創業は寛永14年(1637年)。京都・伏見で「伝統と革新」を体現するような日本酒を造りつづける酒蔵、月桂冠。その革新の歴史において、「中興の祖」で知られる11代目当主の大倉恒吉氏が上げた功績のひとつに、日本で初めて自社に研究所を置いたことが挙げられます。

時は、明治42年(1909年)11月。設けられた「大倉酒造研究所」は、酒を腐らせる乳酸菌の増殖を防ぐ技術や加熱殺菌の条件を科学的に確立。樽詰めが全盛だった時代に「防腐剤なしの壜詰め酒」を商品化するなどの成果を残します。これ以降も、それまでの日本酒の「あたりまえ」を塗りかえ、新たな可能性を探ってきました。

さらに時は流れ、創業345年を迎えた1982年、主力の大手蔵構内に研究所棟を新築、1990年には名称を「月桂冠総合研究所」と改めました。品質の安定や向上を目指した「品質第一」を掲げ、酒造り全般にわたる基礎研究とともに、酒造技術の革新や新商品の開発に挑戦してきました。近年では日本酒で初めて「糖質ゼロ」の商品を世に送り出し、マーケットを拓いたのも記憶に新しいところです。

月桂冠の商品づくりとは、切っても切り離せない「研究」。今回はその現場に立ち、日夜、蔵人たちと異なるアプローチで日本酒に向かい続ける研究員たちに、お話を伺いました。いかにして革新のタネは生まれ得るのか。彼らの姿から、その土壌を見ていきます。

「わくわくする」研究で、会社や日本酒を変えていく

月桂冠総合研究所の秦洋二所長

現在、月桂冠総合研究所の所長を務めるのは秦洋二さん。20名からなるスタッフを、製品開発課、醸造酒類研究グループ、新規分野研究グループ、技術情報課の4グループで構成する研究所の長でありながら、自身も研究者として次世代の日本酒像を追い求めています。研究者としての考え方は、小学生のときに始めた将棋で養われたといいます。

「将棋教室で、リスペクトを持って相手に向き合うという人付き合いの根本を教わりました。そして、『絶対に勝てない人がいた』というのも良い経験です。研究においても『勝てない』と感じることがあるのですが、将棋のように明らかな勝ち負けはありません。研究なら努力で補い、近づけるんですよね」

自身の研究者としての適性が上がったと感じたのも「自分ができないことを自覚すること」と「それを努力で伸ばそうとすること」を意識したときだったそう。得意な部分を伸ばし、苦手な部分に正しく向き合う。そして、研究者として今まで誰も見つけたことのないものを見つける、という「わくわくする瞬間」を粘り強く求めていくのです。秦さんは「成果や業績も大事ですが、研究は自分がわくわくして、なりたいと思える姿に憧れなければ」と笑顔を見せます。

「わくわくする」ことが秦所長の原動力

「わくわくする」というのは、秦さんが所長として研究員に伝えるメッセージのひとつ。それを大事にするからこそ、ある程度の目標や進捗管理はすれど、細かなタイムマネジメントよりも、各々のアプローチで成果にコミットするよう時間の使い方を任せています。

「研究は、たったひとりの創造力から生まれるアイデアや素晴らしいアウトプットで、会社を変えるくらいの成果が出せる仕事です。ときに行き詰まり、苦しいときがあっても、絞り出すのが大事。なんとしてもチャンスを生み出せると思えるかどうか。プライベートの時間においても、常に心の奥底で研究に対する意識を5%でも持っておくと、思いがけず新しいアイディアが出てくることがあります。十二分に考え抜くという時間も必要ですね」

共同で研究することを大事にしている

また、月桂冠では化学メーカーの花王とも共同研究を行うなど、外部との連携も進めてきました。秦さんは「他の業界と組むことでシナジーが生まれます。例えば他企業の営業戦略は外からも見えやすい部分なので比較しやすいのですが、研究や開発は見えにくい。人材育成なども含めて、大いに参考になることがあるのです」と、そのねらいを話します。

