およそ40年前まで、日本には何年も熟成させて楽しむ日本酒がほとんど存在していませんでした。しかし、日本酒の歴史を振り返ると、鎌倉時代にはすでに3年熟成の酒があり、江戸時代には5~10年寝かせた熟成古酒が造られています。

明治時代になると、政府の税制によって、年を越して熟成させる酒が姿を消してしまいますが、昭和40年代に入ると、熟成古酒に挑戦する酒蔵が再び現れ始めました。この"熟成古酒の失われた100年"を、日本酒造りの歴史とともに振り返っていきます。

前回の記事では、三倍増醸酒の功罪について紹介しました。今回は、級別制度の廃止と酒販免許自由化が業界に与えた影響をついてをみていきましょう。

盛り上がりに欠けた純米酒化の機運

公正取引委員会が業界に行ったアンケート調査の結果が同日示されたが「本来清酒とは米と麹だけに付けるべき名称だ、との意見があるが、どう思うか?」という問いに対し、87%は『そうは思わない』とし、その理由として「技術が優秀になってきたので、三増酒も質はかわらない」「三増酒は消費者がなじんでいるから」などをあげている。食品メーカーとしての「本来の姿勢」を忘れた考えであって、きわめて残念だ。

日本醸造協会誌 70巻5号「酒類の表示改革へ提言」(竹内直一/昭和50年)

この文章を読むと、当時の日本酒業界関係者と、消費者を含む業界外の人との発想の違いがはっきりと分かります。

明治時代以来、日本酒業界は国による厳しい規制と保護政策に翻弄され、国の指導には盲従するかわりに、「何か困ったことが起こると国が助けてくれるだろう」という感覚が強かったようです。

私はもう遅すぎると思うぐらいですが、日本酒を民族酒として発展的に存続させるには、真にうまい日本酒を造ること、すなわち全米酒ないしそれにできるだけ近い物を造ることと信じています。

日本醸造協会誌 68巻5号「私の提案」(本田勝太郎/昭和48年)

今一度造りの原点にもどって検討いただきたいと思う。70%の白米で素晴らしい無添加酒が全国いたるところに出てくるように早くなってもらいたいものである。アル添、三増に馴れて造りの原点が疎かになっていることと、ハゼ込みの浅い機械麹やインスタント酒母、あるいは酵母仕込み等により、酒の味、酒の深さなどがかなり変形してきた等を見直して、多様化になるほど酒造りの根本を検討して、特徴のある商品に造り出すことであると思う。

日本醸造協会誌 68巻8号「清酒の多様化について」(増田義実/昭和48年)

1970年代になると、上記のような純米酒化を提言する蔵元も現れ始めてきました。

しかし、ほとんどの蔵元が消費者の声には一切目を向けず、従来通りのアルコール添加酒や三倍増醸酒を造り続けていたため、純米酒化の機運は盛り上がらないままでした。

もし、このときに日本酒業界がこれらの提言を真摯に受け止め、本気になって純米酒化への行動を起こしていたら、日本酒が消費者から遠ざかることはなかったかもしれません。

級別制度の廃止と酒販免許の自由化の影響

さらに不運だったことは、50年間以上も続いた日本酒の級別制度が廃止される時期と、世の中の自由化の波によって酒販免許が緩和されるタイミングがたまたま重なってしまったことです。

それまで「特級酒」「一級酒」「二級酒」というわずか3つの非常にわかりやすい分類で、日本酒を選んでいた消費者は選択の基準をなくしてしまいました。一方で、酒類小売業免許の自由化により、それまで酒を売った経験のなかった大型小売店やスーパーマーケットが、嗜好品である酒を他の食品などと同じ感覚で売り始めます。

これらの小売業態の特徴は「価格競争による低価格と大量販売」ですから、級別制度の廃止によって、酒を選ぶ基準をなくしてしまった多くの消費者は、新たに「価格」を基準として選ぶようになったのです。

級別制度が廃止された当時、それまでの級別のイメージを引き継いだ「特選」「上撰」「佳選」などのグレード表現が登場します。しかし、それは級別制度のように国がその品質を保証する全国的な基準ではなく、それぞれのメーカーが独自に決めたものです。特定名称酒(普通酒、本醸造酒、純米酒、吟醸酒など)の表記も、一般の消費者にとってはわかりづらいものでした。

消費者にとって、戦後親しんできた級別制度はわかりやすく、その酒のイメージや品質も、二級酒、一級酒、特級酒の順に高くなることが多くの人に認識されていました。

たとえば、高級な料亭では特級酒。ちょっとした料理屋や割烹店では一級酒。大衆的なおでん屋や小料理屋では二級酒などと、何の説明がなくてもお互いに暗黙の了解が成り立っていたのです。

お歳暮に日本酒を贈る場合でも、酒販店に送り先と特級酒や一級酒の級別の指定を伝えておけば、酒販店は指定のグレードのお酒を届けてくれました。それを受け取った方は、そのグレードを見ただけで贈り主の気遣いがわかったものです。

お客さんと会話のある飲食店であればその違いを説明できますが、ギフトともなると難しく、せっかく高級な日本酒を贈っても、級別のグレードがないと相手に価値が伝わらないことも増えます。その結果、日本酒ではなく他のものを贈る傾向が強くなり、それまで日本酒の大きな市場であった贈答需要が激減し、日本酒の消費量減少に拍車をかけました。

第二次世界大戦以後、米の買い入れから始まる酒造りとそれを販売する酒販店は、国による厳しい規制にしばられながらも、価格競争に巻き込まれないなどの規制に守られてきました。しかし、時代の変化には逆らえず、日本酒業界は級別制度の廃止による選択基準の多様化と酒販免許の自由化による価格競争という、かつて経験をしたことがない難題に直面することとなったのです。

(文/梁井宏)

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