日本酒の魅力といえば、味わいや風味が複雑な点。ですが、その味わいを言葉にするのはなかなか難しいものです。たとえば、飲食店で注文したり、酒販店で購入したりするとき、自分が飲みたい日本酒のイメージを言葉で伝えるのに苦労するという人は多いのではないかと思います。

そんなソムリエでも表現がむずかしい日本酒の味わいや風味を、言葉のデータベースとAIを使って表現してくれるツールが「KAORIUM for Sake(カオリウム・フォー・サケ)」です。開発したのは、世界にあふれる香りを日々の豊かさとして感じられる未来社会の実現を目指すSCENTMATIC(セントマティック)株式会社

精米歩合や酒米の種類、産地などの情報ではなく、香りをもとに味わいを連想させるキーワードで提案してくれる日本酒ソムリエAI「KAORIUM for Sake」は、日本酒の楽しみ方にどのような変化をもたらすのでしょうか。

開発元のSCENTMATIC株式会社 代表の栗栖俊治さんと、「KAORIUM for Sake」の監修を務める日本酒ペアリングの名店「AKA-KUMA」の店主 赤星慶太さんに、お話をうかがいました。

日本酒の風味をAIが「言葉」で可視化

SCENTMATIC株式会社 代表の栗栖俊治さん

SCENTMATIC株式会社 代表の栗栖俊治さん

「旅先のお土産屋さんに行った際に、日本酒が100種類以上もあってとてもワクワクしました。でも、ラベルを読んでも、それがどんな味わいのお酒なのかわからない。わからないから選べず、結局、買えなかったという残念な思い出があるんです」

こう話すのは、「KAORIUM for Sake」を開発したSCENTMATIC株式会社 代表の栗栖さん。SCENTMATIC株式会社は、「世界にあふれる香りを日々の豊かさとして感じられる未来」というビジョンを掲げ、2019年11月に創業したばかりのベンチャー企業です。

同社が開発に取り組むのが、香りと言葉の変換システム「KAORIUM」です。「KAORIUM for Sake」は、その日本酒に特化したバージョンで、表現の難しい日本酒の風味を、さまざまな言葉で可視化するというもの。日本酒の香りや風味をAIが言葉に変換し、その言葉と一緒にお酒を味わうと、風味をより深くより豊かに感じられます。

日本酒の風味を言葉で可視化するKAORIUM for SAKE

「KAORIUM for Sake」のアプリを立ち上げ、日本酒メニューからある銘柄を選ぶと、最初に表示されるのは「ふくよか(黄)」「すずしげ(青)」「あたたかみ(赤)」という風味の3要素。

たとえば、「あたたかみ」を強く感じる銘柄であれば赤の面積が大きくなるというふうに、それぞれの円の大きさは、その日本酒に含まれる3要素の強弱のバランスを表現しています。

3要素のまわりには、その日本酒の味わいを連想される「マスクメロン」や「パッションフルーツ」「ライチ」などの食品の名前が表示され、さらに「風にゆれるヤシの木」や「初夏の微笑み」「魅惑的な月夜」のような情緒的なワードも並びます。

この画面をみながら実際に日本酒を飲んでみて、あてはまると思ったキーワードをタップすると、データベースに情報が送られてAIが学習し、さらに精度が上がったキーワードに更新されるという仕組みです。

画面に表示されるキーワードは、人間の感性で選んだ言葉を、小説、漫画、アニメなど、インターネットにある膨大な言語表現で修飾したもの。日本酒ペアリングの専門家として土台となるキーワードを探すのが、監修を務める赤星慶太さんの役割です。

「風味や味わいを言葉で表現するのは意外の難しいもの。唎酒師やソムリエのような訓練されたプロでなければ簡単にはできません。たとえば、『純米吟醸』は製法上の分類であって、味わいを直接表す言葉ではありませんよね。『KAORIUM for Sake』なら、その銘柄を飲んだときの味わいを表すキーワードを教えてくれますし、『さらりとした味わいの日本酒は?』のように、感性表現から逆引きで日本酒を探すこともできます」(栗栖さん)

さまざまなキーワードを提示することで日本酒を選びやすくし、味わいの解像度を高めてくれる「KAORIUM for Sake」。日本酒を飲み慣れない人でも、キーワードをたどることで好みの日本酒を探しやすくなります。

「風味の3軸(ふくよか・すずしげ・あたたかみ)の分類に加えて、食品名や風景描写などのキーワードで階層が分かれています。どのような階層の言葉に強く反応するのか、具体的な食品名に強く反応する方もいれば、抽象的で詩的な表現に納得する方もいます。人によって刺さるキーワードの傾向が異なるのが面白いですね。詩的な表現は、AI学習が最も得意とするところです」(栗栖さん)

