日本屈指の酒処として知られる、兵庫県神戸市の灘五郷。
そのなかのひとつ、御影郷(みかげごう)に位置する安福又四郎商店(やすふくまたしろうしょうてん)は、「大黒正宗」を看板銘柄に、創業270年を超える老舗酒蔵ですが、1995年の阪神・淡路大震災をきっかけとした蔵の倒壊や老朽化により、廃業を決意した歴史があります。
そんなときに手を差し伸べたのが、同じ御影郷の白鶴酒造でした。現在、安福又四郎商店は白鶴酒造の本店二号蔵工場の設備を借りて酒造りをしています。
今回、安福又四郎商店が白鶴酒造の工場で酒造りをすることになった経緯や、酒造りに懸ける思いについて、話を聞きました。
量産から手造りへ—1995年に訪れた転機
江戸時代の1751年に創業した安福又四郎商店。昭和の最盛期は2万石を製造し、準大手メーカーと呼ばれるほどの規模を誇りましたが、1995年に発生した阪神・淡路大震災により、8棟の木造蔵が倒壊してしまいます。
残ったのは、1974年に建設された鉄筋蔵「大黒蔵」の1棟のみ。これをきっかけに、安福又四郎商店は機械による量産体制を見直し、手作業を中心とした造りに切り替えます。
震災前は季節雇用を含めてスタッフが60人ほどいたといいますが、当時の造りを仕切っていた高木槇夫杜氏と、蔵人の井上健一郎さん・美穂子さんご夫婦の3人体制になりました。
高木杜氏が再構築したレシピのもと、新生「大黒正宗」として新たなスタートを切った安福又四郎商店。2011年に高木杜氏は引退し、醸造責任者の座を健一郎さんにバトンタッチしました。
ところが、その2年後の2013年。震災から唯一残った大黒蔵が、老朽化のために取り壊されることが決定します。
「当時の社長(現社長の安福晴久さんの祖母・節子さん)は、それでもお酒を造り続けたいという強い気持ちがあり、なかなかあきらめられなかったと聞いています。酒蔵というのは先代からずっと預かっている事業ですから、自分たちの代で止めることに相当な抵抗があったのでしょう。
しかし、震災で企業としての体力がなくなっていたうえ、造りを減らした関係で取引先も減らしたため、新しい蔵を建てて設備を一新するのは難しいという判断になりました」
そう話してくれたのは、晴久社長の妻であり、安福又四郎商店の企画・広報を担当する安福愛さんです。
葛藤の末に事業存続をあきらめ、廃業を決意した節子さんたち。そんなとき、同じ御影郷の白鶴酒造から「うちの酒蔵でお酒を造りませんか」と提案がありました。
同じ御影郷の白鶴酒造が差し伸べた手
白鶴酒造の提案により、安福又四郎商店は、2013年10月から白鶴酒造の本店二号蔵工場で酒造りを始めました。
白鶴酒造の海外事業部長の松永將義さん(当時の生産本部 部長)は、「同じ御影郷の蔵ということで、それまでも何かと接点がありました」と当時を振り返ります。
「井上さんご夫婦とは、灘五郷の酒蔵の蔵人が所属する『灘酒研究会』で交流がありました。灘は技術者同士の交流が活発で、企業の垣根を超えて切磋琢磨し合う雰囲気があります。井上さんたちは、当研究会の同窓生で、酒造りに対する姿勢が素晴らしく、技術者として惹かれるものがありました」
阪神・淡路大震災にて、灘五郷の酒蔵はいずれも大きな被害を受けました。そんな中、ともに苦境を乗り越えてきた安福又四郎商店が廃業するという知らせを聞き、松永さんは白鶴酒造の嘉納社長から「なんとかならないか」と相談を受けたといいます。
「嘉納社長は自社だけでなく、灘という産地全体のことを常に考えています。この相談を受けて、安福又四郎商店さんにおうかがいし、先代の節子社長や社員さんたちに、どのようなかたちでサポートできるかを尋ねました」(松永さん)
酒造りを続けたいという強い想いを抱えていた安福又四郎商店に、白鶴酒造から酒造りの場を提供してもらえるという希望の光が差し込みます。
