兵庫県丹波市(旧市島町)にある西山酒造場は、丹波杜氏が所属する蔵のなかで、最北端に位置しています。
代表銘柄は「小鼓」。蔵の三代目で、俳人でもあった西山泊雲は、明治から昭和にかけて活躍した俳人・高浜虚子と親交が深かったようで、「小鼓」という名前は高浜虚子が名付けたものだそう。
搾りたての味を、消費者のもとへ
西山酒造場の杜氏・八島さんにお話をうかがいました。
まず最初に案内されたのは、国の有形文化財にも指定されている数寄屋風の建築物「三三庵(ささあん)」。西山酒造場に伝わる、温故知新の精神が込められている建物です。
一般的に酒造りといえば、冬場の寒仕込みが主流で、四季醸造などの年間を通じた酒造りを行なっているのは、全国流通に強い大手企業に限ったことと思いがち。
しかし西山酒造場では、一年を通してほぼ休む間もなく酒造りが行なわれています。その理由を聞くと「新酒を常に届けるため」というシンプルな回答が返ってきました。
西山酒造場の酒造りを表すキーワードは「フレッシュローテーション」。醸造から出荷までの工程をおよそ2か月でローテーションし、フレッシュな清酒を常に提供していく試みです。新鮮な搾りたてのお酒を売ることに特化し、貯蔵という考えを手放すこと。これが西山酒造場の思い切った戦略です。
通常、冬場に搾った新酒は濾過や火入れを行ない、一定期間寝かせるもの。そして、味が落ち着いた頃に、その貯蔵タンクの封切りをするのです。
しかし西山酒造場では、火入れ後の貯蔵期間を一切設けず、造った酒をすぐに販売。そのため、蔵の中には貯蔵庫が存在しません。貯蔵にかかるコストをすべて省くことで、収益を改善させるという方法を取りました。
もちろん、"酒は搾りたてが一番。熟成酒はだめだ"ということを言いたいのではありません。どちらか一方の利点を最大限に活かすために、他方を思い切って切り捨てる、潔い戦略なのです。
西山酒造場が特にこだわったのは、"搾りたての味を、できる限り新鮮なうちに、消費者のもとへ届けること"でした。酒質の管理を問屋に任せるのではなく、お客さんのもとへ届くまでの責任を酒蔵が持つという考え方が根底にあるのではないでしょうか。
邪念を振り払って造る酒
酒造りの現場へ入る前に、蔵の前に立っている石碑を紹介していただきました。その石碑には、こう刻まれています。
『処是解憂境』
これは、三国志の武将・曹操の詠んだ詩から引用した言葉。原文は以下の通りです。
対酒当歌 人生幾何
譬如朝露 去日苦多
慨当以慷 幽思難忘
何以解憂 唯有杜康
「日々起こるさまざまな出来事への憂いをどうやって晴らすのか、それができるのは酒だけである」という意味なのだとか。
"そんな酒を造るときには、すべての邪念を振り払って入場すべし"という心構えを忘れないように、石碑が建てられました。つまりこの場所は、神聖な酒造りの場に向かうための結界。神社でいう、鳥居ような役割を果たしているのかもしれません。
四季醸造ゆえの苦労
心を清め、いよいよ蔵の中へ。蔵内は空調によって温度管理が徹底されていますが、それでも夏場の酒造りには苦労が伴います。
冬場と違い、微生物が繁殖しやすい時期なので、温度管理だけですべてをコントロールできるわけではありません。
特に洗米や浸漬の作業では、さまざまな試行錯誤が繰り返されてきました。井戸水の温度は年間を通してほぼ一定ですが、米の温度が冬場に比べて高いため、菌の繁殖率が格段にアップ。すなわち、米を水に漬け置く時間や蒸す時間を細かく調整する必要が生じるのです。
酒造りは、洗米・浸漬後の製麹や醪の仕込み、搾りなど、すべての作業が一連の流れで行なわれるため、ひとつの作業を変更すると、その後すべての工程に影響が出るもの。そのため、従業員の出勤時間や作業時間、休みの時間などを季節ごとに調整しなければなりません。これも酒造りを統括する、杜氏の大事な仕事なんですね。
