レストラン・カフェ・ギャラリーを備えた複合施設「酒々井(しすい)まがり家」(以下、まがり家)を玄関として、年間5万人の観光客を惹きつける飯沼本家

酒蔵ツーリズムの代表格といえる飯沼本家の人気の秘訣は、既存の日本酒業界のやり方とはまったく異なる経営戦略があるからこそ。一体そこには、どんな哲学・戦略があるのでしょうか。SAKETIMESライターのゆりえが、飯沼本家の経営を担う次期蔵元、取締役営業部長・飯沼一喜さんにお話をお伺いしました。

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飯沼本家の経営哲学・戦略とは

- まずは、飯沼本家の顔である「酒々井まがり家」は、どのようにして年間5万人ものお客様を惹きつけるものになったのですか?

まがり家は、直売店としては以前からあったものの、集客力はありませんでした。しかし、酒々井にアウトレットができ、訪れる人が増えることが明らかだったので、まがり家にギャラリーと飲食店をオープンさせました。ただお土産を買うだけでなく、食べる・見るというエンターテイメントを付加価値にしたのです。

狙い通りにまがり家の来訪者は増加し、現在は毎年5万人ほどのお客様が訪れるまでに成長しました。また、年に1度の「酒々井新酒祭」の際は、1日で来場者が6,000人にもおよび酒蔵内が大変にぎわいます。

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にぎやかな酒々井新酒祭の様子

ぼくらが提案する新しい酒蔵の形は、お酒を楽しむ「シチュエーション」や「場」を提案すること。地元の方はもちろん、遠方から来られたお客様がお酒を楽しめる「場」をつくるため、アートや飲食店、イベントを通して、飯沼本家ならではの体験を提供しています。

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まがり家には飯沼本家の銘柄が並び、購入できる。

- そのような斬新なアイディアは、どのようにして生まれているのでしょうか?

戦略やアイディアは、基本は僕が考えます。アイディアは普段のインプットが大事ですから、他の日本酒メーカーの動向はもちろん、他業界の動きなどにもアンテナを張っています。気になるセミナーには足を運び、本もたくさん読み、テレビもチェックする。さまざまなチャネルでの情報のインプットを意識しています。

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僕は、飯沼本家のビジネスを日本酒業界という枠でとらえず、もっと大きなビジネス業界に位置づけて戦おうと思っています。日本酒製造のみを収益源にしなくてもいいし、日本酒を中心としてその他のコンテンツ・サービスでヒット商品を生み出すことも十分ありえます。ですので、アイディアはまずやってみることが大事だと思っています。もちろん失敗することもありますが、挑戦しないと何も変わらないですからね。

全て自分次第 - 経営センスを養ったMR時代

- 飯沼さんのこれまでの経歴を教えてください

僕は、中学、高校、大学と体育会サッカー部に所属していたのですが、とにかく真面目で厳しい部活でした。部活を通して、確実に忍耐力がつきましたね。あの時の練習を思い出すと、今でも何も怖くないと思います。

大学卒業後、酒類業界には入らず、旭化成のメディカル事業にMR(営業職)として入社し、5年間営業経験を積みました。MRの仕事は、任されたエリア内のお医者様に、自分が会社の顔となって薬を売っていく仕事。さまざまな立場のお医者様とコミュニケーションをとり、営業戦略もすべて自分で考えました。この時、基本的な営業の方法論や実務ももちろん学びましたが、そこで一番身についたのは、どんな人にもアプローチする度胸と勇気とどんな状況でも逃げない精神力でした。

5年間の営業を経て、スキルがある程度身につき、酒蔵に戻ることを意識しはじめました。飯沼本家は300年続く歴史ある由緒正しい酒蔵、継ぐ意志はもちろんずっとあってのことでした。そして、旭化成を退職し、佐賀の天吹酒造さんで半年間住み込み修行し、酒造りを学びました。

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修行時代の飯沼さん

- 酒蔵での住み込み修行では、何を感じましたか?

まずは、日本酒という商品の扱いにくさですね。例えば、僕が以前売っていた薬は、流通や値段に規則がありました。しかし、日本酒は明確な値段の基準などありません。さらに、薬の場合、AメーカーとBメーカーを比べ、性能のよいほうの薬を売りますが、日本酒の場合、どのメーカーが一番よいのかという定義がとても難しいのです。

あとは、酒蔵で働く蔵人の気持ちを理解できました。一般的に酒造りは特定の時期に集中するのですが、その期間は朝早くから日が暮れるまで作業があり、体力的にもきびしいものです。コンディションを整えるために、バランスよく休むことも大切だと気づきました。

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半年間の修行ののち、アメリカに留学し、2014年に「甲子(きのえね)USA」を設立しました。「甲子USA」は飯沼本家製造の日本酒をアメリカに卸す会社です。アメリカでの需要は間違いなく大きくなる、その未来のための投資でした。帰国後、飯沼本家取締役として、飯沼本家に入り、現在に至ります。

僕は、MR経験や留学経験という、酒蔵の跡取りとしては特殊な道を歩んでいますが、その経験が現在の経営スタンスに繋がっています。

飯沼本家の商品販売戦略

- 「まがり家」や「甲子USA」など、興味深い経営戦略ばかりですね。では、商品についての戦略はどのように考えていますか?

数多くある日本酒銘柄の中で抜きん出るには、ブランディングがとても重要です。そのために、飯沼本家ではブランドごとに販売販路を分けています。例えば、「一喜(いっき)」というブランドは、限定流通というかたちで地酒専門の酒屋や飲食店と共にブランドを育てています。

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一方で「甲子(きのえね)」は幅広い販売チャネルを展開しています。スーパーにも置いているので、お手軽に飲める日本酒としてお客様に親しまれています。

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理想はすべての商品を「まがり家」を軸にブランディングしていくことです。現在のまがり家での購買を加速させるのはもちろん、まがり家の店舗を銀座やニューヨークなどにも展開し、まがり家自体がブランド化されるという世界感をつくっていきたいですね。

また、今まで誰も造ったことのない商品をつくることにも挑戦しています。たとえば、今まさに貴醸酒のスパークリングを造っている最中です。貴醸酒にガスをいれた銘柄はほとんど市場にでておらず、新しい味が生まれることに期待しています。

次回は飯沼本家の“これからの展望”をご紹介します

「まがり家」や「甲子USA」やブランド別の販売販路の差別化など、飯沼本家の経営における戦略性・先見性は、飯沼さんの経験と、たゆまぬ思考錯誤があるからこそでした。そして、数々のアイディアを実行し続ける飯沼本家は、いままさに、日本酒業界の常識を覆す戦略を実行しようとしています。後半では、飯沼本家の今後の展開についてご紹介していきます。ご期待下さい!

(取材・文/石根ゆりえ)

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