ある酒蔵が造った酒を他の酒蔵に売り、その買い手の酒蔵の商品として販売する日本酒業界の商慣習のことを「桶買い・桶売り」といいます。売り手の酒蔵は酒税を納める必要がないため、「未納税移出」とも呼ばれています。

1505年に創業した兵庫県の剣菱酒造は、2020年に全量を自社醸造に切り替えるまで、社内で造る酒に加えて、歴史的にこの桶買いを行ってきました。

この桶売り・桶買いという商慣習は、どのように誕生したのでしょうか。また、このような取引には、どのようなメリットやデメリットがあったのでしょうか。

剣菱酒造株式会社の代表取締役である白樫政孝さんと、剣菱の桶買い先のひとつだった「楽の世」醸造元・丸井合名会社(愛知県)の代表である村瀬幹男さんにお話をうかがいました。

丸井合名会社の代表・村瀬幹男さん(写真左)と剣菱酒造の代表取締役・白樫政孝さん

丸井合名会社の代表・村瀬幹男さん(左)と剣菱酒造株式会社の代表取締役・白樫政孝さん(右)

「桶買い・桶売り」は安定供給のために始まった

酒蔵が造った酒を別の酒蔵に販売する「桶買い・桶売り」。買い取った酒は、そのまま瓶詰めして売られる場合もあれば、剣菱酒造のように自社の他の酒とブレンドして商品化される場合もあります。

白樫さんによると、桶買い・桶売りが始まったのは江戸時代のこと。

「桶買い・桶売りは、有名な銘柄を造る酒蔵が、生産量を増やす手段として生まれました。自社で新しい蔵を建てるのは、火事や品質管理、資金や不動産などの面でリスクがあります。それに比べると、規模の小さな酒蔵に『うちの酒を造ってほしい』と頼むほうがやりやすかったんです」

剣菱酒造 代表取締役・白樫政孝さん

剣菱酒造株式会社 代表取締役・白樫政孝さん

さらに、1937年に食料米確保の観点から、1蔵あたりの日本酒の生産量に上限が設けられたことも、桶買い・桶売りの増加につながったといいます。

「造る量を増やさないという選択肢もありましたが、需要に供給が追いつかないと、市場でプレミア価格がついてしまいます。

たとえば、本来5,000円でも売れる品質の商品を3,000円で販売すれば、お客さんは喜んでくれるでしょう。でも、その商品にプレミアがついて、1万5,000円で売られてしまったら、品質と値段が釣り合わず、『1万5,000円も支払ったのに、そこまでの味じゃない』とお客さんの期待を裏切ることになってしまいます。

プレミア価格で販売されることは、酒蔵側にとっては何の利益も出ませんし、むしろ、飲んでいただくお客さんに迷惑がかかるだけです」

剣菱酒造の酒造りの様子

白樫さんは、酒蔵が生産量を増やすための選択肢として、「機械化を進める」「蔵の数を増やす」「桶買いをする」の3つの方法があると話します。

「機械化すると、酒の味が変わってしまう可能性があります。また、蔵の数を増やすと、新しい杜氏に酒造りを任せることになりますから、一時的に技術力が落ちてしまうかもしれません。その点、桶買いなら、技術力の高い蔵に造ってもらえるため、失敗する可能性が低く、酒の出来が悪ければ買わないという選択肢もとれます。

1974年に生産量の制限はなくなりましたが、リスクが少なく、一定の品質を保つ方法として、江戸時代からの桶買い・桶売りの商慣習が続いていったのでしょう」

次第に増えていったネガティブなイメージ

中小規模の酒蔵が大手酒蔵の下請けとして酒を造る「桶買い・桶売り」のスタイルは、一時期は業界のスタンダードとなりました。しかし、こうした桶買い・桶売りには、次第にネガティブなイメージがつきまとうようになります。

丸井合名会社のタンク

「桶買いの割合があまりにも多かったり、自社でまったく酒を造らない酒蔵があったりしたため、『自分で造ったように見せかけて、消費者を欺いている』という批判が出てきたのです。買い手の酒蔵によっては、小さな蔵が造った酒を安く買い叩こうとするところもあったようなので、さらに悪いイメージがついたのだと思います。

また、『あの会社は桶買いをして味が変わった』という言説が広まった時期もありました。これは、昭和58年度に酒税法の区分の変更によって、多くの酒蔵が今までと同じアルコール度数で商品を出せなくなり、アルコール度数を変更した時期と重なったことも一因だと思われます」

ネガティブなイメージを突きつけられたのは、桶買いする側だけではありません。剣菱酒造に桶売りをしていた丸井の村瀬さんは、「消費者から桶売りについて指摘されることは多々あった」と話します。

「日本酒に詳しい人は、『あんたのところは桶売りをしているんでしょ』と言いたがるんですよね。『ひと冬のあいだ、ずっと酒造りをしているのに、お前の酒はどこにも売ってないな』と言われることもありました」

