数ある日本酒コンテストのなかで、もっとも出品数の多い「SAKE COMPETITION」。全8部門のうち、最大の出品数があるのは純米酒部門です。
数多の酒蔵がしのぎを削る純米酒部門で、1位を2度、しかも二枚看板である「冩樂(しゃらく)」「會津宮泉(あいづみやいずみ)」の両銘柄で栄冠を獲得したのが、福島県会津若松市にある宮泉銘醸です。
栄光の背景にはどんな努力があったのでしょうか。現地で探りました。
現在の状態とはかけ離れていた
昭和30年に宮森啓治酒造場として創業した宮泉銘醸は「會津宮泉」を主力銘柄とした酒造りを続けてきました。
3代目・宮森泰弘さんの長男として生まれた現社長の義弘さんは、若い頃から跡を継ぐつもりでした。ただ当時は、酒造りを杜氏に一任し、自分は経営を見ていればいいという気持ちだったそうです。
大学を卒業してすぐに実家へ戻るつもりでしたが、父の泰弘さんは「まだ帰ってくるな」の一点張り。ようやく「帰って来い」という連絡があったのは、義弘さんが26歳の時でした。
蔵に帰ってみると経営状態は芳しくなく、何年も赤字が続いていました。当時の生産量はわずか180石。設備の老朽化は著しく、毎年同じ普通酒をただ漫然と造っている状況でした。
また、酒造りに使用する米は一般加工米や等外米で、農家の顔が見えるような米は皆無だったそうです。
出品酒の技術を反映させた市販酒を造りたい
義弘さんは帰郷する直前、日本各地のお酒を飲む機会があったそうで、実家のものとは比べ物にならないほどの美酒に出会い、衝撃を受けました。
そのひとつが、同じ福島県にある廣木酒造本店の「飛露喜」でした。
同郷の酒蔵が素晴らしいお酒を造っていること、さらに、蔵元自身が杜氏を兼任していることを知り、義弘さんも「酒造りを学んで、みずから酒質設計をしなければならない」という思いを募らせます。
その後、福島県清酒アカデミーで3年間、勉強しました。
それまでにも全国新酒鑑評会で何度か金賞を獲得していた宮泉銘醸ですが、「出品酒で培った技術が他のお酒にまったく反映されていない。出品酒の造りで学んだ知識をすべて投入した市販酒を造って、世に問いたい」と義弘さんはさらに思いを強めていきます。
そして2007年のシーズンから、純米酒と純米吟醸酒をみずからの手で造ることにしたのです。
「冩樂」を引き継ぎ、蔵の改革へ
酒造りをすると決めたものの、どんな味わいのお酒を造るかは手探りだったといいます。
「昔から淡麗辛口の日本酒が苦手で、醸造アルコールを強く感じる普通酒も飲めませんでした。当時の會津宮泉のようなお酒は敬遠していたんです。結局、口に合ったのは『飛露喜』や『十四代』でした。ただ、すべてを真似しても個性がないので、両銘柄よりも甘味と酸味がバランス良く広がるお酒にしようと考えました」と、義弘さんは振り返ります。
手塩にかけて醸した新商品を販売するにあたって、新しい銘柄を決めなければなりません。
その時、同じ会津若松市にある本家筋の酒蔵を引き継いでいた会社が廃業することになってしまい、「銘柄を引き取ってほしい」という話になりました。そこで、その蔵の「冩樂」を継承し、宮泉銘醸の新ブランドとしたのです。
同年の夏、義弘さんは福島県酒造組合が主催する東京でのイベントに新商品を持参したところ、いきなり大きな評判を呼びました。
義弘さんは「使っている酒米などについて胸を張って説明できるのが初めての体験で、とてもうれしかったのを覚えています。多くの人に『美味しい』と言っていただき、『やり方は間違いない。あとは磨きをかけていけばいいんだ』と確信しました」と、当時の様子を思い返します。
その後、酒造りの軸足を特定名称酒に移し、仕込みの単位を小さくするなどの改革を進める一方で、酒質向上に繋がる設備改善にも矢継ぎ早に取り組みました。
「父がすべてを任せてくれたので、やりたいことに次々と着手することができました。醸造のみを任されて、経営は父が握っているという状態だったら、こんなスピードでの改革はできなかったと思います」
酒質が年々向上し、売上も伸びていくのに伴い、さらなるレベルアップを求めて、蔵の建物全体を空調で管理できる状態にしました。
搾ったお酒に火入れをする場合は急速に温度を上げて、目標の温度に達したところで急冷し、お酒へのダメージを最小限に抑えています。
さらに、もっとも神経を使う原料米の水分量については、洗米・浸漬した直後だけでなく、翌朝に米を蒸す直前・直後にも測定し、さらに、麹室に米を引き入れた後はロードセルというセンサーで、刻一刻と変わる麹の重量を常に管理しています。
さまざまなデータと照らし合わせながら、完成した麹の出来をチェックすることで、理想の麹が常に再現できるような体制を整えたのです。
「會津宮泉」も育てて恩返しがしたい
「冩樂」がデビューした当時、「冩樂」の製造責任者は義弘さん、「會津宮泉」はそれまでの杜氏がひきつづき担うという2人杜氏の体制でした。
しかし、「冩樂」が軌道に乗って余力が生まれてきた2012年、杜氏が北海道の酒蔵へ移籍することになりました。これを機に、義弘さんが酒造りのすべてを統括することになります。
その頃、「冩樂」の売上が伸びる一方で、「會津宮泉」は10年前と変わらない状態でした。製造量を徐々に減らして、「冩樂」の酒蔵にしてしまう選択肢もあったそうです。
しかし、「酒蔵の屋台骨だった『會津宮泉』を守り続けてきた杜氏や蔵人、そして蔵元への感謝を忘れてはならない。恩返しをするつもりで『會津宮泉』を『冩樂』に負けないお酒に育てる」と、義弘さんは蔵人に宣言しました。
それから、酒造りの全行程をすべて「冩樂」と同じレベルに切り替えていったのです。
義弘さんによると、現在の「冩樂」と「會津宮泉」はまったく同じレベルにあるのだとか。
異なるのは味わいの方向性。「冩樂」は、ふくよかな甘味を酸味が下支えしアクセントをつける味わいですが、「會津宮泉」は酸味を抑え、さっぱりとした後味と旨味を出しているそうです。
また、「冩樂」には多くのファンがいるため、味わいを再現することが重視されているのに対し、「會津宮泉」は新たに挑戦したいと思った造りを試験的に商品化するのに活用する面も強まっています。
「冩樂」は全国の特約店のみで販売しているため、宮泉銘醸に足を運んでも直売所で購入できるのは「會津宮泉」のみ。しかし、日本酒ファンの間では「蔵に行くと、宮泉銘醸の未来を感じられるようなお酒が買える」と、密かな話題になっているのだそう。
「冩樂」は2014年の「SAKE COMPETITION」で、純米酒と純米吟醸酒の両部門で1位に輝き、脚光を浴びました。
そして、2018年には純米酒部門で「會津宮泉」が1位、「冩樂」が5位になりました。多くの酒蔵が主力銘柄のほかに、伝統的な地元向けの銘柄をもっていますが、それが1位に輝くのはとても珍しいことです。
宮泉銘醸の躍進は驚くべきもので、今後、多くの酒蔵のお手本になることでしょう。
(取材・文/空太郎)