五百万石60%精米の普通酒、57%精米の本醸造など、少量ながらも高品質な"日常酒"を造り続ける蔵が新潟県にあります。1904年創業、「米百俵」を醸す栃倉酒造です。
蔵のある新潟県長岡市の北部大積(おおづみ)地区は、ホタルが住み鮭が遡上する清涼な川があるなど、自然を多く残す地域。蔵を訪ね、常務の栃倉恒哲さんにお話を伺いました。
「地元の水・米で、普段の酒をより美味しく」
栃倉恒哲さんは蔵元の4兄弟の末っ子として生まれました。
「高価な酒が美味しいのは当たり前。普段の酒が美味しくなければ意味がない。地元の人に日常の中で喜んでもらうお酒を造りたいと思っています。その思いを突き詰めた結果、今の米と磨きに辿り着きました。栃倉酒造では普通酒を含めた全てのお酒で、大積町産の酒造好適米を使っています」
― 蔵から約1km以内、同じ町内の酒造好適米を使った酒造り。以前からそうだったのでしょうか?
「いえ、以前は他県の米や飯米も使っていました。それに違和感を感じ、新潟の米、長岡の米、酒造好適米、と突き詰めていった結果、2016年から全量大積町の酒造好適米に行き着きました。元蔵人が営んでいる農業法人で、柔軟に対応してもらえるのが大きいです。夏には蔵人も米造りを手伝います」
― 変えるきっかけがあったのですか?
「製造石数が約200石まで減ってしまったこともあり、改めて地酒とは何か、新潟の淡麗な酒とは何かを徹底的に考えた結果、『この土地の清涼な水を酒にすること』にこそ重要な意味があるとの考えに至りました。
日本酒の8割は水でできているため、水の味わいはお酒の味わいに大きな影響を与えます。そのため、水には一切の加工をせずに、米も仕込みと同じ水で育った米だけを使い、水の特徴を活かした酒造りを行うように方針を変えました」
― 水の特徴についてもう少し詳しく教えてください。
「裏山の湧水を引いています。軟水でミネラル分が少ない水は淡麗旨口の酒造りに向きますが、例えば生酛のような複雑性のある造り方には向きません。この特徴を活かし『飲み口がスッキリ、後はスッとキレのある酒』を目指しています。
1904年に先人がこの水に惚れ、この地に蔵を作ったという創業の原点に戻り、地元の米・水で、地元の人に喜んでもらえる酒を造りたいと考えています。もちろん、それが地酒として、地元だけでなく東京など都市部でも評価してもらえればより嬉しいです」
― 最後にお酒について教えて頂けますか?
「本醸造は冷や、冷酒で美味しく、純米はぬる燗で美味しくなるように造っています。ぬる燗はごまかしが効かず、酒の本質が最もわかります。日本酒は多様性こそが魅力。差別化も大切ですが、色々あって良いのだから、まずはしっかりと自分たちが美味いと思う酒を造っていきたいと思っています」
栃倉酒造のお酒は品質管理のしっかりした酒販店だけの限定流通。蔵に問い合わせると近くの販売店を紹介していただけるそうです。
目先にとらわれず本質を見据える「米百俵」の精神
栃倉酒造の銘柄である「米百俵」の由来は、小泉純一郎元首相の所信表明演説でも使われた「米百俵の精神」の逸話。舞台は新潟県の長岡です。
戊辰戦争で敗れた長岡藩は、その日の食にも苦慮する状態でした。見かねた支藩から百俵の米が贈られ、藩士たちはこれで生活が楽になるとたいそう喜びます。しかし、藩の大参事小林虎三郎は米を藩士に分け与えず、売却し学校設立の費用にすることを決めてしまったのです。藩士たちは抗議しますが、虎三郎は「百俵の米も、食えばたちまちなくなるが、教育にあてれば明日の一万、百万俵となる」と諭し政策を押し切った、というのがこの逸話です。
当時の栃倉酒造では、目先の満足ではなく、先々の成長を考慮した行動を取る精神を酒造りに活かしていこう、との思いで「米百俵」という酒銘をつけたそうです。
全国的に地方は人が減り、普通酒の需要が減ることから、地元向けの酒は縮小傾向と言われています。そんな中で、地元の水と米で、地元の人に愛される酒を造り続ける栃倉酒造。地酒の存在意義を追求し、地元を第一に酒造りをする姿勢に「米百俵」の精神を感じました。
(取材・文/小林 健太)