世界的なコロナ禍のさなか、日本酒業界ではさまざまな新しい試みが始まっています。

京都伏見の老舗酒蔵・株式会社増田德兵衞商店と、京都地域の酒蔵への技術指導を行っている地方独立行政法人 京都市産業技術研究所(以下、京都市産技研)のバイオ系チームが連携して開発した新感覚の日本酒もそのひとつ。

新しくリリースされる日本酒は、京都市産技研独自の新酵母「京の恋」を使用した「月の桂 The Branché(ブランシェ)」と、独自の吟醸酒向け酵母「京の華」を使用した日本酒同士をブレンドした「月の桂 The Assemblage(アッサンブラージュ)」です。

「月の桂The Branché」と「月の桂The Assemblage」

「月の桂The Branché」(写真左)と「月の桂The Assemblage」

香りとすっきりとした酸が特徴の新酵母で造った日本酒と、ワインの世界では一般的なブレンド技術「アッサンブラージュ」を取り入れた日本酒には、京都府産の山田錦を使い、醸造にあたっては増田德兵衞商店の伝統的な匠の技に加え、京都市産技研の計測技術が活かされています。

新しい技術を取り入れたこの2種類の日本酒の開発の裏側にどのような挑戦があったのでしょうか。

独自の清酒酵母を開発する京都市産技研

京都市産技研は、中小製造業の研究開発や製造工程の改善での技術支援を行っている公的な産業支援機関です。8つの研究チームがあり、そのなかのバイオ系チームが市内の酒造への技術支援を行っています。

京都技研

京都市産技研 バイオ系チームでは、昭和30年代から清酒酵母を販売していました。平成になってからは香りや味にさまざまな特徴をもつ独自の清酒酵母(京都酵母)の開発を続け、これまでに4種類の酵母を実用化。京都地域にある数々の酒造会社で使われています。

「京の恋」は、令和元年秋に実用化された最新の京都酵母です。リンゴや洋ナシのような香りのカプロン酸エチルと、バナナのような香りの酢酸イソアミル双方を基調とする、芳醇な甘くフローラルな香りに、リンゴ酸由来のすっきりした酸味を醸しだすのが特徴です。

清野珠美さん、増田德兵衞さん、廣岡青央さん

左から、京都市産技研 バイオ系チーム次席研究員の清野珠美さん、増田德兵衞商店 第14代当主・増田德兵衞さん、京都市産技研  知恵産業推進課長の廣岡青央さん

「京の恋」というロマンチックなネーミングは、バイオ系チーム次席研究員の清野珠美さんが名付けました。「香り高く甘酸っぱい味わいが、初恋 を思わせるから」と話す清野さん。

「これまでの京都酵母は、どちらかというと重厚な、いわゆる日本酒らしい濃醇な酒に仕上がるものが多かったんです。そこで、比較的若い方でも飲みやすいような酒質のお酒ができる酵母を目指して開発しました」

増田德兵衞商店

新酵母「京の恋」を使って日本酒を醸すのは、延宝3年(1675年)創業の増田德兵衞商店です。鳥羽街道に面し、かつては京から西国へ向かう公家の中宿だったそう。代表的銘柄は「月の桂」です。

そうして、できあがったのが「月の桂 The Branché(ブランシェ)」。Branché(ブランシェ)は、フランス語で「最新の、最先端の」という意味の言葉。「京の恋」が最新の酵母であることと、これまでにない新しい味わいを持つことにちなんで名づけられました。

「実際に醸してみると、これまでの酵母とは若干違う『京の恋の香り』とでもいうべき落ち着いた香りがするんですよ」と、うれしそうに話すのは、増田德兵衞商店第14代当主の増田德兵衞さんです。

「リンゴ酸由来のキレが味の濃さを洗い流してくれるので、しょうゆベースの和食というよりもハーブやオリーブオイルを多用した洋食にあうのでは」と、料理との相性についても教えてくれました。

官能評価と成分分析でベストな組み合わせを探す

酵母

もうひとつの新しい日本酒「月の桂 The Assemblage(アッサンブラージュ)」は、「京の恋」で醸した日本酒と吟醸酒用酵母「京の華」で醸した日本酒をブレンドしたものです。

「京の華」は、精米歩合を低くしたり、低温管理したりしなくても酢酸イソアミルを多く生成する酵母です。この酵母で醸すと、バナナのような甘い香りを持ち、コクがある日本酒に仕上がります。

京の恋 京の華

京都市産技研知恵産業推進課長の廣岡青央さんは、プロジェクトが始まったころを振り返ります。

「2019年9月ごろ、ワインで用いられるアッサンブラージュの手法を日本酒に適応して、単なるブレンドではない、双方のお酒のいいところをより感じさせる商品開発をしようというアイディアが出てきたんです」

