およそ40年前まで、日本には、何年も熟成させて楽しむ日本酒がほとんど存在していませんでした。しかし、日本酒の歴史を振り返ると、鎌倉時代にはすでに3年熟成の酒があり、江戸時代には5~10年寝かせた熟成古酒が造られています。

明治時代になると、政府の税制によって、年を越して熟成させる酒が姿を消してしまいますが、昭和40年代に入ると、熟成古酒に挑戦する酒蔵が再び現れ始めました。この"熟成古酒の失われた100年"を、日本酒造りの歴史とともに振り返っていきます。

前回の記事では、級別制度の廃止と酒販免許自由化が業界に与えた影響について紹介しました。今回は、特定名称酒という新たなグレードの導入と純米酒造りを阻んだ要因についてをみていきましょう。

級別制度にかわる新たなグレード分類

消費者の生活が豊かになるにつれて、一級酒の消費量はブーム的に伸び、一級酒が主体の灘や伏見の大手銘柄の出荷量は大幅に増えました。しかし、全国同一の基準で審査される一級酒への反発から、審査を受ける必要がない二級酒がブームとなり、やがて級別制度は1992年に廃止となります。

そこで級別制度に代わるグレード表現として登場したのが、造り方の違いによる分類、いわゆる「特定名称酒」(吟醸酒、純米酒、本醸造酒など)です。

多くの蔵元は、その酒を造る時にかかるコストや手間暇などから普通酒よりは本醸造酒が、さらに純米酒、吟醸酒と順にグレードが上がるにつれ、消費者の評価も高くなると判断し、それぞれの販売価格を設定しました。

特定名称酒それぞれの造り方には、どのような特徴があったのでしょうか。

「普通酒」は、白米重量の50%までアルコールを添加できることから、原料を吟味してていねいに造っても、「うまい!」と感動を与えるほどの酒にするのは難しかったようです。また、搾り時点の日本酒度の調整が難しく、商品として出荷するときに簡単に甘さを調整できることから、以前は三増酒をブレンドするケースもあったようです。

「本醸造酒」は、普通酒と比べると、原料米の等級、精米歩合、麹歩合などの厳しい制限が存在するため、ていねいに造ればそれだけ品質が良いものができました。また、添加するアルコールの割合も制限されているため、醸造工程で発生した欠点を大量のアルコールでごまかすこともできません。純米酒にはおよびませんが、目指す酒質に合わせた多様な酒を造ることができました。

「純米酒」は、原料米の選択からはじまり、すべての工程で手抜きをせずていねいに造ることが必要ですが、それらのコストや労力は販売価格に反映されます。目指す酒質に合わせた多様な造り方ができますが、作業を雑に行ったり、目指す酒質に合わない造り方をすると、ひどい酒ができることもありました。

純米酒造りを阻んだ、造り手の技術不足

日本酒業界が起死回生を期待した「特定名称酒」という造り方による差別化により、特に純米酒には思わぬ落とし穴が待っていました。

級別廃止後の特定名称別の出荷状況を見ると、制度がはじまった1992年の本醸造酒は、出荷量全体の約14.8%、純米酒は3.6%と、それなりに受け入れられていました。しかし、級別制度が廃止されて10年以上経っても、純米酒の伸びはほとんど見られないばかりか、本醸造酒は減少の一途をたどるという厳しい現実が続きました。

スタート時点では順調に伸び始めていた純米酒は、なぜ大きく成長できなかったのでしょうか。

ビールなどの他アルコール飲料の消費量が増えるなかで、日本酒が伸び悩んだ大きな原因は、消費者の本物志向が進む中でいつまでも戦時に緊急避難的に始めたはずのアルコールを大量に添加する造り方を続けていたためです。その間、日本酒造りの複雑で緻密な技術も忘れ去られてしまい、いざ純米酒を造ろうとしても簡単には造ることができませんでした。

1980年代には、埼玉県の「神亀酒造」や石川県の「福光屋」などの6社が純米酒しか造らない蔵としてすでに注目されていましたが、そのような蔵はまだ少数。純米酒造りに本格的に取り組む蔵が全国に増え始めるのは、もう少し時間が必要でした。

(文/梁井宏)

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