日本海に面し、カニやエビ、アワビといった魚介類から、加賀太きゅうりなどの伝統野菜や山菜まで、豊かな食材があふれる石川県小松市。
街の中心部から里山へ向かうこと車で20分。観音下町(かながそまち)という地区に、"酒造りの神様"の異名を持つ農口尚彦杜氏の酒蔵「農口尚彦研究所」があります。
農口尚彦研究所は、農口杜氏が酒造りを研究する場であり、未来を担う若手が農口杜氏とともに酒造りの真髄を学ぶ場所。
最新機器を導入し、内装デザインも優れた酒造施設のほかにテイスティングルームも。2017年のオープン以来、農口杜氏の造る日本酒がもつ世界観を余さず体験できる、次世代を担う酒蔵です。
併設のギャラリー(入室はテイスティングルーム予約者限定)では、農口杜氏の使用していたノートや道具が置かれ、酒造りの現場をガラス越しに見学することもできます。
そんな農口尚彦研究所が、小松市の地元食材の生産者と一緒に「美食のまち」としての小松市の魅力を発信し、世界中の美食家の「旅の目的地」となることを目標としたイベントが「小松Saketronomy(サケトロノミー)」です。
7月24日、その第2弾が農口尚彦研究所併設のテイスティングルーム「杜庵」で行われました。日本酒の新たな一面が見えたペアリングメニューのご紹介を通して、農口尚彦研究所がもつ魅力に迫ります。
「美食のまち」で「酒事」を楽しむ
お酒と料理のペアリングメニューを提供したのは、ミシュラン2つ星を2年連続獲得している台北の「祥雲龍吟」料理長の稗田良平さんと、第5回世界利酒師コンクールの優勝者であり、同レストラン主席ソムリエのCHANG HUNG LIANG(通称ジョニー)さん。
和食をベースに、台湾のテイストも取り入れた創作料理と、農口杜氏のお酒をどのように合わせるのでしょうか。期待が高まります。
四畳半サイズのカウンターなど、茶室の世界観を取り入れたテイスティングルーム「杜庵」は、和の雰囲気を感じる落ち着いた空間。茶道、茶の湯の文化に精通した金沢の美術家・大樋年雄さんのアートディレクションにより、室内の世界観ができあがったそうです。
ここでのおもてなしは、お茶でもてなす「茶事(ちゃじ)」になぞらえて「酒事(しゅじ)」と呼ばれています。
「非日常空間の中で、お酒とじっくり向き合う時間と場所を提供するのがコンセプト」と、マネージャーの斎藤憲さん。
農口尚彦研究所の裏手には青い稲が育つ水田が広々と広がり、大きな窓ガラスから緑豊かな初夏の風景が見渡せます。
小松の食材と味わう、多彩なペアリング
それでは、イベントで提供された小松市の旬の食材を使ったメニュー8品と、8つのお酒のペアリングメニューをご紹介します。
ミニトマト 毛蟹冷製黒糖黒酢 × 「YAMAHAI AIYAMA 無濾過生原酒 2018」
1皿目は、色鮮やかなトマトと、器を囲む青々としたトマトの葉のコントラストが印象的です。
台湾でよく使われるというブラックビネガーと黒糖を使ったソースをかけて完成。コクのある黒酢ソースの香りが華やかに広がり、トマトの葉の青い香りがふわりと立ち上がります。
ミニトマトの下には、茶碗蒸し状の有精卵と毛蟹の身、アボカドが4層に敷き詰められています。スプーンで崩して口の中に入れると、シャキシャキしたトマトと卵やアボカドのクリーミーななめらかさなど、さまざまな食感が混ざり合います。
お酒は、酒米に愛山を使った山廃仕込みの「YAMAHAI AIYAMA 無濾過生原酒2018」。米の旨味や甘みが凝縮されています。
涼しげな印象の切子のグラスに、ほどよく冷えた12度で提供。黒酢やトマトの酸味や旨味、黒糖の甘み、カニの旨味など、クリーミーで濃厚な味わいをしっかりと受け止めるボディ感のあるお酒です。後味は、カニの旨味とつながるような旨味の余韻が楽しめました。
甘海老と湯葉とつるむらさき × 「YAMAHAI MIYAMANISHIKI 無濾過生原酒 2018」
2皿目は、湯葉に包まれた甘エビとつるむらさき。台湾のバジルから作られた緑色のソースが添えられています。
合わせるお酒は、ハーブや野草のような清涼感がある、青々とした香りをもつ山廃の美山錦。味わいに繊細さが感じられます。竹の形状を模した器でいただきました。
つるむらさきのもつ自然な野菜の苦味や、バジルの青い香りと同調した爽やかなペアリングです。甘エビは、紹興酒を効かせた出汁の中にくぐらせて火を通したもので、しっかりとしたコクや甘みが感じられます。お酒のもつ後味のふくらみと、後から現れるエビのとろりとした甘みも見事にマッチしていました。
西田農園の夏野菜のお椀清湯スープ × 「DAIGINJO 無濾過生原酒 2018」
