いろいろ試して、あらたにお気に入りのお酒を見つけたい。とはいえ、何にしたらいいのか迷ってしまう…。

「お店の人に聞くのが一番なんじゃない?」「それもそうだけど、スペックを見ればいいんだ。日本酒度が+5以上なら辛口、それ以下は甘口。アミノ酸と酸度が高いとくどくなる。日本酒度が+5前後で、アミノ酸度と酸度も1.5以下だと飲みやすいらしいよ」

こんなやりとりを見たことはありませんか? 今回は"日本酒のスペック"との向き合い方についてお伝えします。

あえてスペックを非公開にしたお酒

先ほどの会話のように、スペックはひとつのものさしになる一方、固定観念から新たな味わいのお酒との出会いの妨げになってしまう可能性もあります。そうしたことを案じ、生み出されたのが鯉川酒造株式会社(山形県)の「鯉川 特別純米 黒鯉川 BLACK KOIKAWA(以下、黒鯉川)」です。

山形原産の幻の米「亀の尾」を昭和56年から復活栽培。地元産の酒米が積極的に用いられる鯉川酒造の純米酒は、体に染み渡るしみじみとした旨味と、キレの良さが印象的で、本シリーズもそのひとつです。

裏ラベルにかかれているのは、「数値は先入観になるのであえて記載しません。楽しく飲んでいただきたく 蔵元」というメッセージのみ。蔵に問い合わせても、詳細は門外不出。ネットで調べても、何種類かの純米吟醸酒、純米酒をブレンドしていることしかわかりません。

ワイン業界に従事したあと実家の酒蔵へ戻った、鯉川酒造の11代目当主・佐藤一良氏は、本銘柄について次のように語ります。

「セパージュ(ブドウの品種名)が違えば、スペックも異なります。純米酒も同じように、使用米の違いはもちろん、同じ品種でも毎年品質が異なり、酸が出やすかったり、アルコールが出なかったりと様々なことが起きます。それを語る上でスペックが必要だと言われれば、その通りです。しかし、感性で召し上がっていただくのも、大切なのではないかと考えて『黒鯉川』を発売しました」

「黒鯉川」を飲み、味わいについてのさまざまなコメントを耳にして、一人でニヤニヤしながら楽しんでいる。そんな“腹黒い性格”こそ、「ブラック=黒鯉川」の由来だとか、そうでないとか…。本銘柄は、佐藤当主が気に入った仕上がりにならなければリリースせず、またこのシリーズならではの“スゴイ仕掛け”がしてあるのだとか。いったいどんな仕掛けなのか、飲みながら想像が膨らみます。

さらに「『日本酒度+○だから辛口だ』というのではなく、辛さが先にくるけれど、甘い余韻があるので、これは○○と合わせて飲むと美味しい」といった風に、料理を絡めながら酒を語る方が一人でも多く増えてほしい」と佐藤当主。「醸造酒は料理に合う」という信念のもと、米の旨味を存分に引き出し、適度に熟成させ、燗に適した純米酒を造ってきた思いがうかがわれます。

ブラインドで試してみると新たな発見が?

以前、冷やで吟醸酒を愉しんでいる方から「日本酒度は?使用酵母は?」と聞かれ、どうして知りたいのか佐藤当主が尋ねたことがありました。

すると「これからの時代は日本酒度が-1〜+3ぐらいで、華やかな香りがでる酵母を使い、酸度○○でアミノ酸度が○○ぐらいの酒がいいんですよ」と言われたそう。佐藤当主はその時のことを「お好きな日本酒の裏ラベルに記載された数値を覚えていらっしゃってのことでしょう。けれど、同じようなスペックで、同じような味の酒で、造り手もお客様も何が楽しいんだろうと感じてしまいました」と振り返ります。

「ドイツワインは糖度で酒を分類するので、甘口〜辛口(ドライ)がわかるようになっています。その他の国のワインでも、甘口辛口表示があっても数値(日本酒度のようなもの)を記載しているところはないはず。だからこそ、ワインの味を自らのテイスティングで語る、ソムリエという職業がなりたつのでしょう」

