世界各国のデザイン賞を獲得した「錦鯉」をはじめ、オリジナリティ溢れる取り組みで日本酒市場を賑わせている新潟・今代司酒造。SAKETIMESでは特別連載を組み、その理念やストーリー、酒蔵の魅力などをお届けしてきました。
連載3回を数える今回は、今代司が蔵を構える"地域"に着目。商品デザインや充実した酒蔵見学で注目されることの多い今代司酒造ですが、その根底には新潟、そして沼垂(ぬったり)という地域に根ざす深い思いがあるのです。
かつて日本屈指の湊町として栄えた「商人とおもてなしの街」の精神を継ぐ今代司は、どのように変遷し、何を大切にしてきたのか。時代をぐっと遡り、蔵の地域の歴史と、その源流を守り続ける酒造りをご紹介します。
日本三大花街のひとつ!知られざる新潟の歴史
今代司酒造が蔵を構える新潟県新潟市は、日本屈指の湊町として発展してきました。江戸時代には大阪と北海道をつなぐ日本海最大の港として栄え、商人文化が花開きます。
その後、昭和初期には新橋・祇園と並び三大花街と呼ばれるまで発展していきます。経済の成長とともに高級料亭が次々に生まれ、現在でも行形亭(いきなりや)、やひこ、かき正など、その当時創業した料亭がいくつも営業を続けています。
一流料亭が軒を連ねる"おもてなしの街"に今代司酒造が創業したのは1767年。当初は酒の卸業や旅館業、飲食業を商いにしていました。酒造りに本格参入したのは明治中期(1900年くらい)からのことなのだそう。
地盤がよく、酒造りに適した阿賀野川のきれいな伏流水が出ることに加え、原料・製品の運搬に便利な栗ノ木川(現在の国道49号・栗ノ木バイパス)が流れる沼垂(ぬったり)地区に根を張り、蔵を構えます。
張り巡らされていた水路から、「東洋のヴェニス」とも呼ばれていた沼垂地区。物流の利便性に加えて、冬の寒さと夏の高温多湿な気候で微生物の活動が活発になりやすいために、発酵製品をつくる味噌蔵、醤油蔵などが隆盛。「発酵食の町」として広く知られるまでになりました。今代司酒造が創業したほぼ同時期には、いくつもの酒蔵が酒造りをはじめています。
その分、酒蔵間の激しい競争があったと思われますが、今代司酒造の存在が埋もれなかったのは、酒販店を含めたお客様への誠意にありました。
今のように酒を瓶ではなく樽詰めで出荷していた時代、町の酒屋さんは酒蔵から仕入れた樽詰めの酒に水を加え、薄めて量を増やしてから売ることが一般的でした。にもかかわらず、酒を出荷する前に水を加えてしまう酒蔵も多く、結果的に必要以上に水で薄まった酒が広まっていきました。これが金魚も泳げるほど水で薄まった酒であることを揶揄した「金魚酒」です。
金魚酒が流布する中、今代司酒造は水で薄めない酒を出荷し続けていました。高品質な酒にお客様だけでなく、儲けが増える酒屋さんも喜んで取扱いを増やし、次第に新潟清酒を代表する存在と呼ばれるまでに成長していきます。
「おもてなし文化」に育てられた、今代司の酒造り
造り酒屋として順調に成長していった今代司酒造ですが、そこには新潟に並ぶ一流料亭の影響も大きかったようです。
今代司酒造を育ててきたお店のひとつが、新潟屈指の高級料亭「行形亭(いきなりや)」でした。当時から、付き合いをする中でその要望にしっかりと向き合い、応えようとすることで酒質が向上。やがて今代司酒造は新潟を代表する酒蔵へと成長していきます。
しかしその後、今代司酒造は不遇の時代を過ごしています。戦後のライフスタイルの変化による日本酒離れの煽りを受け、最盛期には3,000石ほどだった規模は、10分の1の300石ほどまでに縮小。酒蔵経営は先が見えない状況に陥っていました。
潰れかけた酒蔵を目の当たりにし、蔵人たちが掲げたのは「良い酒を造って終わる」ことだったそうです。水にこだわってきた酒造りの原点に立ち返り、新たな仕込み水を徹底的に探します。
