楯の川酒造は、およそ10年前から、製造するすべての日本酒を純米大吟醸酒とし、精米歩合1%の「光明」を発売するなど、他の酒蔵にない独自の戦略で存在感を示してきました。また、海外輸出も積極的に行い、国内外で人気を博しています。
山形県酒田市に本社を置く楯の川酒造ですが、社員の中には山形県外でリモートワークで働いている社員も複数います。日本酒業界では、リモートワークはまだ馴染みが薄いですが、どのような働き方をしているのでしょうか。
話をうかがったのは、東京での採用を経て、現在は沖縄県の石垣島へ移住して日々の業務を行なっている海外事業部の小畑直美さん。小畑さんが実践する新しい働き方には、これからの日本酒業界に必要なヒントがたくさんありました。
カナダ留学で、日本酒の魅力に目覚める
─ 楯の川酒造で働く以前は、どんな仕事をされていたのですか。
岐阜県の出身で、大学進学をきっかけに千葉県に住み始めました。卒業後は都内の大手コーヒーチェーンや外資系広告会社で働いていましたが、本格的に英語を勉強してキャリアアップしたいと考え、29歳のときにワーキングホリデーでカナダへ留学しました。
日本酒に興味を持ったのは、留学先の貿易に関する資格試験の課題で「日本酒の海外展開」というテーマでレポートを作成したのがきっかけです。
お酒を飲むことはもともと好きだったので、日本酒なら悩まずに書けそうだと思いました。海外市場のリサーチを行いレポートを書き終えたころには、日本の伝統文化である日本酒の素晴らしさに触れて、「日本酒の魅力を世界中の人にもっと知ってほしい」という思いが強くなったんです。
そして、バンクーバーにあるSAKEの醸造所「Artisan SakeMaker(アーティザン・サケメーカー)」で、インターンシップとして働きました。特に求人があったわけではなく、公式ページの問い合わせフォームから「働きたいです。面接させてください!」と直接連絡したんです。
─「Artisan SakeMaker」では、どのような仕事をしていたのですか。
醸造所のテイスティングルームで、日本酒の基礎知識について説明しながら、実際にテイスティングしてもらったり、醸造所のツアーガイド、ファーマーズマーケットでの酒粕を使用した化粧品の販売なども行っていました。
海外の方々が、SAKEについてどのように感じているのかを知る最初の機会になりましたね。日本酒がハードリカーの一種だと思われていたり、お米からできていることに驚かれたりと、さまざまな発見がありました。
とはいえ、当時は自分も日本酒の知識がなく、さらに英語での説明はハードルが高かったです。通信教育で国際唎酒師の資格を取ったり、「日本酒の伝道師」として知られるジョン・ゴントナーさんの「Sake Professional Course」を受講したりと、勉強を重ねていきました。
「Artisan SakeMaker」は、日本式の水田で稲を栽培して現地醸造をしている、海外では稀有な醸造所でした。ここで働いた経験は今も私の糧になっています。
─ その後、日本に帰国されるのですね。
帰国後は、ご縁があって、訪日外国人向けの日本酒バーの新規オープンプロジェクトなどに携わっていました。その中で、次第に「酒造メーカーで働いてみたい」という思いが強くなったんです。
そこで、まずは都内で求人募集をしている酒蔵はないかと、インターネットで情報収集を始めたんですが、そのころはホームページがない酒蔵も多く、なかなか情報を得られない状況でした。
楯の川酒造との出会い
─ 楯の川酒造のことは、どのように知ったのですか。
友人の家族が経営している飲食店でおすすめされて「楯野川」を飲んだのがきっかけで楯の川酒造のことを知りました。
調べてみると、ホームページにはビジョンがしっかりと書かれていて、純米大吟醸酒に特化していることや海外展開を積極的に進めていること、他の酒蔵にはないマーケティング戦略を掲げていることが印象的でした。
「チャンスがあるなら働いてみたい」と思っていたら、ちょうど海外営業の担当者を募集していたんです。ただ、求人の条件に「中国語が扱える人」という項目があり、普通に応募しても難しそうと感じていました。
