2020年現在、日本酒を醸す酒蔵は全国に約1,500あると言われています。しかしその一方で、平成に入ってからの30年間で廃業した蔵は、800にも上ります。それぞれの酒蔵に、それぞれの"おらがまちの酒"があったことでしょう。

「時代の変化が激しい今だからこそ、現存するすべての酒蔵に足を運び、そこにある酒と思いを、みなさんに、そして未来に届けたい」という思いから、「日本酒を醸す全ての蔵をめぐる旅」が始まりました。

「吟醸王国」と謳われ、全国に名を馳せる酒蔵も多い山形県。2016年12月には、県単位の日本酒としては全国初となる地理的表示GI「山形」の指定を受けるなど、一層の盛り上がりを見せています。そんな山形県の酒蔵をめぐる旅の第1弾は、県南の置賜 (おきたま)地域に位置する7つの酒蔵の酒造りとそこにある思想を追いました。

「酒造メーカーじゃなくて、酒蔵なんだ」 ― 小嶋総本店(米沢市)

江戸幕府が開府する以前の1597年、山形の南端に位置する米沢にひとつの酒蔵が誕生しました。「東光」や「洌」で有名な小嶋総本店です。

米沢牛やラーメンで有名な米沢市ですが、江戸時代には上杉家の城下町として栄えた地域。小嶋総本店は、御用酒屋として上杉家からも重宝されていました。

現在、蔵を背負って立つ小嶋健市郎さんで24代目というところからも長い歴史を感じます。

東光酒造

小嶋総本店の酒造りの特徴は、「雪国」ならではのもの。寒冷地ならではの収穫期の比較的早い品種の米と雪どけの清らかな軟水を使用し、低温の環境下で発酵させた日本酒は、繊細で洗練された味わいになるといいます。

健市郎さんは、「東光」のことを「ほどほどに香りと甘みがあって、全体的にはバランスを大切にした、山形の王道のようなお酒」と表現します。

そんな小嶋総本店は、2018年に新たなチャレンジを行いました。「東光」「洌」に続く、3番目のブランド「小嶋屋」の立ち上げです。「小嶋屋」は、酒四段仕込みという、発酵終盤のもろみに清酒を投入するという独自の製法で醸されます。

東光酒造のタンク

日本酒に関する最も古い記述とされる「古事記」に登場する「八塩折の酒(やしおりのさけ)」をモチーフにしたという酒四段仕込み。「八塩折の酒」は、スサノオノミコトがヤマタノオロチを酔わせて倒すために飲ませた酒で、何度も繰り返し再仕込みされた濃い酒だったと言われています。

しかし、現在の酒税法のルールでは、もろみに清酒を加える再仕込みは、純米酒や大吟醸などの付加価値のある特定名称酒を名乗れません。そんな中、不利とも考えられる再仕込みに挑戦した理由について、健市郎さんは次のように話します。

小嶋市郎さん

蔵元の小嶋健市郎さん。左のボトルが新銘柄「小嶋屋」

「もともと特定名称という制度にしっくりきていなくて。精米歩合などの原料加工の数値でお酒の価値が決まるというのはわかりやすいんですけど、やっぱりそれは本質的じゃないよなと。近代化、工業化される中で、もともと持っていた2000年分の蓄積とか多様性、すごくたくさんのものをこぼして、単純化してきてしまったんじゃないかと。なので、型にはまるのではなく、特定名称を一切名乗れないところで酒造りをしようと思いました」

目指している味は、「軽快と複雑」。13%程度にアルコール度数を抑えながらも、さまざまな味の印象を感じる風味で、それを実現していくといいます。

健市郎さんは、日本酒に対しての自身の向き合い方について、「自分たちなりに、伝統であるとか文化、地域をどういう風に解釈しているのかを、ちゃんとお酒に現れるようにしていきたい。酒を造るただのメーカーじゃなくて、酒蔵なんだっていう」と、真剣な眼差しで語ります。

旧蔵(東光の酒蔵)に設けている直売所

資料館に設けている直売所


蔵開きなどのイベントや、年間を通して資料館の見学なども行っている老舗酒蔵の小嶋総本店。その姿勢からは、味だけに留まらず、日本酒の在り方についても広い視野を持ち、遥か先まで思案していることがうかがえました。

「杉の香りのする酒蔵」 - 樽平酒造(川西町)

米沢市の西隣、田畑と山々が織りなす田園風景が広がる川西町があります。その光景は息を飲むほどの美しさです。

川西町の田んぼ

そんな川西町の水田が広がる地域の中に、「樽平」や「住吉」を造る樽平酒造の酒蔵があります。300年を超える老舗蔵で、昭和の時代に活躍した川端康成や井上ひさしなど多くの文士に愛されていました。また、人気漫画の「美味しんぼ」などで紹介されたこともあるので、ご存知の方も多いかもしれません。

