北海道上川郡上川町にある上川大雪酒造「緑丘蔵(りょっきゅうぐら)」は、三重県にある休眠中の酒蔵がもっていた酒造免許を、2017年に北海道に移転させてできた新設蔵です。新天地でゼロから蔵を立ち上げた地方創生蔵として全国から注目を集め、日本酒業界の様々な方々が視察や研修に訪れています。

左の黒い建物は、見学者が数多く訪れる緑丘蔵の外観。白い建物は今年1月にオープンしたばかりのギフトショップです。中には商談や研修を行えるスペースもあります。

6月11日からは、業界内から注目を浴びているふたりの女性蔵人が研修に訪れ、名杜氏・川端慎治氏をはじめとする蔵人たちから酒造りを学んでいます。その研修の様子をレポートします。

緑丘蔵は杜氏になることを決意した原点の場所

造り手のひとりは、2年前に全国最年少女性杜氏(当時24歳)となり注目を浴びた、「白龍」を醸す吉田酒造有限会社の吉田真子さんです。

吉田酒造有限会社の吉田真子さん

甑の作業を手伝う、吉田酒造有限会社の吉田真子さん

もうひとりは、アメリカのサンフランシスコで「SEQUOIA SAKE」を夫婦で醸している亀井紀子さんです。

「SEQUOIA SAKE」を夫婦で醸している亀井紀子さん

製麹作業を行う「SEQUOIA SAKE」の亀井紀子さんと、川端杜氏

吉田真子さんは、2017年5月末から上川大雪酒造の試験醸造に参加しています。

吉田酒造では、平成28酒造年度の酒造りの途中で杜氏が体調不良で辞めることになり、平成29酒造年度の杜氏を誰が務めるかという重大な問題に直面していた時期でした。吉田さんにとって上川大雪酒造は、試験醸造をきっかけに酒造りの奥深さを学び、杜氏になることを決意した、まさに原点の蔵と言えます。

昨年6月も、川端杜氏の教えを請いに緑丘蔵に訪れ、今年も杜氏2季目となる平成30酒造年度の造りを4月上旬に終えてから、東京や仙台で営業活動を行って北上し、上川大雪酒造にやってきました。

「2季目の今年もがんばったつもりですが、米の出来があまり良くなかったり、蔵の問題もあって、自分としてはやり切った感がないですね。酒質をもう一歩上げられたと思います。毎年課題が出てくるので、川端さんに学ぶことはとても多いです」(吉田さん)

研修初日の歓迎会の様子。写真左から川端杜氏、吉田真子さん、亀井紀子さん

研修初日の歓迎会の様子。写真左から川端杜氏、吉田真子さん、亀井紀子さん。

研修初日の6月11日は、緑丘蔵の蔵人やその家族、蔵の出資者の方や町役場のみなさんが集まり、蔵の隣にあるキャンプ場で歓迎会が開かれました。みなに「真子さん」「真子ちゃん」と呼ばれ、すっかり上川町に馴染んでいる様子です。

さらなる酒質の向上を目指して、日本で研修

「SEQUOIA SAKE」の亀井さんは、上川町内の民宿に居を構え、1カ月という長い研修期間で酒造りを学んでいます。そのきかっけは、夫のジェイク・マイリックさんと娘さんが、北海道に旅行で訪れたことでした。

その途中で「せっかく来たのだから蔵見学もひとつはしないといけない」と思い、ジェイクさんは緑丘蔵を訪れたそうです。

興味を持ったきっかけは、新しく建てられた蔵で、規模も比較的小さく、参考になる点が多いと思ったことでした。蔵を見学し、そこで川端杜氏や蔵人さんの来る者を拒まずという開放的な姿勢や、何より醸す酒の美味しさに感銘を受けました。

蔵訪問時には、川端杜氏が最も評価する酒米のひとつ「砂川彗星」で造った酒が搾られていました。

「夫がアメリカに持ち帰った、北海道の酒造好適米で造った『彗星』の生酒と火入れを飲みましたが、非常に美味しかったです」と、亀井さん。

それから川端杜氏と連絡を取り合う中で「研修に来てもいいよ」という川端さんからのお誘いがありました。亀井さんも「ホントに行きますよ!」と、トントン拍子に話が進んだそうです。

「SEQUOIA SAKE」を開業してからの4年間。酒質はもちろんですが、経営を軌道に乗せることに重きを置いていました。経営も安定してきたので、今度は酒質を向上させることに力を入れていくことを目指し、今回の研修となりました。

「1年間を通じて約100石を醸していて、年間350日は酒造りをしている状況です。1カ月という期間は私にとってバカンスを取るようなものかもしれませんが、半端な形ではなく、腰を据えて酒造りに取り組んでいます」(亀井さん)

醪の温度管理について、川端杜氏からのアドバイスを受ける亀井さん(写真中央)と吉田さん(同右)

醪の温度管理について、川端杜氏からのアドバイスを受ける亀井さん(写真中央)と吉田さん(同右)

