「酒蔵のある風景は、絵になるものが多い」

そう語るのは、13年間で日本全国の酒蔵900軒を巡り、水彩画を描き続けてきた加藤忠一さん。力強く生き生きとした酒蔵の姿を色鮮やかな1枚の絵に収める加藤さんの目には、酒蔵、そして日本酒がどのように映っているのでしょうか。

加藤さんが描いた酒蔵の絵とともに、酒蔵巡りを始めたきっかけと、そこから見えてきたものを伺いました。

神奈川県相模原市にあるアトリエ「パスタイム」にて、加藤忠一さん76歳

きっかけは、一升瓶の王冠

加藤忠一さんは76歳(2018年1月現在)。神奈川県相模原市に住んでいます。鉄鋼メーカーを定年退職後、2004年から2017年まで、全国の酒蔵を巡り、酒蔵の水彩画を描いてきました。

アトリエに入って最初に見せてくれたのは、一升瓶の王冠のコレクション。実はこの王冠こそ、加藤さんが酒蔵巡りを始めたきっかけなのだそう。

加藤さんは勤務先でブリキの研究をしていたある日、大好きな日本酒を飲んでいるときに、ブリキの王冠に興味を持ち始めました。30代半ばから王冠を集め始め、今ではその数1000種類以上。近隣の酒屋にある銘柄は飲み尽くしてしまい、酒蔵へ行って日本酒を買い集めようと思ったのが、酒蔵巡りのスタートでした。

お気に入りのデザインの王冠を100種類、マグネットに加工してアトリエ内に展示している。

お気に入りの王冠100種類をマグネットに加工して、アトリエ内に展示しています。

"木のある風景"に魅せられて

全国の酒蔵を巡ろうと決意し、最初に向かったのは、地元・神奈川県相模原市の久保田酒造。その風景に目を奪われ、加藤さんはさっそく筆を執りました。

神奈川県相模原市の久保田酒造

「酒蔵を巡り始めて気付いたのは、大きな木のある蔵が本当に多いことですね。それが、蔵を描き続けようと決めた大きな理由です。建物だけでなく、まわりの環境と合わせた美しさがあるんですよ。酒蔵は100年、200年と長い歴史をもっている蔵が多い。だから、そこにある木も樹齢の高いものが多いんです」

そう言って見せてくれたのは、スダジイという樹齢1000年を超える木がある宮崎酒造(千葉県)。歴史を感じさせる建物が、緑鮮やかな自然と見事に調和しています。

スダジイという樹齢1000年を超える木がある宮崎酒造(千葉県)

「長い歴史をもつ蔵のなかには、国の登録有形重要文化財に指定されているところもあります。瓦は描くのが大変だけど、どっしりとした重厚感があって、かっこいいんですよね」と、小坂酒造場(岐阜県)の絵を見せてくれました。

小坂酒造場(岐阜県)

900もの酒蔵を巡った加藤さん。そのひとつひとつがどのような蔵だったのか、詳細に覚えているそうです。懐かしそうに目を細め、作品集として綴った絵のページをめくりながら、ていねいに話を聞かせてくれました。

記憶に残る、蔵元との会話

加藤さんは自宅から車に乗って、ひとりで日本全国を巡っていきました。当初は、1日1軒のペースでじっくりとまわっていたのだそう。蔵に到着すると、まず最初に酒を買い、蔵元と会話をしながら絵を描く了承を得るのだとか。

なかには、描いた絵を蔵元が気に入って、原画を所望されたり、年賀状のイラストに使ってくれたりすることもありました。基本的に、1度訪れた酒蔵には再訪しないそうですが、唯一何度も足を運んだのが、越生(おごせ)酒造(埼玉県)です。

「偏屈なオヤジがいてね。『俺が酒を選ぶ。お前の好きな食べ物を言ってみろ』といって、客の私に酒を選ばせてくれなかったんですよ。『来陽』っていう銘柄で、僕はここの酒が一番好きだった。濃厚なしっかりとした味わいで。今はもう廃業してしまったのが、残念なんだけどね」

生越(おごせ)酒造(埼玉県)

関東の酒蔵を巡り尽くして、最後にたどり着いた住の友酒造(茨城県)では、「ご苦労さん」と一合瓶をプレゼントされたそうです。その酒は今でも大切に保管されていました。しかしその後、東日本大震災で蔵は倒壊。復興を果たした後、記念として加藤さんの絵をラベルに使用してくれたそうですが、この蔵もすでに廃業してしまったのだそう。

住の友酒造(茨城)

作品集としてデジタル出版されている加藤さんの作品には、それぞれの蔵や絵にまつわるエピソードが添えられています。

いち日本酒好きにも、できることがある

加藤さんが描いた酒蔵のうち、1割ほどはすでに廃業してしまったのだとか。

「900もの酒蔵を巡って絵を描いていると、自分なりに見えてくるものがあるんです。廃業している蔵が多いことを知ったり、小さい蔵のがんばりをこの目で見たり......衰退していると言われている日本酒業界に対して、何かできることはないかと考えるようになりました」

加藤さんは元研究者という経歴を生かし、日本酒業界について独自に調査・研究を続け、『日本酒酒蔵 衰退か復活か』という書籍を出版。また、池袋で行われた2017年の「日本酒フェア」でも90点の作品を展示し、多くの来場者を楽しませていました。

小さい水彩画セットで旅を続ける加藤忠一さん

水彩画のセットを携えて絵を描き続ける加藤忠一さん

業界の行く末を懸念しアクションを起こすのは、関係者の専売特許とはかぎりません。いち日本酒好きの一般消費者でも、小さなアクションを起こすことができるのだと、加藤さんの姿を見て強く思いました。

「日本酒は毎晩2合まで。その後は、妻と映画を見るのが日課なんだ」

そう語る加藤さんが今取り組んでいるのは、"のれんのある居酒屋"の早描きスケッチ。あなたの町にも、水彩画セットを携えた加藤さんが、現れるかもしれませんよ。

(取材・文/古川理恵)

   

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