続いて、椀物です。しっかりと出汁をひいた汁物かと思いきや、登場したのは鶏ベースのスープ。鶏のひき肉に干し貝柱も合わさって、十分な旨味を感じます。具材にはナスやズッキーニ、オクラなどの夏野菜がたっぷり。
これらの野菜は、研究所から2分ほどの距離にある西田農園で今朝採れたばかりのもの。仕込み水と同じ水源の水で育てられた野菜に、仕込み水を使った出汁。これだけでもお酒に合いそうです。
合わせたのは、「DAIGINJO 無濾過生原酒 2018」。酒米に山田錦を使った純米大吟醸です。しっかりと旨味を感じる芯のある味わいの中には、熟れたパイナップルのようなニュアンスも。
「お酒の余韻が長く、舌の上でゆっくりと動いていくイメージ。そこで、かつおぶしの出汁よりも余韻の長い鶏ベースの出汁を選びました。口の中にさまざまなフレーバーが広がるよう、温度は14度で提供しています。純米大吟醸とスープが舌の上を行ったり来たりするのを感じてほしい」と、お酒を提供してくれたジョニーさんからペアリングのポイントについて説明がありました。
自然の地味滋養を感じるような、身体に染みる温かいスープ。お酒の旨味とスープの旨味が交互に押し寄せてきます。
それぞれ火入れの具合を変えたという野菜の食感や、ふわりと漂う柚子の香りも絶妙です。お酒の仕込み水は軟水で、口当たりもやわらか。お水そのものの美味しさも料理から伝わってきました。
甘鯛の鱗焼きと加賀太胡瓜コリアンダー × 「YAMAHAI GOHYAKUMANGOKU 無濾過生原酒 2018」
4皿目は甘鯛。鱗焼きによって表面がパリパリとした食感の甘鯛に、石川県の伝統野菜である加賀太きゅうりをはじめ、きゅうり、冬瓜といった3種類の瓜を使用。甘鯛を崩し、下に敷き詰めてある加賀太きゅうりのスライスに包んでいただきます。
合わせるお酒は、「YAMAHAI GOHYAKUMANGOKU 無濾過生原酒 2018」。
ジョニーさん曰く、「大地や森林の味わいを感じる」というお酒は、4度とかなり冷やした状態で提供されました。焼き立ての温かい甘鯛の脂が、ひんやりとしたシャープな酸味を感じる冷酒で引き締まります。温度帯で補完するペアリングです。
皮目のパリッとした食感や瓜のシャキシャキ感もダイレクトに感じられ、塩水で発酵させたというきゅうりの深い酸味やパクチーのエスニックな風味も面白いアクセント。甘鯛やきゅうりなどの風味が染み込んだ出汁まで楽しめます。
さまざまな要素をしっかりと受けとめる、日本酒の包容力にも驚かされました。
能登牛ヒレ 台湾風すき焼き菊菜 × 「純米 無濾過生原酒 2018」
5皿目は肉料理。台湾風すき焼きに合わせるお酒は純米酒です。「常温よりもほんのりと温かい30度にしたときに、マンダリンオレンジを思わせるフルーティなニュアンスが現れる」と説明がありました。
口に含んでみると、確かに爽やかで軽やかなオレンジの酸味。お肉には、香港の山胡椒(マーガオ)というスパイスが振られています。スパイシーさと柑橘系の酸味の相性はバッチリです。温かい割り下が注がれたお肉は、口の中で温かいお酒と重なってほどけていきます。
「杜庵」では、日頃からお酒の温度を1度単位で変えたり、酒器を変えたりと、さまざまな新しい提供方法を試行錯誤しています。今回のイベントでも、スタッフ総出でかなりの時間をかけて提供する温度について議論していたそう。
お酒の温度は刻一刻と変わり、マンダリンオレンジから白い花びらのような香りにも変化。温度変化によって隠れていた味わいが姿を見せる、驚きとともに日本酒の大きな魅力を再発見できるペアリングでした。
有機米コシヒカリと夏鮑と苦茶油 × 「本醸造 無濾過生原酒 2018」
6皿目は、鮑。野趣あふれる鮑の殻を開いて、台湾の苦茶というお茶からできたオイルを注いで完成。海藻のアオサも添えられて、夏の海を感じさせる磯の風味が満載の一皿です。
鮑を柔らかくするために一緒に炊かれた大根と、その出汁でつくった有機米のリゾットには鮑の旨味が凝縮され、たっぷりと注がれた苦茶のオイルがまろやかに包み込みます。
合わせるお酒は、「本醸造 無濾過生原酒 2018」。「このお酒には、フランスのロワール地方の白ワインのようなミネラルを感じる」とジョニーさん。
飲み心地が良く、スッと喉を通り抜けるキレのある味わい。初夏の海水温のような20度という温度帯で、お酒のミネラル感と鮑や海藻の風味を楽しみます。最後に鮑の風味が立ち上がり、ふたたび夏の海のような爽やかさが戻ってきました。
トマト牛肉麺 × 「山廃純米 無濾過生原酒 2017」