月桂冠の社風は「あたたかい人間味」だと言う秦さん。それは個々人の人柄や、単なる"会社愛"だけに留まりません。ビジョンに共感し、次なる夢を描いていける人々が集うという意味でもあります。

「酒造業界では最も古くから研究所のある月桂冠だからこそ、先輩のDNAを引き継ぎ、酒造業界を変えるんだという思いを持って、研究にあたってほしいですね」

スタッフたちに向ける眼差しは優しいものですが、その思いは強く、芯のある言葉でした。そして、秦さん自身も現在は「日本酒のネガティブな部分を払拭する」というテーマで、飲酒後のダメージが出にくいものを研究中。「研究者の開発力と、月桂冠が培ってきた現場の技術力を組み合わせ、お互いにわくわくして取り組みたいですね」

一人ひとりが戦略に関わっていける月桂冠。ゆえに各部署が信念を抱く

製品開発課の西川久仁子さん

研究所には、前述のグループごとに研究者がおり、中には女性スタッフも活躍中です。西川久仁子さんは製品開発課で、主に日本酒やリキュールなどの商品開発に携わっています。大学院の農学研究科に在学中のOB訪問で「心惹かれた」という月桂冠。熱意があるだけでなく、現実的な仕事の部分も話してくれる姿に好感を持ったことから、入社を決めました。

「製品開発課では、商品化につながる最後の調整を行います。風味や保存性といった商品そのものに関すること、さらには製造現場、営業本部、研究開発、それぞれとコミュニケーションをとって、橋渡しをするのも役割ですね」

コラーゲンを1000mg配合した「キレイ梅酒」

西川さんには思い出深い商品がひとつあります。コラーゲンを配合した「キレイ梅酒」を入社3年目で手がけた際、当初は製造現場の負担が少ない設計でリリースするも、次第に売上が伸び悩んできました。営業本部から「味わいのリニューアルを」と求められたことから、改めて飲む側の声を取り入れて再設計。しかし、売上は持ち直したものの、今度は製造現場の負担が大きくなってしまったというのです。製品開発という仕事のバランスの難しさを痛感します。

「月桂冠には、部署間の横の関係でも、部署内の上下の縦の関係でも、意見が言いやすい風土があります。各部署、各人が信念をもって協議して物事を決めていくことが多くあります。やりたいと願う人の声が通ることもあるし、時にはとことん話し合うこともある。ただ、そもそも"気持ちで通ることもある"というのが、この規模のメーカーでは珍しいですよね(笑)。『月桂冠はちょっと大きな地酒メーカーではないか?』と思えるくらい、変えていく際のスピード感や決断は早いですね」

将来を見つめた多様な視点からの研究。それが革新的な商品につながる

新商品開発や酵母の解析、新規技術の開発にも取り組む根来宏明さん

「大学生のときに日本酒を好きになって、これは面白いなぁ、と思ったんです。それで大学院では微生物関係の研究に進むことにしました」

新商品開発や酵母の解析、新規技術の開発にも取り組む新規分野研究グループの根来宏明さんは、大学院を経て月桂冠に入社。酒にまつわる研究対象の面白さを、意気揚々と教えてくれました。

「微生物はいまだに、明らかになっていないことが多いんです。調べていくほどに、わからないことが出てくるという繰り返し。酒造りにまつわることは、あらゆるネタが研究対象となるので面白いですね」

月桂冠総合研究所では、直近の商品開発につながるような研究だけではなく、研究員それぞれが展望を持って研究対象を決めることもできるといいます。根来さんも過去には「酵母のゲノム解析」に5年近くをかけた経験があります。

「研究段階では、将来的にすぐ使える実験ではありませんでしたが、それでも上長と会社からGOサインを出してもらえました。将来を見つめた多様な視点からの判断が下されるのはありがたいですね。他の企業では『半年や1年で成果を求められることが多い』と聞きますが、そうなると必然的に研究対象もその期間で考えてしまいますから」