そこで出会ったのが新潟県五泉市にある菅名岳の名水。蔵の周囲から湧き出る阿賀野川の伏流水も良質な水でしたが、それ以上に味、におい、濁りがなく、適度なミネラル分を含んだ菅名岳の天然水は今代司酒造の酒造りに見事にマッチ。酒質の向上とともに離れていたお客様も戻り、売上は徐々に回復していきました。
水の良し悪しは、米とともに日本酒の味を大きく左右します。特に純米酒は、原料がシンプルなだけに嘘はつけません。現在、今代司酒造では菅名岳の名水をすべての商品の仕込み水として使用しています。水にこだわることこそ、この蔵の酒の根幹を支えているのです。
今代司酒造のスタンダード商品である「天然水仕込み純米酒 今代司」は、"水へのこだわり"を忘れないために命名されたお酒。食卓の主役ではなく、一歩ひいて食事を引きたてる、旨みとスッキリ感のバランスが取れた一本です。
杜氏がもっとも大切にするのは"基本"
湊町が誇る「おもてなしの文化」を、その酒をもって体現してきた今代司酒造。酒造りの担い手は、どのような思いで日々の清酒製造に向き合っているのでしょうか?
2004年から今代司酒造の醸造責任者を務める高杉修杜氏に「酒造りのこだわり」を聞いてみると、返ってきたのは極めてシンプルな答えでした。
「大切にしているのは"基本"です。時代に合わせた流行りの酒や個性的な味わいが求められることもありますし、その要望にも応えていきますが、どんなときでも"基本"を徹底していないと良いものになりません。とくに掃除には気を配っていますね。建物自体は古いですがきれいに使っています。当たり前のことなのですが、散らかっている蔵でつくった酒がおいしいわけがないですから」
美しいデザインや斬新な企画で注目される今代司酒造も、その酒造りのベースにあるのは"基本"。そのうえで、より良いものを造るための変化にも対応しています。その例が、2006年からの全量純米仕込みへの移行です。ごまかしのきかない純米づくりだけにした背景には、やはり地域を大切にしたいという思いがありました。
「アルコール添加をやめて全量純米仕込みにしたのは、味わいを重視するのはもちろんですが、それ以上に使用する米の量を増やすことで地域の農家さんに貢献したいという考えがあったからです」
さらに今代司酒造では、「新潟産の酒米」を使うこと徹底しています。新潟県ではほとんど栽培されていない酒米・山田錦で酒造りを行う蔵が多いなかで、徹底して新潟産にこだわる姿勢にも、地域への強い気持ちが見て取れます。
「酒は"地域"がそのまま詰まったものなんです」と語ってくれた、高杉杜氏。基本を重んじる酒造りの根幹に流れるのもまた、新潟という地域から学んできたおもてなしの精神なのかもしれません。
「酒を語ることは、地域を語ること」
日本三大花街として栄えた湊町の料亭や、醸造文化を紡ぐ味噌蔵や醤油蔵などとの交流の中で発展を遂げてきた今代司酒造。地域の歴史がそのまま、酒蔵の歴史になると言っても過言ではないほど、地域との結びつきを大切にしてきました。「酒を語ることは地域を語ること」だと、代表の田中洋介社長はしばしば口にします。"新潟"という地域を一本の瓶に詰めたものが、今代司酒造の酒なのです。
次回連載4記事目は、新潟という地域を背負った今代司酒造が、その魅力を未来へと残していくために取組むさまざまなプロジェクトを特集します。「むすぶ お酒を」を信念に掲げる今代司酒造の挑戦に、ご注目ください。
(取材・文/佐々木ののか)
sponsored by 今代司酒造株式会社
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