古い文献から、熟成古酒の歴史を紐解く本シリーズ。前回の記事では鎌倉時代に日蓮上人が書いた門徒への礼状から、当時の酒造り、そして貯蔵技術・貯蔵容器についてご紹介しました。
今回は、江戸時代の中期、1697年(元禄10年)に刊行された『本朝食鑑』(人見必大著)から、元禄時代の熟成古酒についてみていきましょう。『本朝食鑑』は、食べ物の百科事典ともいえる書物です。そこには熟成古酒についての記述も多く残されています。
麹の割合が多かった元禄時代の「三段仕込み」
『本朝食鑑』には、当時広く珍重された、南都諸白(なんともろはく)の造り方もかなり詳しく書かれています。それによると、現在の日本酒造りの基本的な形である「三段仕込み (酛に対して、添、仲、留と3回に分けて蒸米と麹を仕込む方法)」がすでに行われていたことがわかります。
しかし、その三段の仕込み配合を見ると、現在は酛の量に対して約倍量になる蒸米と麹を加える初添、その約倍量に相当する蒸米と麹を加える仲添、同じく約倍量を加える留添と作業が進むのに対し、酛・初添・仲添・留添、いずれもそれぞれほぼ同じ量で行われています。
元禄時代の酒造りは麹歩合(仕込みで使う米のうち、麹に使う米の割合)が、62%と非常に高く、汲水歩合(米の量に対して加える水の量)は70%程度と低いのが特徴。現在の酒造りでは麹歩合は22%程度、汲水歩合は125%程度が一般的で、この点も大きく異なります。
この仕込み方法から推測されるのは、アルコール度数がかなり低くて甘みが強く、酸の量も相当多くある、現在の酒と比べると非常に濃厚な酒であったと思われます。
時が経つほど、その輝く色の美しさが増す熟成酒
さらに、この酒を長く熟成させる記述が続きます。
「諸白の新酒と諸白古酒は皆臘月(ろうげつ・旧暦の12月、陽暦では1月)に造醸するもので、甕壺(おうこ)に収蔵(おさめ)て、年を経て置くことができる。三、四、五年を経た酒は味が濃く、香りが美(よ)く最も佳(よ)い。六、七年から十年を経た酒は味が薄く、気が厚く、色も深濃となり、異香があって尚佳い。このような酒はともに和州・摂州(大和・摂津)の造りであって、余の州のものは相及ばない。然れども貯える量が少ないので、価も貴いのである」
この記述の中で注目されるのは、3・4・5年熟成の酒は「味が濃く、香りが美くて最も佳い」としながらも、6・7年から10年熟成の酒は「味が薄く、気が厚く、色も深濃となり、異香があって尚佳い」と書かれていることです。
「諸白(もろはく)」とは、仕込みに使う麹米・掛米をともに精白した米を使う酒造りのこと。それ以前は掛米だけ精白し麹を玄米で造る「片白」で、さらにそれ以前は掛米・麹米ともに玄米で酒を仕込んでいました。
当時の諸白酒の造り方などから考えると、現在私たちが日本酒を分類する際に使う「濃熟タイプ」「中間タイプ」「淡熟タイプ」のうち、この酒は「濃熟タイプ」と考えられます。熟成による色、香り、味の変化の大きさは充分理解できますが、もしこの時代に、ワイングラスの様なものがあったら、その輝く色の美しさは、また違った表現になっていたことでしょう。
深い味わいへと変化する「解脱(げだつ)」という現象
熟成年数を重ねるに従って、一度「濃く」なった酒の味が「薄くなる」と言う部分は、なかなか理解し難いと思われます。しかしこれこそが、熟成古酒造りにおいて経験する最も重要な部分です。
それは単に味が薄く、水っぽくなるということではなく、それに続く「気が厚く」と言う言葉で表現される、甘い・辛い・酸っぱい・苦いなど個々の味を超越した、全体の味のバランスの良さとその深い味わいへの変化を表すもので、私たちはこの現象のことを「解脱」と呼んでいます。
「解脱」の現象は、元の酒の中に含まれる成分が多くなればなるほど、長い年数を要します。当時の諸白酒が解脱に6・7年から10年間もかかったということからも、元の酒に含まれていた成分の多さが想像できるとともに、その解脱した酒の深い味わいが想像できます。
酒に非常に造詣が深かった坂口謹一郎博士が、その名著「日本の酒」のなかで「その中に千万無量の複雑性を蔵しながら『さわりなく水のごとく飲める』さりげない姿こそ、酒の無上の美徳であろう」と書かれたのは、まさにこの「味が薄く、気が厚い」解脱をした酒を指しているのでしょう。
(文/梁井宏)