するとタイミング良く、都内で開催される試飲会に楯の川酒造が出店することを知りました。ブースを訪れたところ、運良く海外担当の社員と話をすることができたんです。思い返すと、とても変なお客さんだったと思います(笑)。
でも、その熱意を認めてもらい、社長とのオンライン面接を経て、2015年に楯の川酒造に入社しました。社長と直接会えたのは、入社後の本社研修のときが初めてです。
─ 現場を直接見ないままの入社に、不安はありませんでしたか。
会社のビジョンがしっかりしていて、創業から100年以上も続いてる老舗企業だったので、その不安はあまりなかったです。むしろ、酒蔵で働けることのワクワク感のほうが強かったですね。
楯の川酒造では、2010年ころから、関東エリアのシェア拡大のため、すでに東京都内でリモートワークの体制を整備していました。
入社後は、国内営業と海外営業を半々くらいで経験しながら、仕事を覚えていきました。
沖縄県は、海外展開の前線となる場所
─ 東京都内でしばらく働いた後に、沖縄に移住したのですね。
2019年1月頃に、今後の輸出事業の拡大を考える海外担当の責任者になることが決まり、2019年6月に正式に海外統括に任命されました。海外取引の割合が特に大きかったのは、中国・香港・台湾などの東アジアの国々。そこで、それらの国の輸入代理店ともっと近い距離で、コミュニケーションの頻度を増やしていこうというのが、沖縄県に移住した一番の理由です。
石垣島へ移住したのは、2019年5月です。石垣島は香港や台湾への直行便が出ていて、香港なら約2時間、台湾には約1時間で行くことができます。コロナ禍の以前は海外出張も多かったので、香港や台湾を経由して別の国へ移動するときにも、石垣島の立地は便利でした。
また、都内にいたときよりも離島のほうが仕事に集中できている気がします。海が見える開放的な場所で働けるのは、自分にとってはオンとオフのバランスが取りやすいので良いですね。石垣島は雰囲気がのんびりしていてストレスがほとんどなく、自由に過ごせています。
デメリットは、離島なので、本社から商品のサンプルを送ってもらうときに日数がかかってしまうことですね。
都内であれば、山形県からの荷物を翌日に受け取ることができますが、石垣島の場合は約1週間は見ておいたほうが良いです。季節によっては台風の影響を受けることも少なくないですが、それも事前にスケジュールをしっかりと組んで管理しておけば問題なく対応できますよ。
─ ちなみに、石垣島には以前から由縁があったのですか。
それがまったくないんです(笑)。2019年の始めに、初めて旅行で訪れたときに新居を決めてしまいました。石垣島は移住者が多いエリアなので、その点も安心材料のひとつでした。
移住することについては、会社への報告は事後になってしまいましたが、社長に移住のメリットを含めて相談したら、特に反対もなくすんなりと許可をもらうことができました。
もともと普段の仕事はリモートワークで進めていましたし、私の担当領域はグローバルマーケットだったので、社長も承諾してくれたのだと思います。
─ 1日の仕事のスケジュールを教えてください。
普段の仕事は、商談と事務作業が多いです。午前中は資料の制作や輸出スケジュールの確認・調整、海外からの問い合わせの対応など。営業部の定例ミーティングにはオンラインで参加しています。
午後は、取引先との打ち合わせや商談、各国の案件対応や海外市場の動向チェックなど。世界各国のコロナ禍の状況把握も、最近増えた仕事のひとつですね。
現在、楯の川酒造では、東京都に3名、神奈川県(逗子市)に1名、沖縄県(石垣島)に1名と、私を含めて5名の社員がリモートで働いています。
チャットやメールでのやりとりが多くなりますが、文章だけのコミュニケーションだと、自分の思いと別の捉え方をされてしまったり、自分の感情とは違う印象に見えてしまったりすることも少なくありません。そのため、オンライン会議などの顔を見て話す機会や電話で直接話す機会を意識的につくるようにしています。
