岐阜県飛騨市、北アルプス連峰や飛騨山脈などの山々に囲まれ、白壁土蔵の町並みが残る飛騨古川駅の近くに、明治3年から続く酒蔵・渡辺酒造店があります。
主力銘柄である「蓬莱」を中心にユニークな商品を展開し、国内外の日本酒コンテストで数々の受賞歴を誇る実力蔵です。
9代目の当主を務めるのは、代表取締役社長の渡邉久憲(わたなべ・ひさのり)さん。渡邉さんは2011年に社長に就任し、「エンタメ化経営」を掲げて、不振が続いていた渡辺酒造店の業績を立て直すことに成功しました。現在も右肩上がりに成長しています。
決して平坦ではなかったここまでの道のりのなかで、渡邉社長はどのようにして「エンタメ化経営」に取り組むようになったのでしょうか。現地を訪れて、渡邉社長に話をお伺いしました。
「良いものを造れば売れる」と思っていた
渡邉社長の父・久郎さんが当主を務めていたころ、「蓬莱」は地元・飛騨古川の人々を中心に親しまれていました。地元の流通がメインだったため、地域の方々との交流に注力していれば、営業活動はほぼ必要なし。「地元だから」という理由で買ってもらえる状況が当たり前になっていました。
バブル景気にも後押しされていたため、渡邉社長曰く「リスクをとってチャレンジする必要がなかった」のだそう。
そのころ、渡邉さんはまだ20代。長野県の酒蔵に入社し、酒造りの修行に明け暮れていました。品質の良し悪しがわかるようになってきた26歳のある日、実家の日本酒に対し、ショックを受ける出来事がありました。
「地元に帰った時、蔵の近くにある居酒屋でうちのお酒を飲んだのですが、まったくおいしくありませんでした。色も悪く、老ねている。お店の管理だけでなく、そもそもの品質に問題があることは明らかでした。
以前から『うちのお酒はあまりおいしくないのかもしれない』と感じていたのですが、確信した瞬間でしたね」
渡邉さんが渡辺酒造店に戻ったのは、30歳の時。「良いものを造ればきっと売れる」と、意気揚々だったといいます。当時の「蓬莱」は普通酒が主力商品。酒造好適米はほとんど使用していませんでしたが、杜氏と相談して、原料と精米歩合を見直し、吟醸酒の製法を導入しました。
その結果、当時の人気銘柄だった「越乃寒梅」「久保田」「一ノ蔵」などと飲み比べても遜色がないと胸を張れるレベルまで品質を上げることができたのです。
そのお酒を持って酒販店へ売り込みに行きますが、お酒の品質よりも価格や販売マージンの話ばかりで交渉は難航。この時、「お酒が良くても、それだけでは売上につながらない」ということを思い知りました。
地元の販路を広げられないまま、1999年には約4億円だった年間の売上が、2002年には2億2千万円まで激減。蔵にとって、過去最低の数字となってしまいます。さらにベテラン社員の退職が続き、ギリギリの経営が続いていました。
大切なのは、"体験"を提供すること
バブル崩壊の後、酒販の販売に必要な免許を取得する条件が緩和され、日本酒の販売環境はどんどん変わっていきました。
自分たちも変わっていかなければと危機感を抱えながら、ふらりと寄った書店で、マーケティングに関する書籍が渡邉さんの目に留まります。当時の従業員は約10名。もちろん、渡辺酒造店にはマーケティングの担当者はいませんでした。
その本を通して、良い商品をつくるだけでなく、その商品をどのように売っていくかを考えなければならないと感じた渡邉さんは、ビジネス書を読み漁ってマーケティングの勉強を始めました。そのなかで、渡邉さんはあることに気付きます。
「私たちが普段接しているのは、問屋さんやバイヤーさん、地元の酒屋さんなどの関係者ばかり。実際に商品を買って飲んでいる人たちの声が入ってこない、お客様が何を求めているかわからない状態になっていました。私たちがやりたいこととお客様が求めるものの間に溝があるなら、その溝を埋めなければいけない。お客様の話をもっと聞かなければいけないと考えました」
そこで渡邉さんは、駅前でのチラシ配りを始めました。飛騨古川を訪れた観光客に向けて、観光スポットとともに渡辺酒造店を紹介した手書きのマップを作成し、社長自らが駅前に立ってチラシを配るという、地道な努力から始めたのです。