十三代目蔵元の井上一三(いちぞう)さんに蔵をご案内いただくと、多くの驚きがありました。

井上さん

蔵元の井上一三さん

驚きのひとつは、木製の道具の圧倒的な多さです。甑や暖気樽、麹蓋など蔵の中の多くの道具が木製であり、そのほとんどが吉野杉でできているといいます。

一三さんは「先代が他の杉材と比較してみたものの、吉野杉の方がよかったようです」と話します。

筆者も多くの酒蔵を訪れていますが、ここまで木の道具が多い蔵を見たことがありません。手作業の多さやメンテナンスの大変さにも直結するため、全国的に木製の道具を使う蔵は減っています。

それでも木製の道具を引き継いでいる理由を尋ねると、「杉材へのこだわりは古くからありました。先代たちが築いてきた良いといってもらえる酒を残していきたいですね」と淡々と語ります。

吉野杉の麹蓋

吉野杉で出来ている麹室の中には、同じく吉野杉で造られた無数の麹蓋

樽平酒造が大事にしているもうひとつは、原料です。20年以上前から酒米研究会を地元の農家とともに立ち上げ、精力的に地元の農家と連携を取り、今では地元産の美山錦や出羽燦々、ササニシキなどを中心に酒造りを行っています。また、精米に関しても、全量を自社で行うなどのこだわりようです。

樽平酒造

一三さんは「時代に左右されずに伝統を守りつつ、ずっと残っていくような新しい軸も検討していきたい」と、先代からの思いを引き継いでいく蔵元として、今後の展望を力強く語ってくれました。

「農家の夢をのせた酒」 - 野沢酒造店(小国町)

しんしんと山に降り積もる雪と、ブナなどの白い木肌の広葉樹が広がる様子から「白い森」と謳われる美しい山々。山形県の南西部、新潟県との県境の山深い地域に位置する小国町は、人口8,000人ほどの小さな町です。

その小国町で江戸中期から300年を超えて酒を造り続けてきたのが野澤酒造店です。山に囲まれた豊かな自然の中で造られる日本酒は「羽前桜川」という名がつけられています。

野沢酒造

「小国の超軟水を使って、米を手洗いし、麹蓋で全ての麹をしっかり造って、秋ごろに燗にしてもくずれないように酒を造っています」

こう話すのは、入社30年を超えるベテラン社員の塩川秀夫さん。設備面で恵まれているとは言えない野澤酒造店ですが、手作業でていねいに造られています。

大自然と蔵人の手作業によって造られる「羽前桜川」ですが、その多くを地元の方が飲まれているとのこと。塩川さんのお話で特に印象的だったのは、「うちの酒しか飲んでいない人は、酒の変化を誰よりも知っている」との言葉です。

愛飲している地元の方のためにも手を抜かず、精魂込めて酒造りをしている姿勢がうかがえます。

蔵の中を案内くださる塩川秀夫さん

蔵の中を案内する塩川秀夫さん

そんな野澤酒造店がいま力を入れているのが地元産の酒米。2017年から米農家の井上昌樹さんと協力し、小国町で栽培された「美山錦」「出羽の里」などで酒造りを行っています。

以前は小国町でも酒米が育てられていたのですが、近年は誰も作っていなかったよう。そこで井上さんは独自に研鑽を重ね、久方ぶりに小国町の酒米を復活させました。

井上さんにとっても待望の「自分が育てた米で造られた酒」。そうして酒蔵と農家の念願がかない、地元の酒米から造られた地酒が誕生しました。

井上昌樹樹さんの美しい圃場

井上昌樹さんの美しい圃場

2020年に入ってからは町内の酒米生産者も増えたようで、井上さんは「小国町の酒米研究会を作りたい」と意気込んでいます。よくよく話を聞いていくと、以前酒米を作っていた方が井上さんのお父様だったというので、なおのこと驚きです。

そんな農家の思いがこめられた待望のお酒「羽前桜川」。小国町にルーツのある町内外の方にも喜ばれているようで、蔵人の塩川さんは「これからも地元の酒米を使った酒造りに力を入れていきたい。これからも地元中心で」といいます。

小国町の澄んだ空気と水で作られる米と酒は、地元の方に愛され続けていくのだろうと感じる訪問でした。

「ヘップバーンの如く」― 東の麓酒造(南陽市)

さくらんぼやぶどうなど、くだものの産地として有名な南陽市。近年ワイナリーが増えている地域ですが、そこで1軒の酒蔵が変わらずに日本酒を造り続けています。「東の麓」や「天弓」で知られる東の麓酒造です。

