山形県酒田市にある楯の川酒造は、2010年に「全量を純米大吟醸酒に」と方針を振り切って以来、さまざまな挑戦を続けています。
2017年に発売した精米歩合1%の日本酒「光明」など、高い付加価値を持った商品を市場に送り出すだけでなく、社内の組織づくりにも注力してきました。
その一環として、出社を必要としないメンバーを対象としたリモートワーク環境の整備や、若手蔵人が企画から販売までを手がける「チャレンジボトル」シリーズの展開など、長期的な視点での取り組みを行なっています。
「単なる酒蔵を脱却し、ブランド企業になっていきたいという考えが根本にあります。それに、働き方改革やDXの推進は、社会の流れを見ても避けて通れないでしょう。私たちは独自のブランドを持つ企業になろうと、2021年から大きく舵を切ってきました」
このように語るのは、6代目の佐藤淳平さんです。その想いを表したひとつが、楯の川酒造が持続的な成長を遂げていくために、100年後にどうありたいかを示した「TATENOKAWA 100年ビジョン」の再策定にも表れています。
楯の川酒造は、日本酒にどのような可能性を感じて、新たなビジョンを成そうとしているのか。佐藤社長のインタビューから、コロナ禍を経たからこそ発見できた、楯の川酒造の新たなチャレンジの方向性が見えてきました。
ラグジュアリーブランドへの進化を目指す
—2021年9月に「TATENOKAWA 100年ビジョン」を再策定し、そこには「世界を代表するブランドへ」という言葉があります。酒蔵が使う「ブランド」は銘柄名を指すことが多いですが、楯の川酒造の場合は、さらに広い意味を感じます。
美味しい酒への飽くなき探求。そして世界を代表するブランドへ
1832年の創業以来、楯の川酒造は徹底して品質を追求し、日本の「酒」「食」「農」文化の発展に寄与してきました。変化する時流を掴み続け、付加価値の高い商品を創出することで、持続的成長を実現し、MADE IN JAPANを世界に広げる総合酒類カンパニーを目指します。
楯の川酒造「TATENOKAWA 100年ビジョン」より
佐藤社長:ここでいう「ブランド」は、 特定の銘柄名のことではありません。言い換えると、さまざまな企業に対して抱くイメージのようなもので、その中でも、私たちは「ラグジュアリーブランド」になりたいと考えています。
私たちの競合相手は、世界中の人々に名前が知られているハイブランドのような存在です。楯の川酒造は、これから高級日本酒ブランドとしての価値をより発揮して、勝負していこうとしています。
佐藤社長:全量を純米大吟醸酒に切り替えたのが、2010年のこと。それから10年あまりが経って、もっとも手頃な価格の「清流」から、精米歩合1%の「光明」まで、商品の幅は広がってきました。ただ、多くの銘柄では、それほど高い価格設定はしていません。
手が届きやすい価格といえますが、これまでは飲食店でグラス売りされる前提で日本酒の値付けが成り立っていました。しかし、コロナ禍でインターネット通販の機会が増えて気づいたのは、四合瓶で2,000円くらいの価格の日本酒を、一般消費者のみなさんがふつうに購入してくださることでした。
コロナ禍の影響で、特に飲食店における需要が落ち込み、大きなダメージを受けました。しかし、それをきっかけに、日本酒の潜在的な需要と私たちの考えにギャップがあることに気付くことができたのです。
—コロナ禍であっても、売上が落ちなかったのでしょうか?