丸井合名会社 代表・村瀬幹男さん

丸井合名会社 代表・村瀬幹男さん

桶売りの意義をなかなか理解してもらえず、「剣菱酒造に桶売りをしていると言ったら、剣菱のイメージが悪くなってしまうかもしれない」と考えた村瀬さんは、次第に回答を濁すようになります。

「剣菱さんは、安く桶買いするようなメーカーではないですし、買った酒を自社でブレンドして、剣菱独自の味を創作しています。自分がうまく説明できないせいで、誤解されたまま広まっていくのは嫌だと思って、途中から説明するのを諦めました」

桶買い・桶売りへの批判的な言説が増えるにつれ、次第にこの取引をやめる酒蔵が増えていきます。代わりに、生産量を保つための代替手段として、機械化が進んでいくことになりました。

「桶売り」は、小さな蔵が生き延びるための手段

剣菱酒造は、近畿地方のほか、愛知県の複数の酒蔵から桶買いをしていました。

「江戸末期ごろに『中国酒』と呼ばれた東海3県(愛知・岐阜・三重)の酒は、灘酒の造り方をもとに誕生したという歴史があります。丹波杜氏や但馬杜氏が多く、造りの流派が同じなので頼みやすかったんです」(白樫さん)

丸井合名会社「楽の世」

丸井が剣菱酒造と取引を始めたのは昭和40年代のこと。村瀬さんが醸造試験場での研修から実家に戻った1998年のころは、丸井が造っていた酒のほとんどが「剣菱に桶売りするための酒だった」といいます。

「うちの自社銘柄として『楽の世』がありましたが、結局、剣菱へ売るための酒に会社の財源を頼るようになってしまって、そちらはおろそかになっていきました。コンテストで受賞するために吟醸酒を造らなければならないといったストレスもなく、おだやかに酒造りができていました」(村瀬さん)

丸井合名会社 代表・村瀬幹男さん

村瀬さんは、「弊社も含めて、剣菱酒造に桶売りをすることで経営が成り立ち、存続できた酒蔵は多い」と説明します。

「杜氏さんは、普段は農業や漁業をしていて、冬場の農閑期に出稼ぎとして酒造りにやってきます。製造量が少ないと雇える期間が短くなってしまって、彼らの身入りが少なくなってしまいます。『楽の世』を造るだけではあっという間に終わってしまいますが、桶売りの酒も造ることで、彼らを長く雇うことができました。

桶売りというのは、小さな蔵が生きていくための手段だったんです。ずっと蔵元で居させてもらえたのは剣菱のおかげ。そうでなければ、廃業していたと思います。

桶買い・桶売りというのは、たとえるなら、営業部と製造部のような関係で、役割分担だと思っています。剣菱酒造との取引があったおかげで、私たちは営業活動に意識を回す必要がなく、造りに集中することができました。桶売りをすることにネガティブな感情をもったことはありません」

酒質を守るための技術指導

「止まった時計でいろ」という社訓を掲げる剣菱酒造は、500年前から変わらない味を保ち続けることを信条としています。

そのため、桶買い先には酒造りのレシピを伝授し、時には米などの原料を提供。年に2~3回は、剣菱酒造の担当者が取引先の酒蔵を巡回し、指導に当たっていました。

「そもそも、剣菱の目指す酒が造れないところには頼んでいないので、本質的なブレは少ないんです。それでも、地方の酒蔵は、その年に杜氏によって酒質が変わることもあるし、時として酒蔵の考え方自体も変わります。

『どうせ買ってくれるだろう』という気持ちで突拍子もない酒を造ったり、うちが渡した山田錦を自社銘柄の造りに回したりといった不正も起こりかねないので、それらを防ぐためのチェックを兼ねて酒蔵を訪れていました」(白樫さん)

剣菱酒造では、1リットルあたりの基本料金を設定し、酒質が良いほど買取額を上乗せするシステムにすることで、取引先のモチベーションを上げつつ、品質を保っていたそうです。

多いときは60もの酒蔵と取引をしていたという剣菱酒造ですが、2010年には20蔵ほどまで減少。日本酒全体の需要減によって生産量が減ったことが主な理由ですが、これによって、特に品質の高い酒蔵が取引先として残ることになりました。

「桶買いをやめる数年前、残っている酒蔵さんは自社ブランドでも良い酒を造るところばかりだと気がつきました。弊社の取引先はどこも、山廃造りの濃い味の酒を造る技術力が高いんです。

桶売りをしなくなることで、その技術が知られなくなるのはもったいないと思い、それからは『この酒蔵は技術力が高いからぜひ飲んでみて』と、あえて公表するようになりました。もちろん、公表したくなさそうなところは言っていませんが」(白樫さん)

剣菱酒造では、熟成期間も造り手もさまざまな389本のタンクから、熟練のブレンダーが"剣菱の味"を生み出し、それを白樫さんと従業員がテイスティングすることで、安定した味わいを保っています。