もっとも台湾らしいメニューである牛肉麺。四川山椒や花椒(ホワジャオ)などのスパイスが効いた、台湾名物のヌードルです。
麺は、小松市名物の小松うどん。牛の骨のスープをトマトと炊いて、リンゴも出汁に入っています。一見こってりしているかと思いきや、酸味とコクの合わさったフルーティなニュアンスのあるスープです。
このスパイシーな料理に合わせるのは、1年熟成させた2017年ビンテージの山廃純米酒。
35度の温度帯では、スパイスのニュアンスやお茶のような渋みなど、複雑な香りが感じられます。このお酒の香りが、牛肉麺のスープのスパイシーさと融合。舌の上でスパイスの余韻が長く続いて、しっかりとした酸味もあるお酒と重なり、さらに深みのある味が生まれました。
スパイスがお酒に寄り添う感覚がクセになりそうな驚きのペアリングでした。
マルセイユメロン 高山烏龍茶 × 「NOGUCHI NAOHIKO 01 2017」
最後は、マルセイユメロンを使ったデザート。パパイアのピュレやメロンの果肉とシャーベットにアイスプラントが添えてあります。そこへ、メロンに似た香りがするという台湾の冷えた高山烏龍茶を注ぎます。
〆のお酒は、「NOGUCHI NAOHIKO 01 2017」。
農口杜氏の誕生日に合わせて、2018年12月末に発売された一本。味が決まってから0度で約1年貯蔵されていたもので、メロンやパパイアなど濃厚な甘さのフルーティな要素が感じられます。甘みもありますが、豊かな酸味が支えているためバランスが良く、フルーツのデザートによく合います。
お茶の香りもアクセントとなって、爽やかさがありながら深みのある味わいにも感じられました。
新たな発見を、未来につなげる
小松市の食材をふんだんに使いながら、台湾のエッセンスも取り入れた創作料理とさまざまな温度帯によってニュアンスを引き出したお酒によるペアリングで、お酒や料理と向き合っていた約3時間はあっという間。
温度帯で引き出されるお酒の新たな一面や、スパイスとお酒のペアリングなど、驚きと感動、発見がたくさんありました。
農口杜氏も参加者と席を共にして、お酒についての質問に答えるなど、会話を楽しんでいる様子でした。
「今年から海外輸出も始めました。今回は台湾風の料理とのペアリングでしたが、前回のフレンチも含めて、山廃が海外の料理と幅広く合わせられることがわかりました。これからは、海外の人にも喜んでもらえるようなお酒を視野に入れて酒造りに励みたい」と、農口杜氏はイベントが今後の酒造りのフィードバックになると語っていました。10月中旬から今季の酒造りがはじまるそうです。
ソムリエのジョニーさんとともにペアリングメニューを考案した稗田さんは、日本で和食料理の修行を重ね、台北の「祥雲龍吟」で5年間料理長として腕を磨いてきたという新進気鋭の料理人。台湾では、日本から食材を輸入せず、台湾のあちこちを訪ねて素晴らしい食材を探し出し、新しい日本料理を作っていこうと精力的に活動しています。
今回のペアリングを考えるにあたり、農口杜氏のお酒を味わって感じたのはスパイスとの相性の良さだったそう。
「オーセンティックな日本料理より、エスニックやフレンチやイタリアンといった、酸味と甘みを組み合わせた料理に合うと感じました」と話す稗田さんは、オイルやスパイスを使い、コクやアクセントを意識したそうです。
"クリエイティブ"が伝統を守る
今回、会場となったテイスティングルーム「杜庵」は完全予約制で、農口尚彦研究所のお酒を季節毎に変わるコンテンツに沿ってテイスティングすることができます。足を運ぶ人の1割は海外からの旅行者。アジアや欧米諸国はもちろん、ブラジルやアフリカなど、世界のあらゆる国から訪れるそうです。
過冷却現象を用いた「みぞれ酒」や炭酸水を入れたスパークリング清酒、温度が2度違いのお酒を飲み比べたり、ブルーチーズとのペアリングやお菓子をお酒に浸して食べてみたりと、実験的なテイスティングが楽しめるのも「杜庵」ならではの魅力。
マネージャーを務める斎藤さんは、「伝統を守るには、単なる再現の繰り返しではなく、新しいチャレンジや新しい発想など、クリエイティブな部分が必要」と語ります。
農口尚彦研究所は、農口杜氏が造るお酒を味わうことができるのはもちろんのこと、常にペアリングや提供方法が研究され、新しいお酒の楽しみ方が生まれる場でもありました。
今回、体験した「小松Saketronomy」は年に4回、不定期で開催予定。農口尚彦研究所のSNSやメールマガジンにて開催時期が告知されます。会員ページからはお酒の直販や「杜庵」の予約も可能なので、公式ホームページから無料会員登録してみてください。
(取材・文/橋村望)