「みむろ杉」で知られる奈良県・今西酒造が、新ブランド「みむろ杉 木桶菩提酛」をリリースしました。これまで正暦寺で造られたものしか名乗ることができなかった菩提酛(ぼだいもと)を用いた、新たな蔵を建てて挑む新ブランドです。
今西酒造がある「三輪」という地を表現するこのお酒が誕生した経緯と、そこに込められた酒造りの哲学について、代表の今西将之さんに話をうかがいました。
「菩提酛」なくしては、奈良の酒造りは語れない
2011年に28歳の若さで家業を継ぎ、14代目蔵元となった今西将之さんは、「この三輪の地を表現する、もっと文化的で、地域性があり、歴史的な酒造りがしたい」と考え始めました。
日本酒の発祥の地については諸説ありますが、日本最古の歴史書「日本書紀」には、奈良県の三輪山(みわやま)を本殿とする大神神社(おおみわじんじゃ)のエピソードが残っています。
崇神天皇(すじんてんのう)の時代、高橋活日命(たかはしいくひのみこと)がお酒を造り奉納したところ、国中に流行っていた疫病が去り、国が再び繁栄したというものです。高橋活日命は、「杜氏の神様」として大神神社に祀られています。
「今西酒造は、お酒の神が宿る『三輪』という場所に唯一残る酒蔵だからこそ、この地を表現するお酒を造るべきだと考えました。ただ、やるからには片手間ではなく、本気でやりたい。専用の蔵を建て、この地で収穫した米を使うのはもちろんのこと、奈良に受け継がれる『菩提酛』という造りで、この地を表現するお酒が造れないかと考えていたんです」
「菩提酛」とは、室町時代に奈良県の正暦寺で考案された酒母造りの手法のこと。
自然界に生育する乳酸菌の力を活用して、生米を浸漬した水の乳酸発酵を促した「そやし水」を用意し、これを仕込み水として使って酒母を育成します。そやし水は酸性で、この水を使うと酵母菌を邪魔する雑菌がいなくなり、アルコール発酵が安定的に進むという仕組みです。
本質的な日本酒の価値創造をするために、「まずは『みむろ杉』のブランドがもっと認知されることが必要だ」と考えた今西さん。「菩提酛」を使った新商品のアイデアを考えてから5~6年の時間をかけて、特約店との親密なパートナーシップを築き、自社田を構え、醸造技術を磨き、酒蔵の人員体制を整えていきました。
そんな折、今西酒造も所属する「菩提酛研究会」が、これまで正暦寺のみで造られたものに許されていた「菩提酛」の商標を開放することを決定したのです。
「室町時代に生まれた菩提酛は、それまでどぶろくしか造られていなかった日本酒に革命を起こした技術です。その認知度を高め、いま一度、奈良の日本酒文化をしっかり伝えていくために、研究会が定義した要件をクリアした造りであれば、全国どこの酒蔵でも『菩提酛』を名乗っていいことになりました」
菩提酛研究会が室町時代の文献をもとに定義したという要件は、「そやし水乳酸発酵時に生米を使用している」「そやし水乳酸発酵工程の終点のpHは4未満」など、原料や製法について細かく設定されています。
それまで「菩提酛」と同じ製法でも「水酛(みずもと)」という呼称しか使えないと諦めかけていた今西さんにとって、この決定は絶好の頃合いで起こった出来事でした。
「木桶菩提酛蔵を建設し、いろいろなタイミングが重なったのが2020年のこと。三輪の地に脈々と伝わるものを日本酒として表現していくためには、菩提酛は避けて通れない要素だと考えていましたが、ようやく点と点がつながって線になったんです」
最古の神社の麓で、最古の清酒醸造手法で醸す日本酒
「最古の神社の麓で、最古の清酒醸造手法で醸す神秘的な酒造り」というコンセプトで造られた「みむろ杉 木桶菩提酛」は、その名のとおり、すべて杉製の木桶で醸されます。
「三輪山は杉に覆われた山で、杉に神が宿る地ともいわれています。その由縁から杉玉発祥の地として知られています。我々は何百年もの間、三輪山の杉によって清らかな水をいただき、お米を育てることができたおかげで酒造りを続けられました。だからこそ、杉に敬意を表し、杉を通じたお酒を表現したいと思ったんです」
木桶に用いられているのは吉野杉。今西さんによると、明治時代の文献「吉野林業全書」には、吉野杉のはじまりは三輪山の杉が移植されたものと書かれているそうです。
「吉野杉は樹木の枝を幹から切り落とす『枝打ち』の作業がしっかりとされていて、密度が高い人工林が育ちます。そのため年輪が細かく、樽や桶にしてもお酒が抜けないという利点があります。また、木の香りもほどよくおだやかで、お酒に香りが付きすぎるということがありません」
今西酒造のある奈良県桜井市は、実は吉野杉の材木商によって発展した町。今西さんの地元仲間には上質な材を見極められる目利きが多く、最高の資材が手に入る環境が整っていました。
「室町時代、菩提酛は甕(かめ)で造られていたので、甕にしようかと考えたこともあったのですが、やはり杉を表現したいと思って木桶仕込みに決めました」
大神神社の御神体である三輪山の麓で、正暦寺の僧たちが生み出した手法「菩提酛」を使って日本酒を醸す。神社と寺の文化を集約したこのお酒のために、今西さんは「神仏習合」をテーマとしたラベルデザインを考案しました