佐藤当主の言葉に鑑みると、ソムリエとは、日本酒の世界ではさしずめ"お燗番"と言えるでしょう。お燗番は、季節柄や気温などによって変化するお酒1本ごとのコンディションを踏まえ、飲み手の好み、料理や肴との組み合わせ、全体の流れなどを考慮しながら、提供温度も含めて最適な状態でお酒を供するのが仕事です。そうした道先案内人の薦めで、白紙の状態でお酒を楽しんでみてはいかがでしょう。スペックで呑むのとは別の世界、発見があるかもしれません。

スペックで判断するのではなく、答え合わせの感覚で

「純米鯉川六年古酒H21BY」は、「黒鯉川」と同じく日本酒度・酸度・アミノ酸度の記載はないものの、山形県庄内町産米「亀の尾」「いのちの壱」が使用米であることは表示されています。ほんのりと古酒を感じさせるカラメルのような味わいが心地よく、燗にすると旨味が引き出され、滋味がより感じられます。「黒鯉川」との共通点はどこだろう?違う点は?スペックがわからないからこそ、様々な憶測が飛び交います。

「鯉川酒造では、『亀の尾』をメインに純米吟醸や純米大吟醸を醸しています。地酒を造るには、地元米で醸すことが大切。全国新酒鑑評会で金賞を狙うために『山田錦』を使った酒をタンク一本だけ製造していますが、地元米で賞が狙えるのなら、変更するつもりです。亀の尾を使い、完全発酵させて熟成させると、燗酒に合うふくよかな純米酒になるんです」と佐藤当主。酒造りへの真摯な姿勢が伺えます。

一方で、鯉川酒造では一部スペックを明らかにしているシリーズもあります。

「鯉川 特別純米酒H27BY」は、日本酒度+12、総酸度1.3、アミノ酸度0.9、精米歩合55%。未熟なバナナのような香りがあり、切れがいいお酒です。日本酒度がプラスに高いと"辛い酒"とイメージしたり、高精米だと香りが立ち過ぎたりといった想像するかもしれませんが、この「特別純米酒」は、きりりとした中に、ふんわりとした甘さもあり、微妙な渋味・酸がアクセントになっていて、複雑な味わいが絡み合います。香りも控え目です。

さらに、飲む温度でも感じ方が変わります。

私が燗番をつとめる「燗酒嘉肴 壺中(以下、壺中)」では、通常、この特別純米酒を53度前後で提供していますが、冷酒、冷や(常温)やぬる燗にすることもあります。同じお酒ですから、当然スペックは一緒です。しかしきりっとした味わいが先にきたり、柔らかな印象が広がったり、温度によって味わいが異なるのを体感していただけるはずです。

このほか「純米吟醸 亀治好日 限定うすにごり酒H27BY」は、日本酒度+5、総酸度1.4、アミノ酸度0.9、精米歩合55%。山形県鶴岡市・井上農場の「亀の尾」を使用しています。にごり酒といっても、その名の通り、うっすらとしたにごり加減で、すっきり柔らかく、旨味が優しく伝わってきます。

この「限定うすにごり酒」と、上記「特別純米酒」の2本をスペックで比べてみると、日本酒度が大きく違うほかは、総酸度とアミノ酸度はほぼ同じです。「壺中」では、この両者の"同じ温度帯での飲み比べ"もお楽しみいただけます。

裏ラベルのみならず、製造蔵そのものも伏せてみるのも面白いでしょう。「この蔵の酒は、こんな味」という先入観なく飲んでみると、別の顔が見えるかもしれません。同じ蔵の同じシリーズでも、醸造年度が違えば、スペックも違います。ブラインドで味見してみたあと、蔵名・シリーズ・スペックから想像する味わいと同じだったかどうか、答え合わせをしてみる。そんな飲み方も一案です。

(文/伊藤 理絵)

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