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明治時代には熟成古酒は存在しなかった!? 国策からみる熟成古酒のあゆみ

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「三年酒 下戸の苦しむ 口当たり」

これは江戸時代の川柳です。下戸、つまり体質的に酒が飲めない人が何かの拍子に、三年酒(3年間貯蔵した酒)を口にしました。酒を飲めば苦しくなることはよく分かっているので飲むつもりはなかったのだけど、3年間も貯蔵した貴重な酒だと言われて、ちょっと口に含むと思いのほか美味しい。そこでつい2口、3口飲んでしまったが……、下戸の悲しさ、たちまち苦しくなってしまった、という情景です。

この川柳からわかることは、
・ 江戸時代には3年間も貯蔵熟成させた酒が、庶民にまで知られていた
・ 酒を長期熟成させると、本来は酒が飲めない下戸でも、その口当たりの良さについ飲んでしまうほど美味い酒になる
ということです。

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明治政府の厳しい税制

国民の主食である米を原料として造る日本酒は、常にその時の為政者によって、造る量を厳しく制限されてきました。そのため、歴史的にはその貴重な酒を長く貯蔵するという発想はなかったとされてきましたが、その基になったのが明治政府による「造石税」と呼ばれる税制です。

「造石税」は、酒を搾った時に税が課せられるため、貯蔵中に酒が腐ったり、亡失(漏れてなくなること)しても、すでに課せられた酒税は、必ず納めなければなりませんでした。

その上、地租(固定資産税のようなもの)の他に財源を持たない明治政府が、酒税を国家収入のもう一方の柱としたため、その税額も半端なものではなかったようです。日清・日露戦争は酒税で戦ったと言われるほど過酷な税額で、その取り立ても徹底的に行われたといわれています。

そのため酒蔵では、翌年の酒を搾るころまでに蔵中の酒をすべて売り尽くそうとしたため、年を越して貯蔵する酒は、全国の蔵元からほぼ完全に消えてしまったのです。

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なお、現在日本酒に課せられる税は「蔵出税」と言われ、造った酒が売れて、蔵から出荷する時に始めて税が課せられるものです。そのため、酒の長期熟成はそれほど難しい話ではなくなっています。

長期熟成への挑戦を阻んだ高度成長期の政策

昭和30年代の中頃になると、江戸時代に親しまれていたという、長期熟成に挑戦する蔵元がようやく現れ始めました。しかし、その前に大きな壁となって立ちはだかったのが、国が主導した級別制度在庫規制です。

・級別制度
販売する酒を特級、1級、2級の3段階に分け、それぞれの価格を国が決めます。価格の安い2級酒以外は、級別審査というものを受けさせて、それに合格した酒だけが特級酒や1級酒で売ることができるという従価税方式です。

官能で行われる級別審査では、その酒に色や好ましくない香りや味があると不合格とされたので、色があり、香りも味もまったく馴染みのない、何年間も熟成させた酒が合格することはなかったようです。

・在庫規制
日本経済の高度成長期、ビールなど他の酒類の台頭によって日本酒の消費量が頭打ちとなると過剰な在庫が発生し、それが原因で市場価格が乱れて、地方の中小酒蔵の疲弊が進みました。その救済策として国が打った手は、醸造年度末の在庫量を、年間販売予定量の10か月分以内に抑えるという在庫規制です。

ところが、酒を何年間も熟成させるためには、その年に販売する酒の量に、いくらか上乗せをして酒を造る必要があります。また、長期熟成のために貯蔵した酒は在庫として計算されるため、貯蔵を何年間も続けると、その在庫が規制量を超えてしまい、翌年に造る酒の枠がなくなるという事態においこまれてしまいます。

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現在、30年熟成や40年熟成として商品化されている熟成古酒は、強い信念をもった蔵元が、商品としていつ売ることができるかの見通しも立たない逆境の中、コツコツと蓄えてきた貴重な酒なのです。

(文/梁井宏)

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梁井 宏

金沢の創業1625年の老舗酒蔵で、40年余りにわたり、酒造管理、商品開発、市場開拓などに携わってきました。同社を退職後は、酒関連の情報収集と併せ、現役時代からこだわってきた、「熟成古酒」の啓蒙活動に力を入れています。