かつて、"幻の酒"と呼ばれるほどの人気を誇った、新潟県・石本酒造の「越乃寒梅」。
すっきりとした透明感とキレのある味わいで、淡麗辛口と評される新潟県の日本酒を代表する銘柄のひとつです。1970年代に起こった第1次地酒ブームを牽引した日本酒で、当時の日本酒ファンを魅了し、現在も多くの愛飲者を抱えています。
近年の動きに目を向けると、2016年に、実に45年ぶりとなる新商品「灑(さい)」をリリースするなど、新しい提案にも意欲的に取り組んでいます。
変化し続ける日本酒産業において、「越乃寒梅」はどのような挑戦をしているのでしょうか。2003年に社長となった4代目の石本龍則(いしもと・たつのり)さんに話をお伺いし、経営体制が変わってからの20年間について掘り下げます。
順風満帆の中で抱いた危機感
石本酒造の創業は1907年。「農作業に励む亀田の人々に喜んでもらえる酒を造る」という信念のもと、基本に従った丁寧な酒造りを続けてきました。酒蔵の当主は、創業家である石本家が代々継承し、現在の石本龍則さんで4代目となります。
石本さんが社長に就任したのは2003年。父であり先代の龍一さんは存命でしたが、「親の背中を見られるうちに引き継いだほうがいい」との方針で、36歳の時に跡を継ぎました。
当時は石本酒造の製造量がピークを迎えた頃で、需要に対して供給が追いつかない状況。全国の酒販店から毎日のように取引を依頼される中で、「越乃寒梅」の看板を引き継ぐことにプレッシャーはなかったのでしょうか。
「大きな責任を感じながら、がむしゃらにやるしかありませんでした。ただ、どれだけ真似しようとしても、父と私は違う人間。同じものはできません。それは、先代と先々代もそうだったはずです。
だからでしょうか、父は『自分の信じた味を突き詰めなさい』とよく言っていました。きき酒をする時は必ず『どうだった?』と、私に意見を聞いてくれました。いま思えば、それが石本酒造の蔵元としての教えだったのでしょう」
全国から寄せられる期待に応えるべく、社員一丸となって美味しい日本酒を造ることに集中する日々。売上は右肩上がりで順風満帆のように見えましたが、石本社長は危機感を抱いていました。
「酒販店との直取引で、しかもありがたいことにひっきりなしに依頼をいただいていたので、こちらから営業をするという発想がなかったんですね。しかし、そのスタイルを続けてしまうと、市場の実態と社内の感覚がかけ離れていってしまうのではないかと感じていました」
また、"幻の酒"の評判を使って「越乃寒梅」を高額で転売するブローカーの存在にも危機感を抱きました。県内に出荷したはずの商品の空瓶が戻ってこない。お客さんから「値段が高すぎる」と苦情が来る。それは、商品が正規ルートから外れ、目の届かないところで流通していたために起こったことでした。「うちの商品はどこに行ってしまったのか」と不安を募らせる一方で、新潟県も日本酒ブームが落ち着き、さらに消費者の嗜好が多様になったこともあり、売り場が縮小していくのを目にするようにもなります。
「新しいファンを求めて他の酒蔵がラベルを一新していましたが、うちは昔ながらの3点貼りで見た目の印象も古いまま。県外の酒蔵が新潟県の日本酒を追い越そうと切磋琢磨していく中で、取り残されてしまうのではという恐怖がありました」
「越乃寒梅」をまだ知らない人に届けるための変革
そんな状況を打破するためには、これまで石本酒造になかった、営業やマーケティングを担う、商品を売るための人材が必要と感じた石本社長。頭の中に浮かんだのは、かねてからの知人だった竹内佑介さんでした。
石本社長の説得もあって竹内さんは入社を決めますが、教育や人材サービスの仕事に長く従事してきた竹内さんにとって、日本酒業界はまったくの未経験。だからこそ「越乃寒梅」の実情を知りたいと、入社してすぐにマーケティング調査にとりかかります。
「石本酒造がどう思われているかを知りたいと思い、消費者にアンケートを取ったんです。そこで見えてきたのは、飲み手はいろいろな日本酒を楽しんでいるということ。地元の熱烈なファンに話を伺っても、『越乃寒梅じゃないとダメなんだよ』という意見が大半だったので、認識のずれを感じました」(竹内さん)