寒暖の差が激しい環境を活かし、東の麓酒造は地元産の酒米に力を入れているとのこと。

「南陽市酒米研究会に4名の蔵人が参加していて、そこで育てた酒米を多く使っています」

そう教えてくれたのは、製造部長の新藤栄一さん。4名もの蔵人が酒米農家と兼業であるというのは驚きです。

東の麓酒造

栄一さんも、もともとは農家のご出身。「酒造りは農作物をつくるのと一緒。毎年勉強ですし、毎年同じものはつくれないというのは感じます」と話します。

栄一さんとお話する中で印象的なエピソードがありました。とある飲み会でのこと。有名な酒蔵の社長に「うちの酒は、マリリン・モンローなんだよ」と言われたとき、「じゃあ、うちの酒は、オードリー・ヘップバーンです。ちょっと線は細いけども、凛とした芯があります」と返したそう。

「酔っぱらってたけど、気に入ってる表現なんです。この発想をくれた社長にはありがたいなと思っています」と、ハニカミながら話されます。

製造部長の新藤栄一さん

製造部長の新藤栄一さん

東の麓酒造では「若者にも日本酒に親しんでほしい」という考えで、山形市の東北芸術工科大学と共同で新ブランドを立ち上げるなど、面白い試みもされています。

主軸となってきている特約店限定銘柄「天弓(てんきゅう)」もそのひとつ。天弓は"虹"を意味する言葉。大学とコラボレーションした銘柄を主軸に据えているのは全国でも珍しい事例です。

東の麓と天弓

また、飯米の「つや姫」を使い、その冷めてもおいしいという特徴を活かし学生が発案した日本酒「つや姫 なんどでも」は、2013年の山形エクセレントデザイン大賞に選定されるなど、注目されています。

「商品開発について蔵からの条件はほとんど出していません。私たちのカチカチの頭をグチャグチャにほぐしてもらった感じです」と栄一さんは笑います。

地域性を活かしつつ新たなチャレンジをしていく東の麓酒造は、これからもヘップバーンの如く人々を魅了してくれるだろうと想像できます。

「まほろばの里から世界へ」 -後藤酒造店(高畠町)

南陽市の東側に位置し、同様にくだものの生産が盛んな高畠町。「まほろばの里」と謳われるだけあって、山々に囲まれた美しい町です。

高畠町にはいくつか酒蔵があり、「辯天(べんてん)」を造る1788年創業の後藤酒造店もそのひとつ。後藤酒造店のある地域は、もともと宿場町として栄えていたところで、街の空気感も相まって蔵の風貌はとても美しく風情があります。

後藤酒造店

「辯天」の特徴のひとつが、造る酒のほとんどを原酒で出荷していること。9代目蔵元の後藤大輔さんはこのように語ります。

「ややもすると原酒は味わいが重くなりがちですが、うまみをしっかりと味わっていただきたいんです」

もうひとつの特徴が、米へのこだわりです。量としては地元産が多いものの、先代のときから納得できる米を各地から取り寄せています。扱っている品種は10種類以上。

「たくさんの米の品種を使用し、いろんな味わいを出していきたい」と、後藤さんは話します。

酒米

そんな後藤酒造店は、最近は輸出にも力を入れています。7年ほど前のこと、香港の展示会に参加した際に「辯天」を気に入ってくれた業者があり、それからコンスタントに注文をもらうようになりました。

「海外でも評価されたんだなと、非常にうれしかったですね」と当時を振り返ります。

後藤さん

今後も海外、特にアメリカやヨーロッパ市場に力をいれていくようで、「いままで新商品の開発というものをあまりしてこなかったので、これからいろいろと勉強して提案していきたいです」と展望を話してくれました。

IWC(インターナショナル・ワイン・チャレンジ)など海外のコンテストでも評価の高い「辯天」が、世界中で多く飲まれるようになることが期待されます。

「かっこいい地方の企業でありたい」― 米鶴酒造(高畠町)

高畠町の山間に広がる美しい田園の中に、ひとつの老舗酒蔵があります。銘酒「米鶴」や「ピンクのかっぱ」でも有名な米鶴酒造です。

米鶴酒造は、1983年ごろから「米作りから手掛ける酒造り」を掲げ、地元の農家と協力し品質重視の酒造りを続けてきました。酒蔵のすぐ隣の自社田では酒造りで使われる酒米が育てられています。そう教えてくれたのは、12代目蔵元の梅津陽一郎さん。

