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三増酒の出来るまでの経緯と純米酒復活に至るまでの流れ【Vol.1】「合成酒と三増酒の登場」と「満州国とアルコール添加酒」

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こんにちは、SSI研究室専属テイスターの石黒と申します。

日本酒が低迷した原因を作ったのは三増酒と言う意見は多いですが、意外にどのような経緯で三増酒が造られ、どのように純米酒が復活したのかについては知られていないように感じます。

これから、5回に分けて三増酒について、また純米酒が復活に至るまでの経緯を説明させていただきます。

Vol.1の今回は、「合成酒と三増酒の登場」と「満州国とアルコール添加酒」についてお伝えします。

合成酒と三増酒の登場

Ⅰ 合成酒とは

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(出典:wikipedia)

1918(大正7)に起きた米騒動をうけて、理化学研究所の鈴木梅太郎らが将来の食糧難における対策の為に研究に着手しました。1922(大正11)に製造方法の特許を所得し、1923(大正12)に大和醸造から(新進)という銘柄で商品化されました。

Ⅱ 三倍増醸清酒とは

2次世界大戦末期の1944(昭和19)より導入されたアルコールを添加して作る清酒製造の方法です。

その製法は、米と米麹で創った醪(もろみ)に清酒と同濃度に水で希釈した醸造アルコールを入れ、これに糖類(ぶどう糖・水あめ)、酸味料(乳酸・こはく酸など)、グルタミンソーダ等を添加して味を調える。こうしてできた増醸酒は約3倍に増量されているので、三倍増醸酒と呼ばれています。

満州国とアルコール添加酒

Ⅰ 満州国とは

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(出典:満州国写真館)

1932年(昭和7年)から1945年(昭和20年)まで日本帝国陸軍(関東軍)主導により建国された中国東北部に存在した国家です。

1929年(昭和4年)の世界恐慌により、日本も深刻な影響を受け昭和恐慌のさなかに造られた国で、この満州国を成立させることにより、当時の日本は中国東北部に巨大なマーケットを得て、満州国を農工業国家として計画的に発展させることで、日本は世界よりも早く世界恐慌を脱することができました。

満州国が成立した時点(1932年)人口が約2900万人、1940年(昭和15年)の太平洋戦争の一年前で約4320万人(うち日本人が約210万人)、1930年での日本の人口が約6440万人、1940年で約7310万人だったので、日本の約半分の人口を持つ巨大なマーケットが満州国のもう1つの姿でした。

Ⅱ 満州国で作られたアルコール添加酒

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(出典:wikipedia)

日本人が多く入植した満州は寒冷の地であるのと入植者に青年層が多かったので、日本国内に比較して1人あたりの清酒消費量は2倍と言われていました。

その為、日本国内より相当量の清酒を移入するとともに、満州国内でも清酒の製造を行っていましたが、現地の水が非常に硬水であったことや、酒造適性の乏しい満州産米を使わざる得なかったこと、設備の貧弱な酒造場が多く腐造や火落ちなど品質に問題のある酒が後を絶たなかったこと、既成の日本酒は現地の極寒の気候では凍ってしまうことなどから、満州独自の醪にアルコールを添加する酒造りの研究が満州国経済部試験室を中心に研究されていました。

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(出典:満州国写真館)

1940年(昭和15年)に日中戦争の拡大により原料米の統制が行われ、日本国内の清酒製造量が半減した為、日本国内からの清酒移出量が減少しました。この時期に新京の丸三工業株式会社にてアルコール添加酒の標準的な製造手法を確立し、1941年(16年)に満州全土の酒造場でアルコール添加酒の製造が実行に移されました。

このお酒は満州にて、第一次酒または第二次増産酒と呼ばれました。

Ⅲ 日本国内でも米不足の為アルコール添加酒が造られるようになった。

1941年(昭和16年)に太平洋戦争がはじまったことにより、日本国内でも米不足に拍車がかかり、1942年(昭和17年)に食糧管理法が制定され、酒造米も配給制になりました。

このような状況の中で清酒増産の為にアルコール添加酒の製造が酒不足の解消の近道と考え、醸造試験所で1942年に試験醸造を行い、同年55の酒造場で試験醸造を行いましたが、アルコール味を残し酒の旨味やゴク味が乏しくなったため、甘み成分の増強を目的とした四段添加や、乳酸・コハク酸・クエン酸等を添加する補酸が行われました。

1944年(昭和19年)には、内地の全酒造場でアルコール添加酒が製造されるようになりましたが、日本酒の純粋性と品質低下を招くとの批判があったので、大蔵省はアルコール添加酒を原則的に清酒三級として扱うように通達を出しました。

Ⅳ 満州で製造された糖類添加酒

1942年(昭和17年)になって、満州ではさらに酒造用原料米の割り当てが減らされる一方で清酒の需要が益々増加してきたのでアルコールをさらに大量に入れて増量する必要に迫られました。

そうなると4段添加では甘みが追い付かないため、既に実用化されていた合成清酒の技術を参考にして、糖類を醪に直接添加するという方法が満州国経済部試験室で考案されました。

これを第二次酒、第二次増産酒と呼び、白米の醪1に対して、25度の醸造アルコールを3添加することで約3倍の酒を製造する手法です。満州ではこの第一次増産酒、第二次増産酒の製造が、昭和20年まで行われました。

次回は、「終戦直後の食糧難と施設及び人的損失による酒造りの困難」についてお伝えいたします。

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石黒 建大

SSI研究室専属テイスター。酒匠、日本酒学講師、SSIの日本酒地酒検証研究員、日本酒香味検証研究員、日本酒セールスプロモーション研究員。 第2回、第3回世界利き酒師コンクールセミファイナリスト。現在は大阪の某有名料理店に勤務。