「ラベルの形は、お釈迦さまが乗る蓮の葉をかたどっていて、寺を表現しています。中のデザインには大神神社と深い関係がある白蛇と兎、そして御神花のササユリをあしらいました。『みむろ杉』という文字は、『三輪』という能の作品に使われている文字を拝借しました。能は、奈良で生まれた演劇文化でもあります」
「三輪」という場所でしか決して造ることができない「みむろ杉 木桶菩提酛」は、ラベルもすべて三輪に関連するもので構成し、その世界観を徹底しています。
「清く正しい酒造り」という哲学
今西酒造には、すでに菩提酛を使った「三諸杉 菩提酛 純米」という商品がありますが、今西さん曰く、今回の新ブランドは「それとはまったく違うお酒」とのこと。
「『三諸杉 菩提酛 純米』は、菩提酛研究会加盟の8蔵が共同醸造したお酒です。菩提酛研究会のプロジェクトは、全員で酛をつくり、毎年持ち回りで麹づくりを行い、各蔵に酛分けしたものを仕込むというもの。技術的な文化伝承という意味ではとても大切な取り組みですが、酒造りにとって重要といわれる製麹と酛立てを共同でやってしまうので、それぞれの蔵の哲学や技術力、個性、地域性、歴史性などを表現するには限界がありました。
それに対して、『みむろ杉 木桶菩提酛』は、すべて今西酒造の醸造哲学に則った菩提酛で造ることができます」
今西酒造の醸造哲学は、「清く正しい酒造り」。「清く」とは三輪の地の自然が湛える清らかさのことであり、「正しい」とは手仕事にこだわった酒造りのことです。
「おいしいかどうかは飲み手が決めることなので、我々は、酒造りを"正しいか正しくないか"で判断しています。たとえば、洗米の目的は米糠を落とすことなので、なるべく小分けにしたほうがその目的を達成できます。だから我々は10キロずつに分けて洗米しているんです。各工程でいかに正しいことを崇高なレベルでできるかが、味わいに反映されると考えています」
これまで今西酒造の日本酒で、この醸造哲学を表現していたのは「みむろ杉 ろまんシリーズ」でした。
「米の旨味と純粋さをひたすら追求し、速醸酛の最高峰を目指したのが『みむろ杉 ろまんシリーズ』です。最先端の設備で酒造りを行い、"いまこのタイミングで飲んだら最高においしいお酒"を実現したもので、そのシリーズの中でグレードが分かれていました。
『みむろ杉 木桶菩提酛』は、『清く正しい酒造り』という醸造哲学をもとに生まれた、もうひとつの到達点なんです。きれいさと複雑味を両立していて、ワインでいうとブルゴーニュの赤ワインのようなイメージです。今後は、本蔵で『みむろ杉 ろまんシリーズ』、新設した蔵で『みむろ杉 木桶菩提酛』を造っていくことになります」
「一期一会」のその先に
できたてがおいしい「みむろ杉 ろまんシリーズ」とは異なり、「みむろ杉 木桶菩提酛」は熟成も視野に入れているとのこと。
「熟成向きのお酒は、味わいに複雑味が必要になりますので、生酛や菩提酛がふさわしい。現在400石ほど貯蔵できる冷蔵庫を建設中で、本格的に熟成マーケットにチャレンジしていきます」
2020年に醸造された商品の裏ラベルには、シダーマークがひとつついていますが、今後、このマークの数によって熟成年度がわかるようになるという仕組みです。
さらに、現在、木桶菩提酛には「東木桶」「西木桶」のふたつがありますが、今年、新たに「北木桶」「南木桶」を設置予定です。これは使用する木桶の違いによって生じる日本酒の違いを楽しむためのもので、裏ラベルにはどの桶で造られたお酒かが記されます。
「『木桶菩提酛』は超自然派な造りなので、再現性がなく、年次や木桶、仕込みの順番によって個性が生まれます。しかし、『みむろ杉』なので、それはあくまで清く正しい酒造りに則った個性です。すべてが一期一会なので、ワインのように、垂直飲み(同じ桶の年次違い)や水平飲み(同じ年次の桶違い)を楽しんでもらえます。レストランや酒販店の方にも、独自で熟成をしていただきたいですね」
最先端の酒造りをしてきた酒蔵が、180度異なる太古の酒造りへ。「ろまんシリーズ」では、最新の設備と技術による再現性を実現してきましたが、「木桶菩提酛」では、一期一会の酒造りを目指します。
日本酒が備えるべき地域性を誰よりも真剣にとらえ、「三輪」という土地を日本酒で表現する方法を追求し続けた酒蔵が、その哲学を結集させて誕生したのが「みむろ杉 木桶菩提酛」です。その出来栄えについて今西さんは、「すごく納得できています」と胸を張ります。
「思っていたよりも狙っていた出来になったと思っています。難しい造りなのにきれいにできたのは、やはり『清く正しい酒造り』をしているから。これからチャレンジしたいことも増えてきたので、早く今年の酒造りが始まらないかなと楽しみにしています」
「杉の木」という悠久の歴史、「三輪」という土地の2,000年の歴史、「菩提酛」という酒造りの600年の歴史、そして「今西酒造」という酒蔵の360年の歴史が凝縮したお酒が、この地の新たな歴史を刻んでいきます。
(取材・文:Saki Kimura/編集:SAKETIMES)
◎商品概要
- 商品名:「みむろ杉 木桶菩提酛」
- 原材米:奈良県産 自社田栽培米・契約栽培米
- 精米歩合:非公開
- アルコール度数:14度
- 容量:720ml
- 希望小売価格:5,000円(税込)
- 販売情報:ロット別に3ヶ月ごと(目安)に、みむろ杉の特約店を通じて発売。次回の発売は9月の予定。