2019年に誕生した「常陸杜氏(ひたちとうじ)」は、茨城県酒造組合産業技術イノベーションセンターがタッグを組んで立ち上げた県内独自の認証資格です。

伝統的な酒造りの技を継承する昔ながらの杜氏集団とは異なり、地元の造り手の育成や茨城県産日本酒のブランド化推進など、あくまで茨城県の地酒を発展させていくための資格として創設されました。

茨城県産業技術イノベーションセンター 武田文宣さん

茨城県産業技術イノベーションセンター 武田文宣さん

その仕掛け人となったのが、茨城県産業技術イノベーションセンターの武田文宣(たけだ あやのぶ)さん。長年にわたり酒質の向上に努めてきた茨城地酒の土台を支えるひとりです。茨城県酒造組合は、なぜ独自の杜氏制度を始めるにいたったのでしょうか。茨城地酒の今後の展望と合わせて、お話をうかがいました。

「常陸杜氏」誕生の背景

「淡麗辛口」で一世を風靡した新潟県や、大手メーカーが本拠地を置く兵庫県や京都府。銘醸地と言われる場所は数あれど、近年、醸造技術の発達を武器にして日本酒に力を入れる地域は続々と増えています。

茨城県のお酒の一部

茨城の地酒の一部

なかでも頭角を現しているのが茨城県です。もともと酒造りが盛んに行われてきた土地柄で、現在県内には関東で一、二を争う40蔵近い酒蔵があります。そのうちのほとんどが5人以下で造りを行っている小規模な酒蔵で、味わいは多様に富んでいます。

「茨城県には豊かな水に恵まれた5つの水系(久慈川水系、那珂川水系、筑波山水系、鬼怒川水系、利根川水系)があり、気候も温暖でお米の栽培をはじめとした農業も盛ん。茨城県南部は江戸へ向かう水運で栄えたため、地理的にも酒蔵が成り立ちやすい環境だったのでしょう」

茨城県産業技術イノベーションセンター 武田文宣さん

そう話しをする武田文宣さんは、食や工芸をはじめとした県産品の研究等を行う茨城県産業技術イノベーションセンターの技術支援部で、茨城の地酒の発展に力を尽くしてきました。

武田さんが立ち上げに関わった「常陸杜氏認証制度」は、茨城県酒造組合が酒造りを行う技術者を独自に認証する資格です。酒造りのシーズンになると各地に出張して酒造りを行った南部杜氏や越後杜氏が技術集団なのに対して、常陸杜氏はいくつかの要件を満たした個人に称号として授与されます。

その誕生のきっかけは、蔵元たちからの「茨城に根ざした杜氏を育成したい」という声からでした。

「酒造りが地方から杜氏を招いて行うものから、蔵元や社員で行うスタイルに変化する中で、茨城県では10年ほど前までは南部杜氏や越後杜氏にお願いしている酒蔵が多数ありました。しかし、徐々に地元の造り手が増え、醸造技術のさらなる向上が大きな課題になってきました。

もし茨城県独自の認証制度があれば、蔵人たちの目標になるだろうし、ひいては茨城地酒のブランディングにもつながるのではと考え、酒造組合とともに検討していくことになったのです」

杜氏育成コースの講義風景

杜氏育成コースの講義風景

常陸杜氏の取得要件は、栃木県の下野杜氏や秋田県の山内杜氏などの事例を参考に制定。茨城県内の酒蔵で一定期間酒造りに携わることや、国家資格である酒造技能士1級の取得、さらに産業技術イノベーションセンターが主催する研修「杜氏育成コース」を受講していることに加え、筆記、きき酒、小論文、面接などが課されます。

「控えめに言ってもかなり難しい資格です」と武田さん。ただし、決してふるいにかけるためではなく、実力を正しく評価するための試験である点を強調します。

「常陸杜氏の認証を得た上でどのようなお酒を造るかは、彼らの個性次第。取得して終わりではなく、その後も酒造りの技術を各自磨き上げてもらうことが常陸杜氏の目指す姿です」

