ワイン業界でよく語られる「テロワール」という言葉は、ブドウが育った地域の気候や土壌、地形、水など、土地の特徴を表現するときに使われます。
一方で、日本酒は多くの場合、米を育てた地域と酒を醸す場所が異なるため、原料米の育った気候風土を日本酒と共にアピールすることは少ないのが現状です。しかし、その風潮は変わりつつあります。
本記事では、酒米を自家栽培する酒蔵で結成された「農!と言える酒蔵の会」の設立お披露目会の様子と、日本酒におけるテロワールの捉え方についてお伝えします。
造り手の目線から「米作り」を追求する
「農!と言える酒蔵の会」の理事であり、酒類ジャーナリストの松崎晴雄さんは、団体設立の経緯と目的を次のように話します。
「酒米の種類が増加し、飲み手も原料米を重視して商品を選ぶことが増えていますが、酒造りと米作りの関係を技術的に明らかにする取り組みはまだまだ少ないのが現状です。
日本酒にとってのテロワールとはなにか。これを語るには、酒米が育つ産地の気候や土壌など、原料米が育つ土地の特色と酒造りがどう関係しているのかをより詳しく知っていかなければなりません。
そこで、造り手の目線から米作りを追求しようと結成されたのが『農!と言える酒蔵の会』です。当会では、自家栽培を行う酒蔵が共同で酒造りと米作りの関係を研究し、酒蔵間の情報交換や、売り手や飲み手に向けた情報発信を行っていきます」
「農!と言える酒蔵の会」設立会員酒蔵は以下の12蔵です。
理事蔵
- 泉橋酒造株式会社(神奈川)「いづみ橋」
- 関谷醸造株式会社(愛知)「蓬莱泉」
- 秋鹿酒造有限会社(大阪)「秋鹿」
- 丸本酒造株式会社(岡山)「竹林」
会員蔵
- 株式会社ーノ蔵(宮城)「ーノ蔵」
- 有限会社仁井田本家(福島)「仁井田自然酒」「穏(おだやか)」
- 合資会社大和川酒造店(福島)「彌右衛門」
- 株式会社高橋庄作酒造店(福島)「会津娘」
- 合名会社森喜酒造場(三重)「るみ子の酒」
- 元坂酒造株式会社(三重)「酒屋八兵衛」
- 千代酒造株式会社(奈良)「櫛羅(くじら) 」「篠峯」
- 酒井酒造株式会社(山口)「五橋」
これらの酒蔵は共通して自社田での自家栽培に力を入れており、米作りから酒造りまでを一連の流れで行っています。
それぞれの土地、それぞれの米作り
立ち上げの中心となった理事4蔵は、会員蔵を代表して次のように活動報告を行いました。
丸本酒造(岡山)
「自家栽培を始めた当初は、良い等級が付く大粒の酒米を目指して米作りを行っていました。しかし、元国税局鑑定官室長・永谷正治先生(故人)にお会いして以降、その認識が変わりました。
等級が高くつくような大粒の酒米の栽培に欠かせない肥料に含まれる窒素は、米に含まれるタンパク質を増やすのですが、酒蔵ではこのタンパク質が雑味を生むということで精米を行っています。
私たちはこの流れを"タンパク矛盾"と呼んでいます。米の等級にタンパク質の含有量は関係ありませんから、高い等級の酒米が絶対に良いかと言うと、必ずしもそうではありません。
そこで永谷先生が教えてくれたのが『三黄の稲づくり』でした。稲が緑色から黄色に変わる"飢餓状態"を3回繰り返すことで、稲本来の潜在能力を引き出し倒伏などを防ぐ農法です。これが、結果的に稲のタンパク質もコントロールします」
「丸本酒造では、この『三黄の稲づくり』と、酒米を使用する醸造工程ごとに分けて育てる、独自に開発した『目的別栽培』を合わせた米作りを行っています。
田んぼを見ていると、それぞれが全く違う性質を持っていることが分かります。私たちが酒造りに合った酒米を育てられるのも、こうして農業から醸造までを一貫して行っている成果です」
泉橋酒造(神奈川)
「泉橋酒造がある神奈川県海老名市は、相模川に中津川、小鮎川が合流する水源豊かな地域で、古くから海老名耕地と呼ばれる水田が広がっています。人気銘柄である『いづみ橋 とんぼラベル』も、こうした海老名の豊かな自然を大切にし、次世代につないでいきたいという思いから造りました。
泉橋酒造では栽培醸造部を設立し、『酒造りは米作りから』という言葉を掲げて農業を行っています。私たちの屋台骨となるお米は、自社で立ち上げた『相模酒米研究会』の農家さん7名の契約栽培米と自社栽培米で9割を占めています。栽培品種は、農家さんの得意不得意や土壌に合わせて、5品種の酒米を栽培している状況です。
さらに、ITを活用しながら農業と醸造に取り組んでいます。『誰が、どんな土壌の田んぼで育てた米が、酒造りになったときにどういう経過をたどったか』をクラウド上で管理しています。最近では、ドローンによるセンシングも試験的に導入しました」
秋鹿酒造(大阪)