ある日、そのチラシをきっかけに蔵を訪れた観光客を案内していた時、渡邉社長の「エンタメ化経営」のひらめきにつながる出来事が起こりました。
「蔵の片隅に、コンテストに出品する予定の日本酒を新聞紙で巻いて置いておいたんです。それを見たお客様が『あの酒はなんだ。売ってくれないか』とおっしゃる。『出品酒なので、売ることはできない』とお断りしたのですが、繰り返し求められました。
おそらく、『旅先で訪れた酒蔵で無造作に置いてあった日本酒を見つけた』というシチュエーションに惹かれたのでしょう。その時、お酒の品質はもちろん大事ですが、それと同じくらい『蓬莱』に触れる体験をどのように提供するかも大事なんだと思ったのです」
その出来事をヒントに、2004年から販売を開始したのが「蔵元の隠し酒」。"秘蔵感"を演出するために瓶を新聞紙で巻き、ラベルには、当時の辛口ブームを受けて「本当の辛口」の文字を入れたところ、販売数を大きく伸ばしました。渡邉さんが最初に生んだヒット商品でした。
人生の充実に寄与する「エンタメ化経営」とは
顧客とのやりとりから新しい商品が生まれたことを機に、その後もユニークな取り組みに次々と挑戦し、「エンタメ化経営」は加速していきます。
自由な発想から生まれたユニークな日本酒
瓶を新聞紙で巻いて"秘蔵感"を演出した「蔵元の隠し酒」、店頭には並ばない来賓用の日本酒を商品化した「非売品の酒」、上智大学の学生と"イタリア料理に合う日本酒"をめざして共同開発した「Sui.Sui.Sui」など、自由な発想から生まれた商品を次々と発売。
また、某スポーツ新聞をもじったチラシ「飛騨スポ」は、単なる商品紹介ではないお笑い要素の詰まった紙面が大きな反響を呼びました。
約1万人を動員する自社イベント
「アクセスが良いとは言えない飛騨古川に人を呼びたい」「酒蔵周辺の土地の魅力を知ってほしい」という思いから、2007年より蔵まつりを開催。無料の振る舞い酒や地元グルメの屋台など、大人も子どもも楽しめる内容になっています。また、吉本興業の芸人を招いたお笑いライブのステージなど、他の酒蔵イベントとは少し異なるエンタメ要素の強さも魅力です。
初回の参加者は地元の方々を中心とした500名程度でしたが、回を重ねるうちに、1万人を超える大人気イベントへと成長しました。
「ありがとうパワー貯蔵」「お笑いパワー発酵」
瓶詰めする前の日本酒を貯蔵しているタンクに、酒蔵を訪れた人からポジティブな言葉を書き込んでもらうことで、さらに日本酒を美味しくしようという「ありがとうパワー貯蔵」。タンクが並んだ仕込み室で吉本新喜劇の音声を流し続けることで、日本酒を楽しく発酵させるという「お笑いパワー発酵」。いずれも、唯一無二の取り組みです。
「エンタメ化経営の目的は、お客様の人生の充実に寄与すること。自然災害や国際情勢など、漠然とした不安は誰しも抱えていますが、『今日を生き抜くことが不安』という極限の状態でないかぎりは、おいしいものを食べたいし、楽しく飲みたい。それこそが、私の考える"人生の充実"です。
ただ、おいしいだけではダメで、お客様の体験をつくることが大切だと考えています。親しい人と『蓬莱』を飲む、ギフトとして『蓬莱』を贈る、蔵見学に来て『蓬莱』を試飲する。それらすべてが、お客様にとっての人生の充実のひとつだと思っています」
「家業から企業へ」9代目当主としての決意
2011年、先代当主が代表を退いたため、渡邉さんは43歳で代表取締役社長に就任。その時、「家業から企業へ」という方針を掲げました。
「当時、従業員の数が約30人まで増えていましたが、創業からずっと"家業"として事業を続けてきたため、適切な人事考課制度がなく、社員からは『きちんと評価してほしい』という声が上がっていました。ここまで人数が増えると、家業という認識で経営してはいけない。従業員の意見を聞きながら、少しずつですが、"企業"へと体制を変えていきました」
社長に就任した後、これまで以上にスピード感を持って事業を進めていった渡邉さん。物流センターを新たに建て、上槽室(日本酒を搾る部屋)を新設するなど、設備投資にも力を入れます。
