兵庫県伊丹市といえば大阪国際空港(伊丹空港)のある阪神地方のベッドタウンというイメージですが、元禄期(1688~1704年)には40軒近く、正徳5年(1715年)には72軒の造り酒屋が軒を並べていたと記録されています。
100年前の大正期でも「白雪」の小西酒造をはじめ、「剣菱」「古菱」「功名一」「大手柄」「福枡」「大星」「誉鶴」「老松」など相当数の酒蔵が操業を続けていました。
銘醸地・伊丹で醸し続ける2つの酒蔵
JR伊丹駅から阪急伊丹駅に向かう道は石畳が敷かれ「酒蔵通り」として親しまれています。今でも残る伊丹の2つの酒蔵も、この道を歩いていれば訪れることができます。
小西酒造は、伊丹酒の歴史を一身に背負いながら、アルコール飲料への新たな挑戦を続けている酒蔵。日本で最初にベルギービールを輸入し、さらに自社ブランドで地ビールの製造も手がけています。
直営店のレストランに行くと、清酒よりビールの方がメインとなっている様子。これも、同じところに立ち止まらず常に進化している酒蔵の一側面であるといえるでしょう。直売店では、小西家に伝わる古文書の中の仕込みを再現した元禄時代のお酒など、古き日本酒の魅力にも触れることができます。
老松酒造は、江戸幕府の官用酒「御免酒」の中でも番付で最上位とされる"東の大関"に位置していた酒蔵。阪神大震災の後、酒造場を他府県へ移しましたが、近年一定数の仕込みを再開し、限定的に伊丹仕込みのお酒を販売しています。
伊丹の氏神様である猪名野神社のすぐ南には「ことば蔵」と呼ばれる伊丹市立図書館があります。かって、ここには剣菱酒造の蔵がありました。
元禄の一大事件、赤穂浪士の討ち入りの直前、蕎麦屋の2階で剣菱のお酒を酌み交わしたという伝承をご存知の方も多いかもしれません。今でも剣菱のお酒のラベルには「丹醸(たんじょう)」と刻まれています。その昔、伊丹にて「天下の御膳酒」として一世を風靡した伝統を引き継いだ証でしょう。
国の重要文化財にも指定されている旧岡田家住宅は、延宝2年(1674年)に建てられた歴史的建造物。元は「大手柄」という銘柄を出しており、年代が判明し現存するものでは日本最古の酒蔵といわれ、江戸時代に隆盛を極めた伊丹の酒造業の歴史を今に伝えています。「大手柄」は平成18年に廃業しましたが、小西酒造によって引き継がれています。
庶民に愛され、一世を風靡した「丹醸」
丹波の蔵人が伊丹での百日仕事の際に唄われた酒造り唄の中に、次のような歌詞があります。
やるぞ伊丹の今朝とる酛で お酒造りて江戸へ出す
江戸へ出す酒 何が良いお酒 酒は剣菱男山
男山とは 誰が名をくれた 諸国大名が名をくれた
この唄から、伊丹酒が世間にもてはやされていた様子、造ったお酒が江戸に出され"天下の銘酒"と褒め称えられていることを、蔵人たちが誇りながら酒造りに精を出していた様子がうかがえます。「剣菱」と「男山」は今でも現存する銘柄ですね。
もともと伊丹の酒であった「男山」は、現在は北海道旭川にある男山酒造がその酒銘を引き継いでいますが、さらに全国で約20数社が「男山」の銘柄で清酒を販売しています。
このように同じ名前のお酒が数多く存在するのは、江戸時代における伊丹酒の人気と、それにあやかった模倣商売が氾濫した名残だと考えられています。伊丹酒の価値が江戸の町民に広く認識されるにつれて、類似酒が出回り、銘醸酒造家が大きな被害を被るという事態がたびたび起こりました。「伊丹御改所」と記された焼印を押したりと、様々な取締りが行われたようですが、抜本的な解決には至らず、年を追って類似酒は数を増したと伝えられています。
近代日本酒文化の起源ともいえる伊丹の酒「丹醸酒」。「丹醸」には「伊丹で醸された酒」と「丹波杜氏が醸した酒」という2つの意味がありますが、そこに新たにもうひとつ、日本で初めて庶民が楽しめる清酒がもたらされたという「民の酒を醸す」と言う意味を付け加えたいと思います。
(文/湊洋志)