佐藤社長:定番酒の売上が2~3割減少する中で、家飲み需要の拡大もあって高価格帯の商品は堅調に推移していました。宣伝や広告に注力したわけではありませんから、これだけ売れていくのであれば、まだまだ需要はあるのだろうと。
また、楯の川酒造の海外売上は順調に伸びており、今後もさらに高まる見込みです。海外での販売が拡大していく中で、国内向けの日本酒の商品設計や価格設定などが、あまりにも慣習的で凝り固まっていたことに気づかされました。それは、自分たちで日本酒の可能性を限定していたともいえます。
出品用の1万円程度の日本酒が最高グレードだと思い込んでいたけれど、さらに高い価格の日本酒で挑戦したら新しい市場が拓けた。しかも、お客様も満足してくださる。海外市場では、輸出時の関税も含めると日本での購入価格の3~5倍近い小売価格になる商品もありますが、納得して購入いただいている現状があります。
そこで、営業方針を変えて、さらに高級酒市場に注力しようと考えました。
飲食店需要を想定した商品をまったく造らなくなるわけではありませんが、根本的な考え方は変えていかなければなりません。これまでの営業方針を大きく変えることになりますので、社内理解も不可欠でした。売上という数字を根拠としつつ、今後の成長戦略をていねいに伝えていきました。
「コスパ」は禁句
—社内でどのような変化を促したのでしょうか?
佐藤社長:今後の営業方針として、「安い価格の商品を大量に売る」という考えを持たないように促しました。実際にコロナ禍で売上は伸びていませんし、ピーク時の70%程度に落ち着いています。しかし、一方で10万円や20万円の高価格帯の商品が売れている事実もあります。
また、社内の会話で「コストパフォーマンス」という言葉を控えるように伝えました。「コスパ」という言葉は使いやすいがゆえに注意すべき言葉だと思っています。多くの日本人には響きやすいのかもしれませんが、「その商品や体験に見合った価格を設定する」という発想を持ちにくくなるからです。
日本人的な感覚でいくと、定番の商品で認知度を上げ、ハレの日に高いものを買ってもらおうという販売戦略になりがちです。そうではなく、私たちはまず海外のセレブリティにも満足していただける最高の日本酒を届け、そこから裾野を広げていこうと発想を変えたんです。そのために在り方や見せ方も変えていこうと。
—その意思決定に「怖さ」はありませんでしたか。
佐藤社長:コロナ禍で飲食業界が打撃を受けて、私たちとしてもいかに経営をしていくべきか、最初の3ヶ月は悩みました。
けれども、何よりも売上がすべてを物語っていた。全量を純米大吟醸酒に切り替えたときも、社内外から「大丈夫か?」と声が挙がったものですが、その時も売上は後押しする要素になりました。
だからこそ、営業方針の転換に怖さはありませんでした。問題が起きれば、その都度、軌道修正すればいいのです。むしろ、何もしないことのほうが危ないと思います。
現場の負荷を増やさずに、高級酒の割合を増やす
—楯の川酒造では「高級酒」をどのように定義していますか?
佐藤社長:全量を純米大吟醸酒に切り替えたときは、他の酒蔵さんとの競争しか考えていませんでしたが、これからは日本酒業界だけではなく、世界中のあらゆるブランドが競合相手になります。具体的には、ワインやシャンパン、あるいはラグジュアリーブランドのバッグや洋服、靴、時計なども含まれます。
現在のところ、720mLで1万円以上のものを「高級酒」のカテゴリーだと考えています。2022年は、楯の川酒造の仕込みタンクのうち、価格が1万円以上の商品は全体の15%ほどでしたが、この比率を増やしていくことが直近の目標です。
—高級酒の比率を上げていこうとすると、生産体制にも緊張感が増していくようにも感じます。
佐藤社長:これまでのノウハウも貯まってきていますし、過度に現場を疲弊させるようなことにはならないと踏んでいます。
実際に、ここ10年ほど、部門ごとに毎月のデータを取って、1人1時間あたりの生産本数をグラフ化して実績を見てきました。4年ほど前から比べると、その生産量は減ってきています。
社員が増えつつも、効率的な製造で1人あたりの負担を減らし、なおかつ単価は上げていく。そういう体制へ着実に近づいている証拠だと捉えています。
精米歩合は「単価」に影響を与える大きな要素のひとつ
—高級酒には、その価格を支えるだけの付加価値が欠かせません。楯の川酒造であれば、精米歩合でしょうか。
佐藤社長:今、日本酒業界の中には付加価値向上に向けたさまざまな取り組みがありますが、「精米歩合」以上にわかりやすい指標はないと考えています。基本的には「米を磨いただけ原価が上がる」というロジックが一番わかりやすいでしょう。
