2011年3月11日に起きた東日本大震災。宮城県沖を震源とするマグニチュード9の地震は、東北地方の太平洋沿岸を中心に大きな被害をもたらしました。多くの尊い命をはじめ、家屋や街並みが奪われ、その傷は今も癒えることはありません。
それぞれの地元で長い歴史を刻んできた酒蔵にとっても例外ではなく、いくつもの蔵が移転や廃業を余儀なくされました。あれから10年。当時被災した酒蔵は、何を思い、酒造りを続けてきたのでしょうか。
今回、紹介するのは、2021年2月に福島県南相馬市小高区にオープンしたばかりの酒蔵「haccoba(はっこうば)」です。創業メンバーの3人のうち2人は福島県外の出身である彼らは、なぜ、小高区での酒造りを選んだのでしょうか。
ゼロからのまちづくりに挑む
東日本大震災がもたらした恐ろしい揺れと津波は、当時操業中だった東京電力 福島第一原子力発電所の事故を引き起こし、半径20km圏内は警戒区域として避難指示が出されました。南相馬市小高区は全域が警戒区域に入り、一時は人の姿が消えました。
10年もの月日が経過しても、地震と津波、原発事故の災害に襲われた町の復興は道半ば。しかし、小高区の住民登録人口の53%が帰還しているという南相馬市のデータ(2021年1月)もあり、にぎわいが少しずつ戻ってきています。
そんな南相馬市小高区に、2021年2月、新しい酒蔵がオープンしました。創業メンバーは、代表の佐藤太亮(たいすけ)さんと佐藤みずきさん、そして立川哲之さんの3名。みずきさんはいわき市出身ですが、ほかのふたりは福島県との強い縁はありません。
なぜ、彼らは南相馬市を選んだのでしょうか。代表の太亮さんは次のように話します。
「学生時代に日本酒のおいしさを知ってから、『いつか自分の酒蔵を持ちたい』と夢を抱くようになり、適切な場所をずっと探していたんです。海外や都内などの選択肢もありましたが、経済的な価値よりも文化的・社会的な価値が最大化される土地で挑戦したいと思っていました」
実は、太亮さんの誕生日は3月11日。その日が来るたび、震災に思いを馳せてきたため、何か力になりたいという使命感もあったそう。また、震災直後から南相馬市で復興事業を担ってきた人たちとの出会いを通して、ゼロからのまちづくりを前向きに捉える価値観にも共感したと言います。
2019年4月から準備を始め、2020年の6月に南相馬市に移住。その後、いっしょに事業を行う仲間を探していたときに出会ったのが立川さんでした。
学生時代に東北復興と日本酒をテーマにした学生団体を立ち上げ、蔵人としても働いていた立川さん。震災以降、酒蔵がなくなってしまった相双地域(相馬地域と双葉地域を合わせた地域)にいつかは酒蔵をつくりたいという思いを抱いていたため、佐藤さん夫妻と意気投合し、事業への参加を決めました。
「haccoba」という名前には、発酵をともに(co-)楽しむ場という意味と、地域社会・文化・地球環境などの広い意味で、自分たちが関わる場を「発酵(持続可能な形で前に進めていくこと)」させたいという思いが込められています。
ホップを用いた伝統製法「花酛」
「haccoba」が造るお酒は「清酒」ではありません。清酒の基本的な原料である米・米麹・水以外に副原料を使用する「その他の醸造酒」と呼ばれるジャンルです。
メインの商品となるのは、ビールの原料であるホップを添加したお酒。これは「花酛(はなもと)」と呼ばれる、かつて東北の一部で行われてきた伝統製法を取り入れたものです。ホップの防腐効果が醪の発酵を助けるとされていましたが、各家庭でどぶろく造りが禁止されたころから、徐々に廃れてしまった製法なのだそう。
なぜ、「花酛」にたどり着いたのか。太亮さんは次のように話します。
「この土地にルーツがあり、伝統文化をつないでいくものづくりに興味がありました。一方で、『花酛』は現在ではほとんど行われていない製法。現代の視点から見ると、伝統と同時に、クラフトビールのような新鮮さも感じられると思ったんです」
そんな「花酛」について、立川さんが具体的な製法を教えてくれました。