月桂冠が開発した糖質0の日本酒

根来さんが手がけた「酵母のゲノム解析」は、清酒において酸味を作りだす酵母の発見を通じて、新しい酵母を育種する成果につながりました。それも、スタート時には想定していなかった成果です。「月桂冠が先駆けて発売した『糖質ゼロ』、『プリン体ゼロ』も研究としては5年ほどの期間を費やしていました」と根来さん。

「研究所には、自分から興味を持って『やりたい』と意見を出すことができる雰囲気があります。今後も、自分がやりたいと思うことで、なおかつ会社のためになる研究をしていきたいですね。次は日本酒に慣れていない人でも飲みやすい日本酒を造ってみたい。たとえば、アルコールが強くないけれど、日本酒の旨味が楽しめるようなものがあれば、日本酒を好きになる人も増えるのではと思うんです」

来たるべきAI社会で、日本酒造りは変わるのか?

最も若手な村上直之さん

今回、お話を伺った中で、最も若手の村上直之さん。現在は醸造酒類研究グループに所属し、酵母や麹菌といった醸造に関係する微生物の研究をメインに担当しています。「父が日本酒好きだったこともあって、発酵工学の道に進みました。飲むのは僕も大好きで、もっと美味しいものを造りたくなったんです」

月桂冠の入社前、就職面接の際に感じたのは「親近感」だったといいます。「話しやすいだけでなく、面白い発想をするような人を探している印象でした。こちらの良いところを引き出そうとしてくれる面接でしたね」と話す村上さん。入社1年目の研修としてさまざまな部署を経験した際にも、その第一印象は裏切られることはなかったといいます。

しかし、いざ研究所に入ると、研究成果に厳しく、皆、それぞれがお酒に対して強い思いを持って日々を過ごしており「仕事と学業の違いを感じた」と背筋が伸びたそう。

「研究は私の『仕事』でもありますが、私にとっての新しいチャレンジでもあり『自分のやりたいこと』になっています。秦所長からも『やりたいことはなに?』と目的をしっかりさせることをよく問われます。秦所長は研究所のあるべき姿として、原理原則を突き詰めるという姿勢を話されますが、それはまさに根幹なんだと思います」

AIを用いることも検討している

村上さんは今、酵母や麹菌そのものの研究だけでなく、分析方法の研究を進めています。もろみや清酒中のさまざまな物質の反応を、主観的にではなく数値で表すのです。数値データで表すことができれば、今後、AIが現場に投入される時代が来た際にも役立つのではないかと展望を語ります。

「AIを活用することで、これまで以上に繊細な制御で、より高品質な酒造りができるようになります。一方で人間は、AIを活用してさらなる新しい酒造りにチャレンジするなど、より高度な業務に力を振り向けられます。最近は工学系の学生も工場見学に訪れるので、AIという自分たちの研究を活用した酒造りもイメージしてもらえるようになればと思うんです」

これから造りたいお酒のアイデアを聞いてみると、日本酒が大好きだという村上さんらしく、次々に口を衝きました。

「個人的には貴腐ワインのようなデザートとして飲めるお酒も造ってみたいですね。それから、日本酒業界ではご法度といわれますが、酒の香味として好まれないオフフレーバーを活かした酒も試してみたい。海外の方に意見を聞くと、ダイアセチルからくるチーズ香などがむしろ好まれている傾向もある。昔から言われる『良くないもの』が、現代なら日本酒に新しい楽しみ方を与えるかもしれません」

月桂冠総合研究所の外観

月桂冠の「伝統と革新」に欠かせない研究開発。大倉恒吉氏の想いを受け継ぎ、現在も各々の研究員が日本酒と向き合う日々が浮かんでくるようでした。その源泉は、秦所長の言う「わくわくする」という純粋なマインドにあるのでしょう。

誰にお話を伺っても、それぞれの問いと答えを持つ月桂冠の研究員たち。彼らのアイデアが尽きることのない限り、日本酒は発展し続ける。そんな確信を胸に、彼らが生み出した「糖質ゼロの日本酒」を、オンザロックでいただきました。

(取材・文/長谷川賢人)

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