しかし、ある酒蔵の中で別の酒蔵のお酒を造るというのは異例の事態であり、税法上どのような問題が発生するのかもわかりません。松永さんや晴久さんたちは、税務署に何度も通い、最善の方法を模索したといいます。
結果的に、税務処理上は、安福又四郎商店が白鶴酒造で造られたお酒を買い取って販売するという形式を取ることになりました。安福又四郎商店の蔵人である井上さん夫妻は、出向というかたちで白鶴酒造に勤務します。
安福又四郎商店のお酒を造るときは井上さんたちが杜氏(蔵人)として主導することで、「大黒正宗」のブランドを守ることができたのです。
同じ蔵で異なる原料、スタイルでの酒造り
同じ蔵の中で、「白鶴」と「大黒正宗」というまったく異なる銘柄を造るにあたり、現場ではどのような工夫が必要となったのでしょうか。
「酒造りの設備や機材の操作の仕方を説明したところ、井上さんご夫婦はすぐにそれらを使いこなしてくれました。高い知識と技術を持っていらっしゃるからこそだと思います」
そう話してくれたのは、現在は本店二号蔵の参与であり、2013年当時は同蔵の工場長を務めていた小佐光浩さんです。
一方で、白鶴酒造のメンバーは、初めて間近で見る他社の酒造りに、初めは戸惑うこともあったといいます。
「特に麹造りは、白鶴のやり方とまったく違うので驚きました。『種切り』といって、蒸米に種麹を振りかける作業があるんですが、井上さんたちは麹室の部屋中が真っ白になるくらいダイナミックに振るんです。
かと思えば、種麹がまんべんなく米に付着するように混ぜる『床もみ』では、一粒一粒をほぐすように作業するので、『本当に終わるのかな?』と心配になるほどでした(笑)」(小佐さん)
白鶴酒造とは異なるスタイルに、蔵人の中からは心配する声も出たようですが、小佐さんは「できあがったお酒を確認してみよう」と返したそうです。
「お酒の出来がおかしかったら、白鶴のやり方を提案しようと思っていましたが、従来の大黒正宗の味だったので、『あのやり方が正解だったんだ。それなら変えないほうが良いだろう』と全員が納得しました。一本できあがった時点で、蔵人みんなの目が変わりましたね」(小佐さん)
小佐さんは、二社の連携が成功しているのは井上さんご夫婦の人柄があってこそだと語ります。
「おふたりは酒造りに熱心で、周りの人を巻き込んでいくのがうまいんです。身をもって取り組むことで、周りの人が手伝いたくなる循環ができています。
さらに、私たちが当たり前だと思っているやり方に対して、『こうすればもっと良くなるかもしれません』と改善案を提案してくれるのも助かりますね。酒質がまったく異なる大黒正宗の酒造りに関わることで、私たちの技術の幅も広がっていると感じます」(小佐さん)
井上美穂子さんは、白鶴酒造での酒造りについて、「嫌な思いをしたことが一度もない」と断言します。
「白鶴酒造のみなさんは、私たちがもともと仲間だったように対等に接してくださるんです。初めは新しいところで働くことへの不安もありましたが、排他的な態度が一切なく、違和感を覚えたことはありません」(美穂子さん)
「灘酒研究会で交流していたころから、安福又四郎商店の社員さんといっしょに酒造りをして悪いことは絶対にないと確信していました。人間性が素晴らしいおふたりと酒造りをすることで、弊社の蔵人たちも成長できています。造りには白鶴にも大黒正宗にもそれぞれのこだわりがあって当然。それがお互いにマイナスにならないよう、小佐を中心に、チームワークの構築に力を入れました」(松永さん)
食事に寄り添う「大黒正宗」
白鶴酒造の人々が「同じ御影郷でもこんなに違うのか」と驚いたという「大黒正宗」の酒造り。安福愛さんは、その酒質について、「食中酒なので、旨味はしっかり、キレは良く、香りは食事の邪魔をしないように設計しています」と説明します。
「原酒はラインナップの中でもいちばん味が濃く、醤油や砂糖で甘辛く煮た料理によく合います。しかし、最近は料理が多様化しているので、軽めの味わいやフルーティーな生酒などのバラエティを増やしています」(愛さん)