「秋鹿酒造でも、ほかの理事蔵と同じく、永谷先生の教えを受けて米作りを行っています。
うちでは1990年頃から無農薬でやろうとなりまして。有機肥料は、もみ殻と米ぬか、それから酒粕を合わせた自家製の発酵堆肥しか入れていません。
以前は、収穫量を重視した米作りを行っていました。なんというか、"篤農家"というよりも"欲農家"だったんです。当時は、170センチにもなる稲を育てて全部倒してしまい、私が稲を起こしながら親父がコンバインに乗って刈り取ったこともありました。その頃の稲は反面教師として、今でも額に入れて飾っていますよ。
うちは完全な無農薬なので、できることが決まっていて土壌のデータ分析はしていません。なので、このメンバーに入っていることがうれしい反面、恥ずかしさもありますね。
酒造りについては、永谷先生のアドバイスもあり、"いいお米をへたくそに造る"ということを意識しています。できるだけお米の個性を活かしてあまり磨かずに、100%近くを酒にしてあげる。そういう気持ちでやっています」
関谷醸造(愛知)
「私たち関谷醸造では"from rice field to the table"をスローガンに、『蓬莱泉』という商品そのものだけではなく、『米作りから食卓に並ぶまで、その一連の流れを体験として楽しんでもらおう』という取り組みの一環で農業に取り組んでいます。
関谷醸造が位置する設楽町では高齢化が深刻で、人口の半分以上が高齢者です。60歳で農家ならまだ若手。そんな感じなので、『あと10年過ぎたら誰も作らなくなるんじゃないか』という危機感があり、農業に参入しました。
それから、農業を引退した農家さんから田んぼを譲り受けることが増えて、現在では原料米の20%弱が自社生産の酒米になっています。また、私たちの地域は標高600mから700mで、寒すぎるために山田錦は実りません。そこで、夢山水やチヨニシキなど、寒い地域で作ることができる品種を中心に育てています。
この会で勉強させていただいてから、秋鹿酒造さんが手がけている自然農法の米作りに感銘を受けまして、無農薬、無化学肥料栽培にチャレンジしています。1年目ですが、意外に良く育っていますよ」
自社栽培を行う4蔵の活動報告から見えてきたのは、土壌が異なればそれぞれの米作りがあること。また、酒蔵自ら農業に関わることで、農業を出発点として醸造や販売に独自のアプローチが生まれているようです。
後半の部では、「マスター・オブ・ワイン」の称号を持つ大橋健一さんが登壇し、「『農・醸を共に扱うこと』に関するワイン的視点からの一考察」と題したオープンセミナーが行われました。
ワインの視点から、「農」を語る重要性を探る
大橋さんは農業から日本酒を語ることの重要性について、以下のように話します。
「ワイナリーは、日本酒ほど醸造を多くは語りません。その代わり、ブドウの開花から収穫までのサイクルについて永遠に語ってくれます。
その土地の気候状況をじっくりと語ることで、『私たちは工業製品ではなく、農業製品をつくっているんだ』ということを強烈にアピールしているんです。
自家栽培を行うワイナリーは、『ワイン造りは、95%がブドウの品質で決まる』という言葉を皮切りに、『自分はこの畑を生きている間だけ借りているのであって、我々の使命はこの畑を次世代に最高の形で継承すること』とさえ言います。
工業製品と農業製品では、どちらが優れているかを話しているのではありません。テクニカルな面から語れば語るほど、消費者からは遠ざかるんです。
農業に関わる酒蔵は、"産業全体が地球にやさしい"ということを大きく伝えることができます。農業というベースに立ち、ヘルシーに商品を伝えることができるメリットを認識していただければうれしいです」
さらに大橋さんは、農業と醸造を一貫して行えば、気候変動や災害によって産出量や商品価格、品質が変動するリスクがあるとしながらも、「『農!と言える酒蔵』の強みを最大限に活かしてほしい」と、力強いメッセージを送りました。
「農!と言える酒蔵」が秘めた可能性
理事を務める松崎さんは、「醸造の方法だけでなく、米作りの取り組みも酒蔵ごとに異なる特徴があり、それぞれに歴史があることを認識していただければ幸いです」と、会を締めくくりました。
大橋さん曰く、海外のマーケットでは日本酒がワインと同じ視点で見られることも多く、そこで真っ先に評価されるのはテロワールの部分だそう。
地域とともに酒を語り、一口含めば風土を感じる酒を醸す「農!と言える酒蔵」たち。彼らのスタイルは、国内で注目されるだけでなく、海外に羽ばたく日本酒の大きな武器となるでしょう。今後の取り組みにも期待が高まります。
(取材・文/SAKETIMES)