蔵元の梅津陽一郎さん。後ろに広がるのは、米鶴酒造の自社田

蔵元の梅津陽一郎さん。後ろに広がるのは、米鶴酒造の自社田

米鶴酒造が栽培から酒造りを手掛けてきた功績のひとつに、新品種「亀粋(きっすい)」を誕生させたことがあります。

1990年ごろのこと。蔵人の志賀良弘さんが、幻の米とも歌われていた「亀の尾」を栽培している中で、大粒な籾をつける稲穂を発見しました。酒造りに有用かもしれないと気づき研究すると、通常の亀の尾より心白(米の中央付近にある白濁している部分)が大きいことがわかりました。

そうして生まれた「亀粋」は、1993年に品種登録されました。個人での米の新品種開発は戦後初めてだといいます。

自社で精米を行うための精米機

自社で精米を行うための精米機

「子どものころに、父がやっていた蔵元の仕事の話を聞くことがあったのですが、広がる世界の大きさにびっくりした」と話す梅津さん。

地方にある小規模な酒蔵ながら、最近では地域や海外からも期待されることが多く、醸造元としてさらに面白さを感じているといいます。

そんな梅津さんは「かっこいい地方の企業でありたい」と少し照れたような口調で語ります。数少ない地域のプレイヤーとして、地元の農家と一体となったコミュニティーをつくり、地域に活力を与えられることをしていきたいという思いが、そこにはあるようです。

米鶴

今後については、「他の人がやらないことをしたい。どういうふうにして喜んでもらうか。王道もきっちりやりつつ、独自性のあるものを」と話す梅津さん。

「88羽の鶴が末広がりに舞っていく」という意味を持つ「米鶴」。その銘柄名の如く、高畠町から世界へと舞っていくのが楽しみな酒蔵です。

「伝統は一度バラシて、造り上げる」 -新藤酒造店(米沢市)

米沢市の中心部から車で10分強、威厳のある建物と明媚な庭園が見事な景観を生み出している新藤酒造店があります。人気銘柄「雅山流」や「九郎左衛門」を醸造する酒蔵です。

新藤酒造店

「雅山流」の生みの親である蔵元杜氏の新藤雅信さんは、東京農業大学醸造科学科の卒業ですが、「大学入る前から、酒の仕込みをやってたんですよ」と笑いながら話します。

雅信さんは、なんと小学3年生のころから大学進学で東京に行くまで、蔵元でありながら技術者であったお爺さんのもとで、酒造りを手伝っていたそうです。

そんな生粋の酒造家である雅信さんは、1995年に大学を卒業してすぐ蔵に戻り、「商品を根本的に造り方から変えないとダメだな」と思ったとのこと。そこで、反対されるのが嫌だったため、勝手に1年目から造り方を変えたといいます。そうして誕生したのが「雅山流」です。

雅山流

そのときから今に至るまで、酒造りで念頭に置いているのは「フレッシュでクリーンな酒」。当時造られる酒の中では革新的な味だったゆえに「そんな酒造ったって売れねえ」とも言われたそうです。

それでも雅信さんは自らの造る日本酒の味を信じて造り続け、「雅山流」は翌年以降、倍々で売れていきました。

「伝統的な味を守るっつうのは、よくは聞こえるんだけどよ。伝統的なものって1回自分の頭の中でバラして解釈してから、自分の代で造り上げて、次に渡さないとダメなんだよ」と当時を振り返りながら話します。

「雅山流」シリーズの変わり種で「裏・雅山流」と名付けられた日本酒があり、こちらも多くのファンから人気を誇っています。雅信さんは「裏・雅山流」誕生のウラバナシを教えてくれました。

蔵元の新藤雅信さん

蔵元の新藤雅信さん

もともと「雅山流」は自社田で作った山形の酒米「出羽燦々」を使用して造ることをコンセプトのひとつにしていました。ところがあるとき、「自由な発想で物事にとらわれずといって造っていたのに、気付けば自社田栽培の出羽燦々を使った吟醸クラスの酒になってしまった。自分で物事にとらわれてしまっているなあと。世の中にはもっと面白いことがある」と、ふと思い立ちます。

そうして、全国のさまざまな酒米を使い、特定名称も名乗らず、自由な発想で酒造りをしようと思って造りあげたのが「裏・雅山流」。今でこそ、このような考え方の酒造りは増えていますが、これが20年以上も前のことだというから驚きです。

最先端の醸造方法を取り入れ、麹造りや上槽後の火入れなど、酒造りの全ての工程を科学的に検証したうえで酒造りをしている新藤酒造店。お話を聞いていく中で、「雅山流」の人気の理由がわかったような気がします。

新藤酒造店の麹室

山形県は、他県に先駆けて、蔵元や社員が杜氏として酒造りを指揮することが多くなった地域。そのような背景もあり、酒蔵のそれぞれの哲学が、酒造りに直に反映しているのだと感じます。

哲学が込められた酒造りの魅力を、改めて思い知らされる旅になりました。

(取材・文/立川哲之)

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