杜氏は現場指揮のほかに、酒造りの計画や米の買い付けなどもこなします。西山酒造場が取り組む「フレッシュローテーション」のシステムでは、2ヶ月という短いスパンのなかで、酒の売れ行きに応じた仕入れをその都度行なっていかなければなりません。
さらに、自分が休みの日でも、1日1回は蔵に来て、醪の経過を確認するのだとか。酒造りが激務だと言っても、寒造りであれば約半年で終わります。しかし、西山醸造場は四季醸造。365日、絶え間なく酵母が生き続けていることを考えると、その苦労は並大抵のものではないでしょう。
常に新酒を提供するからこその良さ
新酒のみに特化した醸造を行なうメリットとして、炭素濾過が不要になるということも挙げられます。搾りたての新酒には、あまり色が付いていないので、そもそも炭素濾過の必要がありません。そのため、新酒として販売される酒に対しては、素濾過などの活性炭を使わない濾過方法を取るのが一般的です。
その代わりに、西山醸造場で使われているのが「SFフィルター」という濾過器。酵母も除去できる細かいフィルターで、火落菌などの微生物もすべて取り除くことが可能です。その反面、お酒の旨味や濃厚な味を出すには不得手とも言われています。
しかし、フレッシュローテーションとSFフィルターの相性は良いのだそう。フレッシュですっきりとした新酒に特化しているため、SFフィルターのデメリットを考慮する必要がありません。
すべてのニーズを追うのではなく、自分たちが造る酒の魅力を最大限に追求する。こうした思い切りの良さが西山醸造場の強みなのでしょう。
女性も働きやすい、活気ある職場
西山酒造場にいる蔵人は、若い20代が中心。およそ半数が女性で、たいへん活気ある職場でした。
八島さんが杜氏に就任されたのは平成8年のこと。西山酒造場が取り組む「フレッシュローテーション」という新しい生産システムは、八島杜氏とともに歩んできたと言っても過言ではないでしょう。
そんな責任と苦労の多い八島杜氏が、若い蔵人たちに優しく指示をする姿が印象的でした。
醪も生き物。職場がピリピリしているとそれを敏感に感じ取ってしまうのでしょう。実はこういう気持ちの部分が、酒造りの理屈よりずっと大切なのかもしれませんね。これは、大手の蔵であっても地方の造り酒屋であっても、不変のものだと思います。
「なぜ女性の蔵人が多いのですか?女性登用を進めているのですか?」と聞くと、特に意図があるわけではなく、求人をするとどうしてか女性の応募が多いのだと、意外な答え。
近年、都会から田舎にやってきて農業をしたいと考える人や、酒造りをゼロから学びたいという若い人は、8割以上が女性なのだそう。実際に仕事を始めてみると、女性の方がきめ細かくていねいに作業する傾向があり、感心することが多いと話していました。
幻の酒米「但馬強力」と斬新なボトルデザイン
西山酒造場の酒に使われる「但馬強力」は、鳥取県立農業試験場但馬分場で2000年に育成された酒造好適米です。
「但馬強力」は、もともと「強力」として1928年に分離された品種。育成が困難で、長い間、栽培が途絶えていましたが、丹波市(旧市島町)が推し進めた、官民一体の事業により復活しました。
しかし、まちおこしの一環として栽培に取り組んだ農家も次第に撤退し、今では西山酒造場の農業用地で、農家ではない女性社員が栽培を続けています。
そんな、苦労続きの「但馬強力」で仕込まれたのがこちらの商品。
「路上有花 黒牡丹 純米吟醸」(ろじょうはなあり くろぼたん)
西山酒造場の販売する日本酒やリキュールのデザインを手がけたのは、芸術家の綿貫宏介氏。絵画や彫刻、陶芸だけでなく、食品などのさまざまな分野でもデザインを手がけ、独特の世界観が多くの人を惹きつけています。
日本酒を取り巻く多様な価値観があるなかで、西山酒造場が取り組む潔い経営のあり方を、今回の取材でまざまざと感じとることができました。
(文/湊洋志)