「SEQUOIA SAKE」の酒質は、「SAKE COMPETITION 2019」の海外出品酒部門で、「Ginjou」がGOLD、「Genshu」がSILVERを受賞するなど定評があります。亀井さんは、6月10日に東京で行われた表彰式に出席して、その翌日に上川町に到着。研修に挑みます。

培った醸造技術を惜しげもなく2人に伝える川端杜氏

本格的な研修は6月12日から。この日は焼酎麹の甑(こしき)、午後は洗米が行われました。焼酎麹で造る清酒は今季からチャレンジしているもので、川端杜氏は「洋食に合わせるイメージ」の酒を狙っているようです。

焼酎麹の清酒は、清酒麹のものよりクエン酸が出て酸っぱいというイメージがありますが、川端流ではどんな酒ができるか、果たして商品化されるのか、飲み手としては興味が尽きません。

これが焼酎用の白麹です。思っていたより茶色ですね。清酒用の黄麹は青汁のような色をしています。

川端杜氏が蒸米に焼酎麹をふりかけていきます。

それを、蔵人とともに蒸米をほぐす作業を行う亀井さんと吉田さん。蒸米に触り硬さや味など確認しながら、わからないところは川端杜氏に質問を投げかけます。川端杜氏も立て板に水のように、出し惜しみなくアドバイスを与えていきます。

「川端さんはミスをした後のリカバリーもすごいです。私の場合は、かなり深刻な失敗もありますが、川端さんの失敗らしい失敗はみたことがありません」と、吉田さんは感嘆しながら話してくれました。

石川県を皮切りに福岡、山形、岩手、群馬などの有名蔵を渡り歩き、まさにたたき上げで確立した"川端流"醸造技術を、惜しげもなくフィードバックしていきます。それも互いにより良い酒を造りたいという日本酒愛の表れかもしれません。

初日を終え、亀井さんは「勉強になることばかりです。何を学びたいかというより、すべてを学びたいと思います」。吉田さんは「上川とうちの蔵では、環境も、米も水も気候も違います。蒸米の時も気圧がうちとはまるで違いました。同じことをやってもうまくいきません。川端さんに学んだことを自分なりにアレンジしていきたいです」と意気込んでいました。

アメリカ生まれの幻の米「Caloro」の復活を目指して

亀井さんの研修には、もうひとつの目的もありました。幻の米「Caloro(カルロ)」についての探求です。現在、酒造りに使っている米は「CALROSE(カルローズ)米」で、カリフォルニアで最も栽培されているお米です。

60%精米されたカルローズ米

60%精米されたカルローズ米

この米は遡ると、日本の酒造好適米である「渡船(わたりぶね)」がルーツで、日本人移民が明治45年(1912)にアメリカに持ち込んだものとされています。この「渡船」と「カルローズ米」の間に、大正9年(1920年)に誕生したのが「カルロ米」でした。

このお米を使って、酒造りを行いたいと亀井さんは考えています。

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幻の米「カルロ米」

こちらが幻のカルロ米のサンプルです。カルローズ米の親にあたり、より酒米に近い外見です。写真ではわかりにくいですが、カルロ米はカルローズ米より心白が多く見え、渡船に近い気がします。

現在、カルロ米はほとんど生産されていませんが、今年から種もみを作るための栽培がカリフォルニアで始まり、うまくいけば来年から生産用の栽培を行うとのこと。カルロ米の復活は、夫・ジェイクさんが関係各所に働き掛けて実現した、7年越しの悲願です。

カルロ米に関して、当時の記録や文献がほとんど残されていないので、渡船からどのように交配や改良がされたのかはわかりません。カルロ米からカルローズ米への系統も同様です。そこで、この研修期間を利用して、北海道の上川農業試験場でカルロ米の成分分析をしてもらう予定です。

アメリカには、カルロ米を使って酒造りを行った醸造所はまだありません。北海道でカルロ米の謎が解かれ、幻の酒米として復活し、「SEQUOIA SAKE」でカルロ米で造った酒ができれば、日米双方で話題になることでしょう。カリフォルニアの酒造好適米として定着する日も近いかもしれません。

カリフォルニアで栽培された山田錦

カリフォルニアで栽培された山田錦

吉田さんの吉田酒造も、五百万石、華越前、そして父・智彦さんが生前に情熱を注ぎこんだ山田錦を自社田で栽培。地元の米、水、人にこだわり、「永平寺テロワール」を謳い酒造りをおこなっています。国内外問わず、蔵人の米に対するこだわりは同じで、そこに違いはないと思い知らされました。

川端杜氏の教えを意欲的に吸収しているふたりの女性蔵人の、日本酒造りへの情熱はとても強いものでした。吉田酒造の吉田真子さんと、SEQUOIA SAKEの亀井紀子さんの、これからの活躍を応援していきましょう。

(取材・写真・文/木村健太郎)

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