さらに、このツールは、日本酒を楽しむ者同士のコミュニケーションのきっかけにもなるといいます。

「同じお酒を飲んでも、人によって好みが違いますし、感じ方も異なります。『KAORIUM for Sake』のキーワードを共通の話題として、日本酒に詳しい人も、日本酒初心者も、立場に関係なく対等に感想を言い合って会話が弾むことを期待しています」(栗栖さん)

「香り」で、人生の体験をより豊かに

SCENTMATICの起業前は、NTTドコモで「しゃべってコンシェル」など、AIを用いた言語解析システムのプロジェクトリーダーを務めていたという栗栖さん。シリコンバレーの会社にも出向し、スタートアップの本場・アメリカで数々の企業を発掘したという経歴も持っています。

IT業界で長らく働いてきた栗栖さんですが、ある時、「ITサービスは利便性や課題解決に特化したものばかりで、本当に人の暮らしを豊かにしているのか」と疑問を抱いたのだそう。「マイナスをゼロにするだけでは不十分。これからは人生をプラスするものに携わりたい」と、選んだのが"香り"というジャンルでした。

SCENTMATIC株式会社 代表の栗栖俊治さん

「私たちは、いうなれば"香りのビジネスをデザインする集団"です。香りを言葉で表現できるAIシステムを開発し、香りを通して今までにない体験を提供することに取り組んでいます。

五感に言葉の表現を足すことで感情を増幅させ、ポジティブな体験として記憶に残すことができれば、人生はより楽しく豊かなものになるでしょう。日本酒以外にも、フレグランスやチョコレート、アートなどのジャンルでも同様な取り組みを行っています」(栗栖さん)

「KAORIUM(カオリウム)」の名前の由来は、プラネタリウムやアクアリウムにちなんだ、「~を見る」から発想した造語だそうです。「星空や海洋生物を見るように、香りも見て欲しい」と願って名付けられました。

「『好き・嫌い』のようなあいまいな感覚でも、キーワードで示すことで、その気持ちの輪郭や自分の軸をはっきりと捉えることができます。見える世界がクリアになり、言葉で説明できるようになる。説明できるということは、感覚や感情を他者と共有できるということです」(栗栖さん)

大学生のころから、「日本酒が好きだった」という栗栖さん。ですが、多くの人たちが感じているように「何を選んだらいいかわからない」という悩みも抱えていました。

「『KAORIUM』の開発を進めている時に、これは日本酒のジャンルでも活用できるのでは、と思いつきます。味わいの9割を決定づけるのは、実は嗅覚。つまり、香りです。日本酒を言葉と結びつけることができれば、日本酒選びや味わう楽しさに新しい切り口が生まれると考えたのです」(栗栖さん)

そこで、栗栖さんが協力を求めたのが、日本酒ペアリングの名店「AKA-KUMA」の店主 赤星慶太さんでした。

「AKA-KUMA」の店主 赤星慶太さん

「KAORIUM for Sake」の監修を務める赤星慶太さん

赤星さんは、日本酒のインポーターとして、ニューヨークを拠点として日本酒をアメリカに広める活動を続け、帰国後は飲食店を経営する傍ら、酒ソムリエとして人生観をも変えるような、今までにないお酒と料理の関係を提案。日本酒の魅力をより多くの人たちに伝えている、いわば日本酒のプロフェッショナルです。

「『日本酒の風味を言葉にできますか?』というのが、栗栖さんの最初の相談でした。お酒の特徴を捉え、お客様にどう提案するかは、プロとして常に考えておくべきことだと思っていたので、とてもおもしろい試みだと感じて引き受けました」(赤星さん)

「香りで暮らしを豊かにする」というビジョンにも共感したという赤星さん。最初に取り組んだのは、500種類の日本酒に対して、その味わいを表現するキーワードや相性のよいペアリングメニューをまとめたリストの作成です。

日本酒に感じる食材の要素について、赤星さんは、ひと銘柄につき20種類ものキーワードを挙げたといいます。

「栗栖さんと議論と試行錯誤を重ねて、現在のデータフォーマットになるまでに1年弱の時間がかかりました。最初は風味の3軸もなかったんですよ。データをゼロから作り直すということもありましたね。初期のデータは抽象的なキーワードが多く、テストを繰り返しながら、飲む人が共感しやすい身近な言葉を増やしていきました」(赤星さん)