中には「越乃寒梅」をまったく知らないという人もいることがわかり、新しい飲み手を意識した商品開発の必要性を強く感じるようになりました。そこで、「越乃寒梅」の商品ラインナップのほとんどがアルコール添加の日本酒だったことから、竹内さんは純米酒も造ってみてはどうかと提案します。
石本社長は「いろいろなタイプの商品を造るのではなく、いまあるものをいかに美味しくするかが重要」と考えていましたが、蔵人からも「『越乃寒梅』なら、純米酒はこんなふうに造る」というメッセージを世の中に示したいという声があがったため、純米酒の商品開発を快諾しました。
それが、石本酒造の45年ぶりの新商品となった「灑」です。「越乃寒梅」が培ってきた淡麗辛口の路線にありながらも、やわらかな米の旨味を感じる味わいは、新しい飲み手だけでなく、これまでのファンからも好評でした。
「これから長く愛飲してくれる人を増やさないといけない中で、『灑』は新たなきっかけになるのではと可能性を感じました。私たちは、アルコール添加を得意としてきましたが、『うちの純米酒はこれ』という提案ができるようになり、結果的にこれまでの『越乃寒梅』を知ってもらう入口にもなっています」(石本さん)
また、未来のファンをつくっていくために取り組んでいる、20歳を迎える新潟市在住の方々に向けた特別な「越乃寒梅」をプレゼントする企画も、竹内さんのアイデアを受けて、石本社長がゴーサインを出しました。
例年、プレゼントされる日本酒には、20歳を迎えた自分自身と、家族や恩師などの人物が描かれた合計16枚のシールが同梱され、それらを自由に組み合わせて貼り付けることでボトルが完成します。3年目を迎える今年は、3,000人近くの応募があったのだとか。
他にも、同じような色合いで違いがわかりづらかった商品のラベルを一新するなど、お客さんの視点に立ったさまざまなアップデートを進めました。石本社長は、そんな竹内さんの働きぶりについて、凝り固まった考え方をほぐして、社内外の情報の流れを改善してくれる存在だと評価します。
とにかく自分が納得できる日本酒を追求する石本社長と、その日本酒をより良い方法でアピールする竹内さん。ふたりの関係性は「越乃寒梅」を着実に進化させています。
「越乃寒梅」は、だれかの誇りでありたい
「全員に好かれなくてもいい。たったひとりでも美味しいと思ってくれる人がいたら、それで満足なんです」
インタビュー取材の間、自身の思いを何度も口にした石本社長。刹那的なトレンドに流されることなく、自身が心から納得するもので勝負したいという思いは、1907年の創業以来、代々の当主がかたくなに守り続けた石本酒造のポリシーそのものです。
「私は、お客さんの喜びが価値となって、新しい市場が拓かれていくのだと信じています。『越乃寒梅』は、飲んだ方にとって、その美味しさが誇りになるような日本酒でありたい。『越乃寒梅』に対する誇りが、新潟県や日本酒など、他のものに対する良い誇りにも連鎖していったら素敵じゃないですか」
その上で、「灑」のような新たな挑戦にも意欲的でいたいとも語ります。そのひとつが、数年後のオープンを目指して構想中の拠点施設。「越乃寒梅」の販売だけでなく、地元の名産品などを提供する飲食スペースなども併設する想定で、観光スポットとして期待が高まるプロジェクトです。
「地元の方々と協力しながら、人が人を介して喜びを伝えていく場にしたい」と夢を語る石本社長。その横顔を見ながら、「社長が考えていることを、ひとつずつ実現していきたいです。『越乃寒梅』には、まだまだやれることがたくさんありますから」と力強く宣言する竹内さん。未来を見据えた取り組みはすでに始まっています。
第1次地酒ブームの旗手となり、40年以上にわたって高い人気を誇ってきた「越乃寒梅」。特に龍則さんが社長に就任してからの20年間は、日本酒に対する価値観が大きく変わった過渡期だったゆえ、さまざまな苦悩にも苛まれました。しかし、「小手先でなく、精魂込めた酒造り」という代々の姿勢を実直に守り続けたからこそ、ブランドとしての安心感をゆるぎないものにすることができたのではないでしょうか。
かつて「越乃寒梅」を世に知らしめた2代目の省吾さんは、酒造りを後ろ向きに進むボート競技に例え、「見えないゴールに向かって懸命にオールを漕ぐようなもの」と語ったそう。手探りでも信念を曲げない実直さを武器に、石本酒造はこれからも進み続けます。
(取材・文:渡部あきこ/編集:SAKETIMES)
sponsored by 石本酒造株式会社