お米は、目指す酒質に応じて、山田錦、その子孫にあたる兵庫夢錦、兵庫錦の3種類を使い分けています。
仕込み水は、白鶴酒造で製造するようになったいまでも、自社の井戸から灘の名水「宮水」を汲み上げてタンクローリーで運び込んでいるのだとか。
「基本的には、開栓してからもだんだん深みが増していく、熟成向きのお酒です。寝かせることで角が取れて丸くなり、味わいの複雑さが出てきたり、香りが落ち着いてきたりするのは、日本酒の魅力のひとつだと思っています」(愛さん)
愛さんは、白鶴酒造での酒造りを通して、「安全性に対する姿勢が学びになっている」と話します。
「白鶴酒造さんの酒造りは、充填から保管に至るまで、品質が下がらないよう、事故が起きないように徹底しています。弊社は家族経営の小さな酒蔵ですが、お客様に見えないところまで管理して、責任を持って安全な商品を届ける姿勢を見習わなければならないと感じます」(愛さん)
多様な食のシーンに合わせて進化する
安福又四郎商店では、社長の晴久さんが実務的な運営面を担当し、商品企画や広報などの表に出る部分を愛さんが担当しています。
「私ががんばれるのは、大好きな大黒正宗の味を造り続けていくため」と熱を込める愛さん。学生時代、おいしいもの好きの友人同士が集まる定期的な会合で晴久さんと出会った愛さんは、そこで初めて「大黒正宗」のしぼりたてを飲み、衝撃を受けたといいます。
「私の家族はみんなお酒が好きで、日本酒もずっと飲んでいましたが、大黒正宗との出会いは、日本酒という飲み物が改めて好きだと感じた瞬間でした。
この仕事を続けられるのも、私自身が飲み続けたいので、なくなったら困るからというのが本音です(笑)。大黒正宗は万人受けするようなタイプのお酒ではないので、好きだと感じてもらえる人にちゃんと届くようなプレゼンテーションを心がけています」(愛さん)
もともとデザイン会社で働いていた愛さんは、その知見を生かし、清少納言の「枕草子」をモチーフにした季節酒「酒草子(さけのそうし)」や、神戸牛に合う日本酒「牛と鉄板」などをプロデュース。
現在クラウドファンディングを実施中の、山田錦を使ったノンアルコールドリンク「玄米茶『88』」のプロジェクトは、2月23日の開始からわずか1週間ほどで目標額の10倍ほどにもおよぶ支援額を達成しています。
「妊娠中にお酒が飲めず苦しんでいたときに思いついたノンアルコールドリンクで、純米大吟醸酒をイメージしています。山田錦が余っているというネガティブな理由で造られたわけではないんです。実は、酒米って玄米茶を作るのにぴったりなんですよ。
日本酒造りでは、ベタつかない"さばけ"の良いお米が評価されますが、玄米茶も、一粒一粒がパラパラしているほうが、むらなく焙煎することができるんです。お茶の職人さんからは、『こんなに使いやすいお米は初めて』と感動されました。
原料には、ふだん酒造りには使用しないサイズの酒米を採用していますが、山田錦の等外米は一般的な飯米よりもずっと大きいんですよね。通常の飯米はお米を崩さないために浅蒸しするんですが、大粒の山田錦は深蒸しができるので、お米らしい旨味や甘みが引き出せます」(愛さん)
「日本酒の何よりの魅力はご飯を美味しくしてくれること」と語る愛さん。安福又四郎商店の多様なラインナップには、食事に合わせることをコンセプトにした「大黒正宗」が、食シーンの多様化に合わせて進化する様子が表れています。
阪神・淡路大震災による酒蔵の崩壊や老朽化など何度も苦難に直面しつつも、白鶴酒造の助けを借りながら、壁を乗り越えてきた安福又四郎商店。時を重ねるほどにおいしくなる「大黒正宗」は、現代の食卓に合わせて多彩に変化しながら、食事に合うお酒を求める人々に愛され続けています。
(取材・文:Saki Kimura/編集:SAKETIMES)