です。ブレンダーに必要なのは、素材をまとめあげる才能というよりも、明確な方向性を示すこと。強さをもたらす酵母もあれば、持続性をもたらす酵母もあるように、原料の一つひとつが特別な目的を持ち、完成するお酒に貢献しています。無数の点が集まって雲となり、日本酒をデザインするのです」

リシャール氏いわく、「IWA 5」は落ち着いたトーンとダークなアロマを備えたお酒。桃などの中心にひとつの大きな種が入っている果実、ドライフルーツ、樹木やスパイスを思わせる香りがあり、柑橘の皮やグリーンの野菜、焦がしたような風味が複雑に重なり合っています。

アッサンブラージュ

アッサンブラージュに対する確固たる哲学を持ち、複数の日本酒をアッサンブラージュするという手法を選んだリシャール氏。日本酒とシャンパンのアッサンブラージュの相違点については、「両者に違いはない」と断言します。

「日本酒の方が酸が低いとはいえ、最終的なバランスを取るという点で違いはありません。ノーズ(鼻で感じる香り)とパレット(舌で感じるアロマ)を均一化し、酸、苦味、アルコール感、塩味、うま味や流れ方を整える。それらは映画のフィルムのように、移動しながら溶け合っていくのです」

さらに、リシャール氏の理想とする日本酒では、フィニッシュが重要な役割を果たすといいます。

「ソムリエや料理人など、世界中の飲食のプロフェッショナルと話してきましたが、『フィニッシュこそがすべてである』と考えている人はたくさんいます。日本酒にもアルコールの刺激や苦味のある余韻などさまざまありますが、優れた余韻を残すことが重要です」

日本酒のプレミアム市場を広げるために

「輸出こそが日本酒ビジネスを成長させる」と考えるリシャール氏は、「IWA 5」を海外でも展開しています。

その影響は早くも広がり、「アジアのベストレストラン50 2020」第1位に輝いたシンガポールの星付きレストラン「Odette」で導入されています。同店では、これまで日本酒の取り扱いがありませんでしたが、日本酒として初めて「IWA 5」をメニューに採用することになったのです。

「私は日本酒とワインというふたつの世界を行き来できる人間です」と、リシャール氏。「IWA 5」について、日本酒ファンからのお墨付きはもちろん必要としながらも、ワインの飲み手たちにアプローチすることを重視しています。

そんなリシャール氏は、「日本酒業界が活路を見出だすためには、プレミアム商品のカテゴリーを広げていくことが重要だ」と語ります。

「1970年代、フランスのワイン業界は現在の日本酒業界と同じくらい苦戦していましたが、現在では巻き返しています。日本酒の国内での売上は落ち込んでいますが、これを跳ね返す唯一の手段はプレミアム・カテゴリーです。

日本酒におけるプレミアム市場はまだまだ小さいですが、世界の料理やワインと同じように、プレミアムの文化を構築していくべきなのです」

アッサンブラージュ中のリシャール・ジョフロワ

一方で、「日本酒は日本酒。ワインを真似しすぎるべきではありません」とも忠告します。

「日本酒は発酵の世界の中でも最も複雑で、微生物のレベルも圧倒的に高く、他の追随を許さない酒造りを行っています。ワインこそ、日本酒から学べることがたくさんあるのですから」

「日本酒の可能性は計り知れません。私は日本酒の展望にとても強気でいますし、自分のリソースとエネルギーをすべて注ぎ込むつもりです」と意気込むリシャール氏。

シャンパンの巨匠が第三の人生を賭けて挑む「IWA 5」。日本の外へ向く広い視野と力強い哲学が、世界へ飛躍する日本酒に翼を与えます。

(取材・文/Saki Kimura)

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