日本酒の付加価値についての議論は何十年も続いていて、それぞれの酒蔵で模索をしていることも知っています。ですが、それだけ考えても答えが見つからないなら、やはり、「精米歩合」がひとつの正解であると考えるのが筋でしょう。もちろん、精米歩合80%や90%の日本酒が1万円以上で売れるのが理想ですが、現実的には難しいと思います。
僕は「精米歩合は自動車のエンジンのようなもの」と考えます。仮に、軽自動車クラスの排気量で小売価格2,000万円の車があったとしても、その値付けに納得することはなかなかできません。
さらに、たくさん磨くことで大量の酒米が必要になります。米に加工品としての付加価値をつけ、日本から遠く離れた国々へ輸出できるプロダクトは日本酒の他にないと思うのです。
佐藤社長:現在、楯の川酒造では、契約農家に依頼して合計100ヘクタールの水田で稲作を行い、さらに一般的に市場に卸すよりも高い値段で酒米を買い取っています。また、関連会社に農業法人があり、自ら米作りも行っています。
米農家さんが減り、耕作放棄地が増えていくような状況のなか、農村や地域経済を支える一助という意味で、酒造りは社会貢献にもなりえます。
2022年3月に発表した新ブランド「SAKERISE」では、業界初の試みとして「稲作指標」を取り入れました。「稲作指標」とは、商品1本あたりを醸造するのに必要な水田の面積で、その商品の購入によって保存された水田の広さを意味します。日本酒を購入し飲用することで、同時に田園風景を守ることにも貢献できる。SDGsへ関心の高い層にも響くのではないかと考えています。
—精米歩合や米の品種以外で、「高級酒」を成立させる要素は他にありますでしょうか?
佐藤社長:これからは「熟成」にも取り組んでいきたいです。
そもそも「熟成」が売りになりにくい現状もおかしいですよね。現在の日本酒市場では、新酒や搾りたての生原酒のようなフレッシュさを求める傾向が強いです。評価されやすいのは製造1年以内に搾った商品が中心で、製造して数年が経ったものは、どちらかといえば不良在庫とみなされてしまう。
フレッシュな日本酒にもっとも価値があると考えられているから、とにかく商品を造って売り続けないといけない状態が続いています。ですが、いずれこのような売り方は無理が生じて、供給過多になり、日本酒が売れなくなるかもしれません。
佐藤社長:昨年、「高精白×ヴィンテージ」をテーマとした新しい熟成酒ブランド「涅槃」を立ち上げ、第1弾として「涅槃 黒 2020」の販売を開始しました。高精白の日本酒ならではの繊細さはそのままに、熟成の起点となるライスヴィンテージの個性と経年変化を楽しめる日本酒として、新しい価値を提案したいと思っています。
ワインやウイスキーは、年を重ねるごとに価値が上がり、価格も上昇していきますよね。同じような売り方を日本酒にも適用できれば、状況は変わってくると思います。
たとえば、同じ銘柄でも、新酒で販売価格2万円の商品と年月を重ねたヴィンテージで販売価格2万4,000円の商品があれば、お客様に選ぶ楽しみが生まれます。このような値付けを実現するには、酒販店と酒蔵の貯蔵環境が同一であるという前提が必要ですが、「熟成された日本酒が高く売れていく」という流れがつくれたら、日本酒業界全体にとってもプラスになるはずです。
日本酒は、人と人とを結びつける潤滑油
—「TATENOKAWA 100年ビジョン」の再策定を踏まえて、楯の川酒造のこれからの方向性についてお聞かせください。
佐藤社長:酒蔵としての想いを熱量が高いまま伝えられるようにするには、お客様と直接コミュニケーションが取れる販売方法にも積極的に取り組んでいかなければならないと考えます。
これまでのBtoBの手法だけでは、どうしても伝言ゲームのようになってしまい、私たちの伝えたいことが伝えきれない。もちろん、酒販店を通した販売は継続しますが、自社ECでの販売もより積極的に行っていきます。
私たちが自社ECを設けて3年半ほどが経過し、お客様との距離を縮められるようになってきました。直販比率の変化は、お客様の嗜好の変化についていくためのものです。より正確な情報をキャッチするための変化ともいえます。
—以前のビジョンと比べて、新しい表現も出ていました。そのひとつが「付加価値の高いコミュニケーション体験を提供」です。コミュニケーションを重視するのは、コロナ禍によって人々が分断された状況を、日本酒がつなぐことを期待しているのでしょうか?
