独自の視点をもつオピニオンリーダーに話を伺い、日本酒の未来を探るシリーズ連載『オピニオンリーダーの視点』。第5回は、ワイン業界におけるもっとも名誉ある称号「マスター・オブ・ワイン」をもつ大橋健一さんに話を伺っています。

前編では、日本酒業界が抱えている問題点について、大橋さんならではの観点から鋭く指摘していただきました。後編では、どうすれば日本酒が世界に認められるようになるのか、その具体的な取り組みについてお聞きします。

必要なのは、地球規模で考える倫理観

生駒:日本酒がさらに世界へ広がっていくために、海外での現地醸造を増やすことは重要な鍵になりますか?

大橋:コミュニティーを広げるという意味では重要だと思います。もちろん、海外での現地醸造でクオリティーの高いSAKEを造ることができればという話ですけれど、逆に品質の低いSAKEを造っていれば、悪評の伝播になる可能性も否めません。真面目にやり抜く努力をしなければ、海外で良いSAKEを造ることは難しいでしょう。

たとえば、清酒造りには酵母をきちんと選定することが必要ですが、そのためには醸造協会の会員になり、植物検疫をしっかりと通してから酵母を現地へ運ばなければなりません。もし国境越えをする際に植物検疫を通さないとすると、それは大きな問題です。

ワインの世界では、ブドウの枝を自分のブーツにこっそり入れて国外へ持ち出し、海外で栽培してしまうことがありました。そのブドウの樹は「ブーツクローン」と呼ばれるのですが、これは環境保全の観点から本来はやってはいけないことです。ワイン業界ではそうしたことが暗黙の了解のようにも思われていることから、新たに日本酒業界が学び、そうして倫理観の下で海外生産を高いレベルで進めてゆく必要があるでしょう。

マスター・オブ・ワインの大橋さんが話している様子(左からのカット)

生駒:日本酒業界も、地球規模で物事を考えなければいけないのですね。

大橋:もっと言えば、日本酒の世界では「(−5℃程度の)低温貯蔵」をすることがレベルの高い品質管理として評価されますが、そのような保存方法はエネルギーを多く使用します。それは環境的にはどうなのか、このまま地球温暖化が進んだらどうなってしまうのか、そんなことも考えなければなりませんね。

生駒:確かに、エネルギーを使い続けることになります。

大橋:ふたたびワイン業界の話をしましょう。現在、ワインのための研究は世界80ヶ国以上で行われています。ワイン用のぶどうが、どんな考えのもとで研究・栽培され、どのレベルまで到達できているか、そうした知識を実際の職務に運用してゆくのもマスター・オブ・ワインの仕事のひとつです。私も、世界中の醸造家や栽培家がどんな研究を、そして仕事をしているのか常に学び続けねばならない立場となります。

例えば極端な事例ですが、ワインの世界では、病気や害虫対策に影響するぶどうの遺伝子組み換えは頻度高く論議の的となるテーマです。当然それを認めない国も多く、一部では禁止している国もあります。遺伝子組み換えを禁止している国では、自力で極力継続可能な農法を行い、生産性を維持していくことが必要となりますが、遺伝子組み換えのブドウが認可されているようなところでは簡単に有機農法が採用できる利点もあるでしょう。一方、日本の米の場合はこうしたテーマの下ではどんな考え方が存在し、今後どのように進んでゆくのか?そうしたことも近い将来の議論として見通しておかなければなりません。

従来まで一国主義の現状であった日本酒が、ワインと肩を並べるまでには時間がかかりそうだと考えています。とはいえ、農業試験場、産業技術センターの先生方をはじめ、多くの関係者の方々が日々尽力なさっていることは私も十分に心得ていますし、多くのことを学ばせて頂いています。その積み重ねは、とても貴重な財産になるでしょう。しかし、世界をターゲットにするなら、さらに多角的な視野を広く持つことが大切です。ワイン業界を知れば知るほど、日本酒が世界に出ていくためのヒントが見つかると思いますよ。

生駒:もう、なんと言ったらいいか......打ちのめされる思いです。しかし、SAKEを海外へ売り込みたいと本気で考えている酒蔵もあります。最初の一歩、まず何から手をつければいいでしょうか。

マスター・オブ・ワインである大橋さんにインタビューをする、株式会社Clearの代表・生駒

大橋:世界で親しまれるSAKEを本気で造ろうとするなら、ターゲットにする国のマーケターを呼んで、悪いところも含めて客観的な意見をすべて挙げてもらうことです。それはお金を払ってでも実行したほうがいい。そして、指摘されたことに対する改善は「できない」と言わずに、徹底的に行ってください。それが解決できるまで、達成できるまでやり抜く必要があります。

生駒:プライドが悲鳴をあげそう......ですね。

大橋:それだけではありません。真剣に海外へ入り込もうとするなら、具体的な目標を掲げることも大切です。たとえば「3年以内にこの国で一番売れるSAKEになる」といったような。

生駒:偶発的に取引しているのと死に物狂いで取り組んでいるのとでは、結果が異なりますね。

大橋:それは明らかでしょう。それと、品質にムラがあるのも問題です。SAKEが劣化していることに、蔵元自身が気付いていないパターンも多いのように感じます。みずからの蔵で良い製品を造り切れているかどうか、今一度省みるのもいいでしょう。

生駒:品質を高めて本気で取り組めば、SAKEは海外に活路を見出すことができるでしょうか?