また、海外への輸出にも本格的に取り組み、アメリカ出身の蔵人とともにカリフォルニア、サンフランシスコ、シカゴなどを巡って営業活動を行いました。また、「蔵の知名度を上げるためには、第三者に評価していただくことが大事」と考え、海外のコンテストにも積極的に出品。これまで、国内外で58もの賞を獲得しています。
「自分たちは間違っていなかった」コロナ禍を支えたデジタル化
2019年、渡辺酒造店はマーケティング活動のデジタル化に着手します。
顧客が増えるにつれて、ダイレクトメールの発送などの経費がかさみ、売上の増加に反して利益は伸び悩んでいました。経費を抑えるためにチラシの制作規模を縮小し、デジタルネイティブである若手スタッフにSNSの運用を一任。伝えるメッセージは変えずに、インターネットを活用した発信に移行していきました。
そんな矢先の2020年、新型コロナウイルス感染症が拡大します。
観光資源が豊かな飛騨エリアにとって、インバウンドも含めた観光需要の激減は大きな痛手となりました。渡辺酒造店も地元での売上が30%減少するなど、影響は大きかったといいます。しかし、そこで立ち止まることはありませんでした。
「特にマーケティング活動のデジタル化に注力し、業務の効率化を進めました。うちの女性社員はデジタルとの親和性が高く、吸収がとても速い。イベントが中止や延期になる中で、InstagramやTwitterを使って情報発信をしたり、オンライン展示会を企画したりするなど、特に女性社員たちが顧客との関係づくりに積極的に取り組んでくれたことがとても助かりました」
製造設備もデジタル化を進め、IoTによる醪管理システムを導入。醪のデータを自動取得して可視化することにより、従業員の夜間勤務がなくなり、男性社員の育児休暇の取得が可能に。デジタルシフトが働き方改革にもつながりました。
「経費の削減を目的に始めたデジタルシフトですが、経費が抑えられたことによって、コロナ禍でもしっかりと利益を残すことができました。2022年は、過去最高となる約1億円の純利益を達成しています。自分たちの選択は間違っていなかったんだと思います」
成長の痛みを恐れず、時流にのって変化を続けていく
一方で、2021年には社員の退社が続きました。離れる理由はさまざまでしたが、会社の成長にともなって業務の量や範囲が広がることについていけず、そこにコロナ禍のストレスが重なって……といった声が聞かれました。渡邉社長にとっては大きな痛手でしたが、「成長には痛みが伴うもの。逆境こそチャンス!と受け入れていきたい」と前向きな姿勢を崩しません。
「私は、時流をとらえることを大事にしています。時流をとらえられずに痛い思いをしてきた経験があるので、成功体験にしがみつかず、会社のステージに応じて変化し続けていかなければいけないと考えています。一方で、社員のなかには『無理に成長しなくてもいい』と考える人がいるのも事実。そうした声も切り捨てずにケアしていきたいと思います」
渡辺酒造店の従業員は現在54名、この春には、さらに4名の新卒採用が決まっています。今後は、地元に新しい酒蔵を造るという一大プロジェクトも進めていくとのこと。また、少子高齢化が進んでいる飛騨古川で、特に女性がライフステージの変化に関係なく活躍できる職場環境をつくることで地域貢献をしていきたいと、渡邉社長は意気込みます。
「新しいことにどんどん取り組んでいるので、後ろ指をさされることも多いです。でも、そういうのは慣れっこ。私たちは楽しんでやっていますし、おもしろがってくれたり、応援してくれたりする方もたくさんいらっしゃいます。
私は、日本酒を通して、手間をかけたものづくりに伴う日本人ならではの高潔な精神を、世界中の方に知ってもらいたい。それによって、日本のみなさんが誇りを取り戻す。そこに寄与したいのです。私たちががんばることによって、地域や社会が豊かになる。それが商いの本道ですから」
目覚ましいV字回復を遂げた渡辺酒造店は、新たなアイデアを次々と実現させながら、成長を続けています。
その根源には「人を笑顔にしたい」という渡邉社長の強い願いがありました。渡辺酒造店の「エンタメ化経営」は、これからさらに進化していくでしょう。
(取材・文:芳賀直美/編集:SAKETIMES)
sponsored by 有限会社渡辺酒造店