剣菱酒造のテイスティングの様子

剣菱酒造のテイスティングの様子

「剣菱の酒は、自社で造った酒が骨子にあって、桶買いした酒がその肉付けをするような役割でした。実は、桶買いする酒蔵によって役割分担があったんですよ。たとえば、きれいな酸を出す酒蔵は、ブレンドによって味わいの締まりをよくしてくれます。そのなかで『楽の世』は丸み担当でしたね。やわらかさと旨味の強さを補ってくれていました」(白樫さん)

剣菱酒造は、小さな酒蔵たちにとって相談役のような存在。「杜氏が見つからない」という酒蔵に別の蔵の働き手を紹介したり、「従業員が減ってしまって、少人数で回すにはどうしたらいいか」といった悩みにアドバイスしたりと、両者の関係は単なる取引先というだけではなかったようです。

「毎年、その年のお酒を神戸に持っていき、剣菱酒造の方々にテイスティングしていただく『呑み切り』というイベントがあるのですが、その後に開かれる懇親会では、桶売りをしている酒蔵同士での交流がありました。

私はそれまで自社ブランドをほとんど手がけておらず、数年前から県内の勉強会に参加するようになったんですが、そのときの知り合いに会うことがあって、今も交流が続いています」(村瀬さん)

「剣菱」があってこその「楽の世」

日本酒の需要が減り、また、桶買い・桶売りへの批判が高まったことで、桶買い・桶売りを行う酒蔵は年々減少しています。

長く桶買いを続けていた剣菱酒造もまた、出荷量の低減を受け、2020年に当時残っていた12の酒蔵との取引をすべて停止し、100%自社醸造に切り替えました。

「剣菱酒造さんから桶買いをやめるという話を正式に聞いたのは前シーズンの春でしたが、毎年の注文量の減り具合を見ていて、『あと数年かな』という心構えはできていました。世の中が厳しい状況の中で、いつまでも剣菱さんのお世話になっているのもご迷惑になってしまうと、取引先の酒蔵はみんなわかっていたんじゃないかと思います。

弊社でも、高齢化によって、造り手を集めるのがだんだん難しくなってきていたので、たとえこの先10年注文をもらっても続けられないだろうと思っていました。自社ブランドもそろそろ本格的に復活させなければと考えていたので、タイミングとしてはちょうど良かったです」(村瀬さん)

「剣菱から学んだことは何か」という質問に、「酒造りのすべてです」と答える村瀬さん。

楽の世は、剣菱と同じ山廃造りと熱掛四段仕込(三段仕込みのあとの四段目に蒸米を冷まさず、熱いまま投入する方法)で造り続けられています。

丸井合名会社「楽の世」

「桶売り時代の大容量のタンクで仕込むほどの量は造れないので、小さいタンクに買い替えました。あとは、世の中の需要に合わせて、生酒と純米酒を造るようになりました。

それでも、自分の舌が剣菱のような酒をおいしいと思ってしまうようになっていますし、これまでと違うことがしたいとは思いません。こういう酒質のほうが料理にも合いますからね。楽の世は、古風と今風の中間くらいを狙ったブランドです」

剣菱酒造への桶売りを公表することについては、「自分からは率先してお話しすることはありませんが、インターネットで調べれば情報が出ているし、ファンのお客さんもだいたい知っています」と、村瀬さんは苦笑します。

「でも、私は昔から『うちは剣菱を造っている』と言いたいくらいだったんですよ」(村瀬さん)

丸井合名会社の代表・村瀬幹男さん(写真左)と剣菱酒造の代表取締役・白樫政孝さん

「取引が終わった最後の年はコロナ禍だったので、『呑み切り』も懇親会もできなかったのが心残りですね」と残念そうな村瀬さんに、「弊社の都合で取引を止めることになってしまって、申し訳ない気持ちがあります。感謝を伝える会はやりたいですね」と返す白樫さん。

桶買い・桶売りというと、ネガティブなイメージや、大手企業と下請け企業の関係のようなビジネスライクな印象を思い浮かべがちです。しかし、剣菱酒造を中心に桶売り元の酒蔵のコミュニティができあがっていたように、中には今回の2社のように、"パートナー"と呼べるような関係性があったのも事実です。

取材の後、村瀬さんは以下のように話してくれました。

「おそらく、剣菱はもっと何年も早く桶買いをやめて、自社蔵で全量を造ることができたと思うんです。それなのに、自社の生産量を減らして私たちに酒造りの仕事を与え、会社を守ってくれました。私にとってはその数年間の経験が本当に大きく、それが今の酒造りに活かされています。守ってもらい、育ててもらい、感謝しかありません」

500年以上も愛され続ける「剣菱」と、その造りを受け継いで新たなスタートを切った「楽の世」。その味わいからは、日本酒の歩んできた歴史の一面が見えてきます。

(取材・文:Saki Kimura/編集:SAKETIMES)

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