「まず、酒母の段階でホップの煮汁を添加します。その後、醪(もろみ)を搾る前にホップを漬け込み、香りを引き出すんです。昔は、東北各地に自生していた『カラハナソウ』というホップの近縁種を使っていたそうで、今回はホップとカラハナソウの両方を使う予定です。日本酒らしいクリアな味はそのままに、ビールのペールエールのようなホップの香りがプラスされる感じでしょうか」
真剣な眼差しで自分たちが目指すお酒を語る「haccoba」のみなさん。そこにあるのは、脈々と受け継がれてきた発酵文化が内包するロマンを現代に復活させたいという思いです。
「酒蔵が誕生するずっと昔、酒造りが民間で行われていた時代は、日常の延長でお酒を造っていたはずです。どぶろくの文献を読むとわかりやすいのですが、家庭ごとの味があったみたいなんですよね。造り手がたくさんいたからこそ、多様な味わいが存在していたのでしょう。
現在は、法的な定義によるお酒のジャンル区分が明確で、造り手にも規制がある時代です。しかし、そういうものを取っ払ったとき、未来につないでいける発酵文化のヒントが見えてくるのではないでしょうか」(太亮さん)
「haccoba」のコンセプトは「みんなで育てる酒蔵」。造り手と飲み手が相互に関わりを持ち、ゆるやかにつながり合うような関係性を目指しています。日本家屋をリノベーションした酒蔵には、バースペースも併設されています。
カウンターに立つのはみずきさん。誰でも気軽に立ち寄ることができ、イベントやワークショップも開催できるような、カジュアルな雰囲気の場所にしていく予定だそうです。
「建物は一見普通の住宅なのに、実は酒蔵というギャップがあって、自家醸造しているような雰囲気を楽しんでいただけると思います。」(太亮さん)
「1,000年続くブランドをつくる」
太亮さんは埼玉、みずきさんは東京、立川さんは九州と、それぞれ別の場所で迎えた2011年3月11日。これから南相馬市小高区で酒蔵を始めるにあたり、震災を意識することはあるのでしょうか。
「僕たちはここで被災していないので、わかりたくてもわかりきれないことがたくさんあると思います。だからこそ、この土地の方々に対しての心遣いを忘れずに事業を進めていきたいです」(太亮さん)
福島県と縁のない人の中には、現在の復興の状況が伝わっていないと感じることもあるのだとか。そのうえで、「自分たちがおいしいお酒を届けられたら、福島県のことを気にかけてもらうきっかけになるのでは」と期待する面もあるといいます。
震災の記憶を薄れさせていく、10年という月日。そんな中で、悲劇に見舞われた土地からお酒を通して現在の状況を伝えていくことは、大切な発信になるに違いありません。「haccoba」の目標は「1,000年続くブランドをつくる」こと。壮大な夢にも思えますが、太亮さんにとっては自然に出てきた思いなのだそう。
「事業が急成長する以上に、この土地でしっかり続けていくことを大事にしたいんです。続けることに反するような意思決定はしたくない。長い目で未来を考えています」(太亮さん)
これには、日本国内にあるすべての酒蔵をめぐる活動をしていた立川さんも共感。「長く続いている酒蔵は地域の誇りになっている」と語り、自分たちもそうでありたいと意欲を見せています。
「いろいろな方々に支援をいただいて期待を背負っているぶん、おいしいお酒をお届けしたいですね」(立川さん)
デザインや店舗設計など、酒造り以外の部分を手がけるみずきさんも、「ゼロから酒蔵を立ち上げるのは思っていた以上に大変でした。それでも、自分たちが納得できるように形にしていくことは、苦労も吹き飛ぶ楽しさです」と振り返ります。
今回の取材を行ったのは最初の醸造が始まる直前。ブランド名をうかがうと、「我が子の顔を見ながら決めていきたいので、まだ決めていません」と微笑みながら話してくれた太亮さん。どのようなお酒ができあがるのか、わくわくは尽きません。
それぞれの場所で震災を経験した3人が、導かれるように集まった南相馬市小高区。人口がゼロになった町で、ゼロからのスタートを切った「haccoba」は、これからどのように地域に根付き、成長していくのでしょうか。
グランドオープンは4月10日(土)。これから、新しい酒蔵の歴史が始まります。
(取材・文:渡部あきこ/編集:SAKETIMES)
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