茨城地酒の地位向上を目指して

時代の移り変わりの中で、季節雇用の杜氏の高齢化などから人材育成が急務となった茨城県。常陸杜氏は、そんな構造的な課題を解決するための存在であると同時に、「もうひとつ大切な役割がある」と武田さんは話します。それは茨城地酒の地位向上です。

今でこそ都内の飲食店や酒販店でも人気の銘柄を数多く抱える茨城県ですが、武田さんが清酒担当に配属になった15年ほど前は、全国的に見ても、茨城地酒の評価はあまり高くありませんでした。

象徴的だったのは全国新酒鑑評会での成績です。一時期は金賞を獲得する酒蔵が2蔵となるほど、低迷していたのです。

「市販酒の品質向上のためにも、酒造技術の向上は必要で、まずは酒蔵共通の目標となりやすい鑑評会出品酒の底上げを目標に吟醸造りの支援をはじめました。もともと金賞を獲得することに意欲的ではなく、狙うための酒造りをしていない酒蔵もありましたし、そうでなくても意気込みに反してなかなか結果が伴わないというか、理想とする吟醸酒造りができないことに悩む蔵元や杜氏もいました。

当時は南部杜氏や越後杜氏に来てもらって酒造りをしていた酒蔵も多く、造りに詳しくない蔵元が外部の杜氏に対して意見を伝えるのが難しい状況だったのかもしれません。季節雇用の杜氏も組合の講習会などはあるものの、酒造りの環境や設備は酒蔵によってまちまちで、金賞をとれるほどの造りにまで落とし込めていませんでした」

清酒製造研修(製麹)

清酒製造研修(製麹)の様子

武田さんが酒質の向上のために取り組んだのは、ポイントを抑えた酒造りです。

勉強会を立ち上げ、福島県や山形県、宮城県など先進県の取り組みを参考に、「データ的に今はこうだけど、こうしたらもっとよくなるよ」と、杜氏や蔵人たちにわかりやすく提示することで変えるべきところを変えていきました。

「県内外の技術指導をされる先生方からも吟醸酒の甘味不足や香味の不調和を指摘されることが多かったので、重点的に行ったのはグルコース濃度を管理すること。麹菌を変えたり、お米の溶け方に合わせて追い水をするタイミング・量だったりを酒蔵の特性や造り手の性格に合わせてアドバイスしました」

さらには機材や道具の扱い方や搾った後のお酒の管理まで、細かい部分から徹底的に改善を図ります。

その成果もあり、2012年に過去最低を記録した金賞受賞数は、翌年には11蔵と飛躍的に増加。その後も継続して結果を出していけるよう蔵元たちを鼓舞し、今では関東最多の金賞受賞数を獲得する年もあるほどになりました。

「当時は大吟醸酒をとりあえず出品してみるといったような感覚で、金賞を逃しても負け癖のような諦めのムードがありましたが、やはり受賞できると嬉しいものですよね。金賞という明確な目標ができて、杜氏だけでなく蔵元も酒質向上にモチベーションが上がったように感じました。しっかりと金賞受賞という結果を出せたことで、全国に茨城地酒の可能性を示せたのも良かったです」

茨城県産業技術イノベーションセンターの武田先生

一方で、武田さんは、県内で蔵元杜氏や社員杜氏が先頭に立って酒造りを行う酒蔵が増えたことも、酒質向上の要因になったと分析します。

「造り手が地元人材中心にシフトすることで、夏場の勉強会などを通して、造り手同士のネットワークが広がり、情報交換が活発になるなど、お互いに切磋琢磨していく雰囲気が醸成されました。

さらに、地元・茨城だからこそ、その土地や酒蔵の個性をよく理解して造りに落とし込んでいる造り手が増えています。季節雇用の杜氏から受け継いだ高い酒造りの技術に加えて、お米の良さを生かすとか、酵母の特性を生かすような造りができるようになりました」