味や香りを試飲して確かめる官能評価だけではなく、味と香りの化学成分分析と評価は京都市産技研の得意分野。増田德兵衞商店も、このアッサンブラージュで新感覚の日本酒を造るというアイディアに共感します。

そうして京都市産技研の計測技術のサポートを受けなかがら、「月の桂 The Assemblage(アッサンブラージュ)」が誕生しました。酒質は「月の桂 The Branché(ブランシェ)」よりもコクがあり、旨みの多い肉料理やチーズなどに合わせやすい幅のある味わいに仕上がりです。

アッサンブラージュの工程には、さまざまな試行錯誤がありました。京都市産技研側の研究データとして、「京の恋」と「京の華」、それぞれ単独の酵母で日本酒に造った場合、明らかに味と香りの成分に差があるということまでは当初からわかっていました。

実際にアッサンブラージュすると、香りの面では、「京の恋」の華やかな香りに「京の華」の落ち着いた日本酒らしい香りが加わることで、より重層的になりました。味わいにも、すっきりした酸でキレがいい「京の恋」と、味にふくらみがある「京の華」が合体することで一層幅とコクが出たそうです。

増田德兵衞商店第14代当主増田德兵衞さん

「京都市産技研さんの計測技術があるとブレンドしても安心感があります。官能試験も大事なのですが、成分分析だと数値として残りますからね」という増田さんの言葉に、清野さんも力強くうなずきます。

もちろん、単純に理論と数値だけではおいしいお酒はできません。

「最初は1:1の割合で混ぜてみたのですが、そうすると『京の華』の味と香りが強く出てしまい、『京の恋』の味と香りがわからなくなってしまいました。そこで『京の恋』を多めにして、ブレンド比率も官能試験とともに酸や香りの組み合わせを調べた数値を見ながらいろいろ試して、最終的に京の華2:京の恋8に決めたんです」

清野さんがさらに驚いたのは、双方のお酒をブレンドした後の香りの感じ方でした。

「アッサンブラージュした後の香りの大きさが、個々のお酒の数値を足し合わせたよりも官能試験でかなり高く出るのです。分析だけではわからない部分は官能試験で補う必要があるのだとあらためて実感できました」と、清野さん。

京都市産技研バイオ系チーム次席研究員の清野珠美さん

「このアッサンブラージュの試みを皮切りに、酵母違い、米違い、圃場違いなどでアッサンブラージュの組み合わせを試したり、さらには日本酒と違うお酒、たとえばジンと日本酒やラムと日本酒の古酒を混ぜたりするなど、さまざまな日本酒の新しい可能性を模索していきたいです」

増田さんは、今後の意気込みをこう語ってくれました。

京都らしさとモダンを表現するラベルデザイン

木戸雅史さん,沖田実嘉子さん

左から、京都市産技研 デザインチーム主席研究員の木戸雅史さん、次席研究員の沖田実嘉子さん

「月の桂 The Branche(ブランシェ)」と「月の桂 The Assemblage(アッサンブラージュ)」のラベルデザインにももこだわりを詰め込んでいます。

京都らしい枯山水の砂紋のイメージを基調にし、シンプルでモダンな感じの「和」テイストのラベル。このデザインを担当したのは、京都市産技研 デザインチーム主席研究員の木戸雅史さんと次席研究員の沖田実嘉子さんです。

「月の桂 The Branche(ブランシェ)」はどちらかというと若者向けに、さわやかな香りと味わいを一種類の波で表現をしました。新緑の枯山水の苔がもつ若々しいグリーンで、「京の恋」のさわやかさを表しています。

対して、「月の桂 The Assemblage(アッサンブラージュ)」は、ハイセンスな大人がターゲット。コクのある味わいと、2種類のお酒からできていることから、2つの波がかけあわさって立体的な波のモアレが浮き出る、陰影と奥深さを感じさせる大人なデザインに仕上がっています。

ラベル検討中

「若者や女性など、いままで日本酒を手にとることがなかった人たちにも身近な日本酒として定着してほしい」と、京都市産技研デザインチームの沖田実嘉子さんは笑顔で夢を語りました。

商品

この2つの日本酒は、京都を訪れる外国人旅行者のインバウンド需要と、海外向けセールスを見越して企画されたものでしたが、状況が変わり販売戦略の練り直しが必要となっています。しかし、大変良い酒質のものができたという自信はプロジェクトのメンバー全員に共有されています。

「『月の桂 The Branche(ブランシェ)』は若い方にも飲みやすい爽やかな味わいがあります。『月の桂 The Assemblage(アッサンブラージュ)』は、異なるお酒をあわせることで味わいと香りに深みが出るということを、日本酒を知るハイセンスな大人に実際に飲んで確かめていただけたらいいですね」と、清野さんは期待を込めます。

新しい試みで造られた2種類の日本酒が世に出ることで、京都・伏見の日本酒の素晴らしさが世界へと広まっていくことを願ってやみません。

(文・山口吾往子)

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