佐藤社長:確かに「日本酒=人と人とを結びつける潤滑油」だと感じることが多いですね。今日のようなインタビューも、本当は飲みながらやったほうがスムーズでしょう(笑)。
これは日本酒が持つ高い価値のひとつです。コミュニケーションを潤滑にして、食事も楽しめ、いつもそこにある存在。私たちは、その機会や空間を提供しているという自負を言語化しました。
—ただ、意地悪な見方もすると、その価値は他のアルコール飲料も持ち得るようにも感じます。他と比較して、佐藤さんから見て「日本酒ならではの価値」とは、どのようなものでしょうか?
佐藤社長:「楽しむ時間が長い」というのは、日本酒の特徴といえますね。食中酒として料理に合わせながら、さまざまな銘柄を楽しむことができます。
ビールは一部を除いて食前酒の要素が強く、ウイスキーも最近こそハイボールで食中酒として広がっているものの、本来は食後酒として飲まれることが多い。食中酒として楽しむ時間が長いのが日本酒の魅力です。
コロナ禍で酒蔵の休業が増え、それでなくても多くの酒蔵では需要減少による経営難が続いています。なぜ、業界全体がハッピーになれないのか。私たちは日本酒の価値をもっと高く捉え、「日本酒でこれだけのことが実現できる」と示していきたい。だからこそ、これからもさまざまなチャレンジをしていきたいと考えています。
もちろん、弊社の事例から真似できるものがあれば、他の酒蔵さんもぜひ真似してほしい。私たちは未開拓な領域に最初に飛び込んで、いろいろと失敗を繰り返しながらも邁進していく。そこで明らかになった成功確率の高い施策を、他の酒蔵さんで取り入れてもらえれば、それが後々の業界全体のためにもなると思うからです。
それこそ「楯の川酒造は、テストマーケティング蔵である」といったイメージで捉えてもらえれば(笑)。何よりも100年後、200年後に日本酒を楽しむ方がまったくいなくなってしまうのなら、今これほど日本酒を造る意味もないでしょうから。
これからの楯の川酒造は、日本市場はもちろんのことですが、むしろ積極的に海外で勝負するくらいの気持ちで考えています。今後はさまざまな国でSAKEが醸されるようになり、日本は"聖地化"するのではないかと思います。日本でまじめに造られた日本酒は良いものに仕上がるでしょうから、自信を持って世界でも勝負できるはずです。
慣例を脱ぎ去り、今、打てる手を打つ
佐藤社長の発想にはいつも驚かされますが、その根本的な部分には「物事は単純である」という見方があるといいます。
たとえば、従来の日本酒業界が「安価で美味しいもの」を上位に掲げつつも、それで全体が儲からないなら「逆のことをしてみればいいのではないか」と考える。そんな思考でたどり着いたのが、高価格商品へのシフトです。
数字を交えて現状を正確に捉え、慣例を脱ぎ去り、今、打てる手を打つ。その営みにおいて、物事をあえて複雑化せずに考えることは、確かに新しい道を見出す武器になるとも感じさせます。
「私は50歳で引退しようと決めていますから、それまで後悔しないようにやるだけですね。20歳で社長になったので、ちょうど30年でキリが良いかなと。どういう形になるかはわからないですけれども、優秀な人材に社長を譲れるような体制をつくっていきたいです。創業家一族がずっと酒蔵を経営していくのは、私はおかしいと考える一人なので」
100年続く酒蔵で、日本酒が後世でも飲まれるために、今できることにチャレンジしていく。
佐藤社長が50歳を迎えるまで、残り6年。楯の川酒造は、日本酒の歴史から見ればあまりにもわずかなその時間の中で、業界の転換点をつくろうと今日も何かに飛び込み、挑んでいくのでしょう。
(文:長谷川賢人/編集:SAKETIMES)
sponsored by 楯の川酒造