彼らのような地元で酒造りに挑む蔵人が常陸杜氏を取得することで、「常陸杜氏のお酒=茨城らしいおいしいお酒」という認知につながる展開も期待されています。

「たとえば茨城県産の酒米である『ひたち錦』のポテンシャルを生かした挑戦ができたら、常陸杜氏の名前も意味のあるものになるのでは」と武田さん。茨城の日本酒が一層進化するための鍵を担うのが、常陸杜氏なのです。

常陸杜氏に求められるものは「人間力」

「森嶋」森島酒造(日立市)の森嶋正一郎さん、「結ゆい」結城酒造(結城市)の浦里美智子さん、「一品」吉久保酒造(水戸市)の鈴木忠幸さん、

初代認定の3名。左から、結城酒造の浦里美智子さん、森島酒造の森嶋正一郎さん、吉久保酒造の鈴木忠幸さん(2019年11月撮影)

現在、常陸杜氏の認証者は、「森嶋」森島酒造(日立市)の森嶋正一郎さん、「結ゆい」結城酒造(結城市)の浦里美智子さん、「一品」吉久保酒造(水戸市)の鈴木忠幸さん、「白菊」廣瀬商店(石岡市)の久保田通生さん、「武勇」武勇(結城市)の深谷篤志さん、「男女川」稲葉酒造(つくば市)の松浦将雄さん、「来福」来福酒造(筑西市)の加納良祐さんの7名。取得したことで「取材が増えて、注目されることが励みになっている」という声も聞かれるそうです。

今後さらに常陸杜氏が増えていけば、認証者同士でタッグを組んで新商品の開発を行ったり、常陸杜氏の名を冠したイベントを開催したりと新たなPRの場が生まれる可能性もあります。

「茨城の日本酒は多様で、一言で『こんなお酒です!』と説明するのは難しいんです。ただ、その分、同じ原料、同じ酵母を使ってもこれだけ味わいが変わるのかと驚くほど。全国的に利用されているM310酵母や小川酵母の発祥の県でもありますし、それらを使いこなして特性を生かした酒造りができたら大きな強みになると思います。伸びしろはまだまだありますよ」

その上で、「飲み手へのアプローチも急務」と、武田さんは続けます。

実は茨城県は、日本酒の消費量のうち県産酒の占める割合が2割弱しかありません。他県に比べて低い水準にあり、地元消費の低迷が長年の課題でした。長引くコロナ禍で酒造業が打撃を受けている今、茨城地酒が生き残るためには地元の日本酒ファンへのアピールが必須ですが、その点でも、茨城のお酒のシンボルとして常陸杜氏の存在は欠かせません。

茨城県産業技術イノベーションセンター 武田文宣さん

「常陸杜氏の研修をはじめ、さまざまな機会で『リーダーシップを発揮する人には特に、人間力を高めてほしい』と伝えてきました。杜氏や蔵元は現場のチームワークの要であるのはもちろん、商品を販売し、飲み手を酒蔵のファンに変えていかなければなりません。そのためにも『この人が造っている酒だから飲もう』という信頼感を獲得することを目指して欲しいのです。

地元・茨城での県産酒消費量の低さは、実はこれから市場を開拓できる可能性がまだまだあるということでもあります。それを意識して、さらに発信や認知を広げていってほしいですね。バラバラの個性がそれぞれに光り輝く姿こそ、茨城のお酒の魅力です」

逆境をはねのけ、ひたむきに酒造りに向き合ってきた茨城の酒蔵と、それを陰で支え続けた茨城県産業技術イノベーションセンターの武田さん。両者の関係性の先に生まれた常陸杜氏制度は、茨城で酒造りに携わる方々が自分たちのお酒にプライドを持つ上での拠り所になると感じました。

「最後は人間力」と語る武田さん。常陸杜氏の真髄は、酒造りの技術や知識にとどまらず、お酒の縁を広げていけるような人柄にこそ宿るのかもしれません。

(取材・文:渡部あきこ/編集:SAKETIMES)

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