赤星さんがまとめたキーワードをもとに、さまざまな言語表現から抽出した言葉を加え、データベースが完成。「KAORIUM for Sake」ユーザーの使用履歴のデータを重ねていってAIが学習し、さらに最適な味わいの表現を表示できるよう精度を高めます。

「でも、まだまだ足りないですね。現在登録されている日本酒の銘柄は、およそ500種類。日本酒造組合中央会が把握している銘柄の数は、およそ1万5000種類ほどあるといわれていますから、データベースの拡充は引き続き進めていかなければならない課題です。

現在のバージョンは、風味の3軸(ふくよか・すずしげ・あたたかみ)の分類、食品名、風景描写と、3つの階層でキーワードを分けていますが、ゆくゆくは『金曜の夜に飲みたい』や『疲れているときにホッとしたい』など、日本酒を気分で選べるような仕組みも作りたいですね。コンテキストや文脈に沿った関連付けも、AI学習の得意分野です」(栗栖さん)

「香り」を媒介に造り手と飲み手を繋げる

「KAORIUM for Sake」は、現在、飲食店向けのアプリと、個人向けの飲み比べセットの2つの方法でサービスを提供しています。

KAORIUM for Sakeの画面

飲食店向けのアプリでは、『選びやすさ』『味わう楽しさ』『感想のシェア』を重視。お客さん自身がタブレットを使い、キーワードをたどって好みの日本酒を注文することができます。また、そのお酒が気に入ったら、同じキーワードで味わいが近い他の日本酒を探すことができます。

「飲食店といっても必ずしも唎酒師のような日本酒の専門家がいるとは限りません。そんなときに「KAORIUM for Sake」のレコメンドに沿って日本酒を選べば、好みのお酒に巡り合うことができます。料理の提案もしてくれて、たとえば『冩楽』を選んだら、それと相性抜群のメニューを教えてくれます。この部分には、ペアリングの名手である赤星さんの豊富な知見が特に活かされています」(栗栖さん)

「飲食店にとってスタッフへの教育は時間がかかるものなんです。『KAORIUM for Sake』にデータを入れておけば、お客さんへ常に最適な提案ができることに加え、スタッフ側も日本酒の風味を表すさまざまな表現を学ぶことができます。もちろん、お酒を味わうお客さん側も、ソムリエのように1歩も2歩も踏み込んで、日本酒の風味を楽しめる体験ができますね」(赤星さん)

飲食店への導入は2021年3月からはじまり、実際に「KAORIUM for Sake」を2週間導入した店舗では、日本酒の提案力が上がり、日本酒の注文数が23%、客単価が16%も上昇したそうです。

現在は全国8店の飲食店で「KAORIUM for Sake」を使ったオーダーを体験できます。

自宅で楽しめるKAORIUM for Sake

一方で、個人向けの飲み比べセットは、どのようなものなのでしょうか。

セットの箱を開けると、使い方が書かれたカードと6種類の日本酒が入っています。カードに書かれたQRコードを読み取って、スマホアプリを起動。画面の指示に従ってテイスティングを進めていくという仕組みです。

6種類のお酒のなかから「出羽桜」を選んでグラスに注ぎ、まずは何の情報を読まずに、ひとくち。続いて、風味情報をタップすると「白ぶどう」や「ライチ」という食品系のキーワードがでてきます。

お酒を味わいながら、自分が感じた味わいに近いキーワードを次々にタップしていくと、「このお酒はあなたにとって透明感があり、うまみを感じるお酒ですね」というテイスティング結果が表示されました。同じお酒を味わっていたとしても、選んだキーワードの違いによってテイスティング結果は異なるのだとか。

飲食店向けのアプリも、個人向けの飲み比べセットも、画面に表示される言葉を見ながら「自分はどのように感じるか」を確かめつつ、好みのお酒と同じ要素を持つ別のお酒を探せるという点は共通です。今後は酒販店向けのバージョンもリリース予定です。

「私たちの役割は、"香り"を媒介として日本酒の造り手や送り手と、飲む人たちを繋げること。今までにない香りの体験を購買シーンや消費シーンに実装してくことで、日本酒業界に貢献できたらと考えています」(栗栖さん)

栗栖さん

すでに、酒蔵からは「日本酒のおいしさを言葉で簡単に伝えられるようになって、ありがたい」や、飲食店からは「お客さんへの新しいサービス提供のほかに、日本酒の仕入れの参考にもなる」など、ポジティブな反響が届いているといいます。

「香り」をきっかけに、日本酒の新しい体験価値を提供する日本酒ソムリエAI「KAORIUM for Sake」。日本酒の楽しみ方を変えるであろうこのサービスの未来を期待しないわけにはいきません。

(取材・文:SAKETIMES編集部)

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