大橋:はい、必ず。私が酒蔵へ行き「どのマーケットで、どんな部分がおもしろく映るだろうか?」と考えるとき、その問いに対する答えが思いつかない蔵はありません。しかしその観点は、日本市場の中にどっぷりと浸かって世界市場の中で主観的な判断をしていては気付けないことが多いのです。ビールやワインを飲んでいるターゲット国の人たちが何を考えているのか、それを知らなければマーケティングの設定はできません。もし自分たちでできなければ、委託するのもひとつの手だと思いますよ。

生駒:経営的な戦略や、経済的な合理性についても考える必要がありそうです。

大橋:その通りですね。本気で取り組めば、人件費だけでなく海外への出張費もかかります。持続可能性という視点も必要です。これまで、酒蔵の人々は海外プロモーションを考えない値付けをしてきました。日本酒が海外へ進出するにあたって、考えていかなければならないことだと思います。

"ブランド志向"だけではマーケットは育たない

生駒:海外において、SAKEはワイングラスで提供するべきなのか。それとも、ぐい吞みなどの酒器といっしょにカルチャーとして伝えていくべきなのか、意見が分かれると思います。大橋さんはどのよに考えていらっしゃいますか?

テイスティングをする、マスター・オブ・ワインの大橋さん

大橋:中期的に考えるのか、長期的に考えるのかによって違うでしょう。中期的な視点で見れば、ワインと同じような飲み方を提案するのがベター。長期的ならば、ぐい吞みが正しいと思います。要は、自分が慣れ親しんでいないことを強要されても、新しい文化を受け入れることはできません。たとえば、中期的な考えのなかでぐい吞みを押し通そうとしても、何年経っても異文化のままですよ。四合や一升のような尺貫法ではなく、750ミリリットルや1.5リットルという単位にして、飲み方をワインに合わせてあげると現地の文化に入り込みやすくなります。その結果の先に、日本独自の飲み方を試してみたいなという人が生まれてくるのです。

インスタントラーメンの創始者として知られる、日清食品の創業者・安藤百福さんは「海外で成功を収めたいと思ったら、相手の文化の中にどっぷり入り込まないとだめだ」というような名言を残しています。これには非常に共感させて頂いています。相手が便利なようにしてあげることでアプローチしやすくなるのです。

生駒:なるほど。

大橋:海外で人気のある日本料理店に対して、「こんなのは日本料理じゃない」と言っている人たちがいます。しかしいきなり生魚を食べてと言っても海外の人には受け入れてもらえません。そこでカリフォルニアロールのように食べやすくチューニングしたからこそ、成功があるのだと思います。

ですが、ここだけは気をつけてください。最高峰の日本酒ブランドが外国人ウケを狙ったアプローチをしても意味がないですよ。本当の王者は、どっしりと構えている必要があります。日本酒は米で造られたお酒で......などとラベルに書くべきではないです。頼まれても売らない努力をする。それも立派なマーケティングといえます。

生駒:とても勉強になります。ところで、2007年にIWCのSAKE部門ができたことも、大きな試みではないでしょうか。

大橋:日本酒業界の方々が、海外に目を向けるきっかけになっていると思います。日本酒が活性化するための手立てとして有効です。そこでゴールドメダルを獲ると、その銘柄はすぐに売り切れてしまいます。IWCはエデュケーションとプロモーションを理念に掲げていますから。

生駒:IWCは達成すべきビジョンを具現化していますよね。

大橋:IWCだけでなく、いろいろな視点や目的をもった日本酒のコンペが行われるのは良いことだと思います。そういった審査会が多ければ多いほど日本酒に目を向ける機会が多くなる、つまり"沸いている"証拠ですから。

生駒:ソムリエ協会が、日本酒の資格「J.S.A. SAKE DIPLOMA」をつくったことはいかがでしょう。

大橋:教科書を拝見しましたが、とてもよくできていると感じました。非常に前衛的なものをつくっているなと思いますね。

生駒:最後に、東京オリンピックの開催が2020年に決まりました。日本酒を海外の人々に知ってもらう良い機会だと思います。どんなアプローチをしていくべきでしょうか。

大橋:課題は、日本のマーケットにいる人々が、まだまだブランド志向だということです。たとえば、同じように甘味が特徴のふたつの人気銘柄を並べたとして、具体的な違いがどこにあるのか、端的に説明できる人がどのくらいいるでしょう。また日本酒を提供するお店でも、銘柄のブランドに頼っているところが見受けられます。来日した外国人から「これってどういうSAKEなの?」と聞かれたときに「フルーティーなSAKEですよ」と答えたとします。その後、フルーティーなSAKEが何本も出てきたときに、それらの違いを明確に説明できることが必要ではないでしょうか。

生駒:私も、つい相手が日本酒を知っている前提で銘柄の話をしてしまいがちです。これからは銘柄名ではなく、酒質ありきで話をしなければいけませんね。

日本酒の世界展開のために必要なもの

大橋さんの言葉から、厳しい指摘のなかにも日本酒に対する深い愛情がうかがえました。マーケティングやプロモーションだけでなく、環境問題への配慮をはじめとした"企業としての視野"を広げることなど、SAKEの世界進出のためにはまだまだ多くの課題があることを気付かせてくれます。

これまで、日本酒が語られるときには、細かなスペックや商品ブランドの話が中心だったかもしれません。しかし、世界へ打って出るには、この意識そのものを改革することが必要になりそうです。

株式会社Clearの代表・生駒と、マスター・オブ・ワインの大橋さん

故・安藤百福さんは、自分の足でアメリカをまわるなかで、現地スーパーのバイヤーがチキンラーメンをコップに入れて食べる様子を見てカップヌードルを思いついたのだとか。「ラーメンはどんぶりで食べるもの」という固定観念を捨てきれないでいたら、カップラーメンは誕生しなかったかもしれません。

「相手を知り、相手の文化に入る」「決してNOと言わず、すべてのことに全力で取り組む」それこそが、世界を狙うために必要なことなのだと思いました。

(文/はらだ・みちよ)

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