─ 今後、日本酒業界でもリモートワークが広がっていくと思いますか。
日本酒産業には「酒造り」以外の仕事もたくさんあるので、リモートワークに寛容になることで職種が増え、働き手の多様化にもつながると思います。
私のような営業だけでなく、ウェブサイトの運営・構築やプロダクトデザインなど、特化したスキルのある方がもっと活躍できる余地のある業界だと考えています。
日本酒のような伝統産業には、インターネットやデザインに関する知見がもっと必要です。そのような新しい人材を確保するためにも、リモートワークは有効な手段です。
楯の川酒造は、早くからリモートワークの体制を構築していましたが、他の酒蔵さんでも活かせる施策だと思います。
現地に行けないからこそ、今できることがある
─ 新型コロナウイルス感染症の影響はありましたか。
海外への渡航が難しくなり、環境は大きく変わったと感じます。ただ、コロナ禍の今だからこそできることもあります。
最近も、楯の川酒造の日本酒を取り扱ってくれている海外ディストリビューターといっしょに、オンライン酒蔵見学やテイスティングイベントを実施しました。
このようなオンラインの企画はコロナ禍という状況でなければ生まれなかったかもしれません。実際に現地に行かなくてもできることが、まだたくさんあるのではないかと思います。
─ コロナ禍をきっかけに、新しいことを仕掛けやすくなったのかもしれませんね。
海外事業の推進にはたくさんの出張費が必ずかかりますし、せっかく現地に行くならば「すぐに成果を出さなければ!」と、営業やプロモーションも、どうしても短期的なスパンで考えがちです。しかし、コロナ禍になって海外出張が難しい状況が続くと、今後の海外展開を長期的に考えることができるようになりました。
ただ、日本酒の魅力を伝えるには、味わいを知ってもらうリアルな体験の場が必要です。
その点に関しては、現地の代理店や販売店のサポートが大事。各国での認知度はバラバラですから、ただ単に「日本酒を広めたい」という要望を伝えるだけでは、うまくいかない部分もあります。各国の市場に合わせて戦略を変えていかなければいけません。
現在、各国で啓蒙活動をしてくれる方々のおかげで、日本酒の認知度が少しずつ広まってきているのを感じます。しかし、世界での日本酒のシェアは、ワインなどと比較しても、ほんのわずかな割合しかありません。
私たちが現地へ行けない状況が続いている今、それぞれの国で日本酒の魅力をきちんと説明し、さらに飲み手への教育もできる人材がもっと必要です。
ワインが日本国内でも人気になったのは、有名なソムリエの方々がアンバサダーとして広めていった背景があります。日本酒も、各国の国民性などを理解しているローカルの方で、日本酒の味わいだけでなく文化や歴史も伝えてくれるアンバサダーがもっと増えていくことで、認知度がさらに高まっていくのではないかと思います。
常に先を見ているからこその柔軟な対応力
山形県の酒蔵の社員が、沖縄県に移住して、リモートワークで海外に日本酒の魅力を広める。
このフレーズに特別なものを感じて始まったインタビューでしたが、その中身は、まさに革新的。約10年も前からリモートワークの環境構築を進めてきた先見性のある楯の川酒造だからこそ、新たな海外展開にも、苦しいコロナ禍の対応にも柔軟に対応できているのではないでしょうか。
沖縄県は人件費や固定費が安価なことからアウトソーシング先としても選ばれやすい土地ですが、小畑さんのように海外展開の拠点としての移住は新しい発想でした。
楯の川酒造の佐藤社長は、リモートワークを積極的に導入する理由について、「場所を選ばない勤務体系を構築することで、本社近郊に在住の方だけでなく、日本全国または世界中の方に勤務してもらえるような仕組みを作るため」と話しています。
日本酒という、その土地に強く結びついた産業でも、遠く離れた場所で仕事ができる。楯の川酒造が積極的に進めるリモートワークは、日本酒業界にとっても、働き手にとっても、未来を照らす明るい話題でした。
(取材・文:長谷川賢人/編集:SAKETIMES)