今宵もまた、文学作品から酒肴のお膳立て。今回の食材は、好きな人はその美味しさを「病みつき」とまで言い、その一方ではきっぱりと「苦手」という人あり。人々の好みを明らかに二分する海鞘(ホヤ)です。

とても稀な食材なので小説などでは取り上げられていないだろうと思っていましたが、世の中は広い。美味しいものに敏感な作家がいらっしゃいました。その表現は端的で何ともユーモラス。

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ところは街はずれの小さな居酒屋。店を営む母親とそこに顔を出した娘の屈託のない会話です。これ以上書くとストーリーがバレてしまうほど短い、文庫本で3ページにも満たない作品です。

「ホヤ食べる? 醤油漬けだけど」
「ほしいなあ。どうしたの?」
「おっちゃん、仲間と三陸の温泉行ってきて、そのお土産だってさ」
「一緒に行かなかったの?」
「格安バスツアーなんか、かえって疲れちゃう。お店もあるし」
「コレやっぱ、お酒だ。頂戴」
(~中略~)
「うんまい。ホヤ食べた後って、水道水すらミネラルの旨み感じちゃうから、こんな安酒でも純米吟醸みたいになるんだよ」
「安酒で悪うござんした」
「ね、ちょっとためしてみて」
「ダメダメダメ。おっちゃんもわたしも。磯臭くって」
「そこがうんまいのに。海そのものを味わってるって感じ」
「残り持ってけば。お父さんも好きだった、ホヤ」
「やめよ。そういうの・・・・・」
杉浦日向子「ほやしょうゆづけ」『ごくらくちんみ』新潮文庫より

このような短い作品の数々による掌編小説集が「ごくらくちんみ」。目次には「ちんみ」がずらりと並びますがグルメ本ではありません。

その一遍一遍は、酒と肴がさらっと組み込まれた情景の中で人間関係の機微を描写する、いわば人情話。しかし行間を読み解くうちに、どうしても気になる。そう、食べたくなるんですよね。劇中の「ちんみ」が。

海そのものを味わう「ホヤの醤油漬け」

ホヤを苦手と言う人に「それの何が美味しいのか」と問われても、これが説明のしようがない。しかし、作品の「海そのものを味わってるって感じ」は実に言い得て妙。ホヤが美味しいという事実に確信を得た気分です。

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塩辛か酢の物で味わうことが多いですが、醤油漬けというのは初めて知りました。それゆえ、この短編が妙に印象に残りました。調べてみると、ホヤが多く獲れる三陸では、醤油漬けをはじめさまざまな加工品が売られているようですね。さすが名産地。

その醤油漬けを味わうべく、近所の魚屋で根室産のホヤを手に入れました。醤油と煮切り酒を2:1で合わせた漬け汁にホヤの刺身を浸し、一晩置いたら完成です。

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「う~ん、うんまい!」。うめきとともに思わず感嘆の声が出ます。

醤油によって磯の香りはずいぶんと抑えられてしまいましたが、その分、あやふやだった味わいは一本筋の通ったように明瞭となりました。そして、次に来るセリフも作品と同じ。「コレやっぱ、お酒だ」です。

鮮烈な磯の香りにはキレのある「やまとしずく 純米吟醸 美郷錦 直詰瓶火入」を

実は、ホヤを漬けているその夜、酒は何にしようかずいぶんと悩みました。

ホヤの口中を覆う強烈な磯の風味、まったりとした食味を考慮するならそれを引き立てる、というよりも同調するようにまったりとしていて余韻の長い酒が楽しみ甲斐がありそう。しかし、ホヤの風味はよくフルーティーとも称されるので、ここはすっきりとした吟醸の出番か。

酒屋の冷蔵庫の前で悩んでいたら「そこはキレで選ぶべし」と店のオヤジさんのアドバイス。そうか、そのキーワードを忘れていた。うーん、まだまだ修行が足りないなあ。

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悩んだ末に選び出した1本は、「やまとしずく 純米吟醸 美郷錦 直詰瓶火入」です。

澄んだ香り。口当たりは極めてさわやか。しゅわっと消えていくようなキレの躍動感もあります。次にホヤを食べてから酒をひと口。口に残っていたホヤの味もすうっと引いていきます。さすがのキレ。

しかしホヤも負けていません。舌の上にはまだ少し、ホヤと酒の旨みがいっしょになったような余韻がありますが、これがクセ者。この余韻がもっとホヤをくれ、もっと呑ませろとお代わりを要求するのです。

ともあれ両者ともに美味しくて仕方ないのは酒のキレの良さのおかげ。キレにも酒によって質の違いがあり、それが今回の肴と合ったということでしょう。オヤジさんに一本取られました。

(文/KOTA)

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