アメリカの南部、メキシコ湾に面したルイジアナ州ニューオーリンズに、同州初のサケ・ブルワリーとしてオープンした「Wetlands Sake(ウェットランズ・サケ)」。酒蔵の数が増え続けるアメリカの中でも、創業者は2人の女性、原料米はルイジアナ産、パッケージはカジュアルな缶入りと、注目のポイントにあふれた醸造所です。
コロナ禍でのオープンながら、着々と販路を広げ、売上を伸ばしているWetlands Sake。その立ち上げの経緯やブランドに込められた想いをうかがいました。
ルイジアナ産の米でSAKEを造る
ヘルスケア企業の経営をしていたナン・ウォリスと、飲食業界でマネジメントやマーケティングに携わってきたリンゼイ・ビアードが2人で立ち上げた「Wetlands Sake」は、2021年に初めての商品をリリースしました。
「SAKEはシンプルな材料でできた、とてもクリーンな飲みもの。私たちは旅行好きで、訪れる先々でSAKEを楽しんでいました」
もともと友人同士でSAKEと旅行が大好きな2人は、アメリカ国内のレストランを訪れるうちにあることに気付きます。
「ディナーをしながらSAKEの話をしていたとき、ナンが『アジア系のレストラン以外のメニューリストにもSAKEが載るようになったね』と言ったんです。確かに、フレンチの高級レストランやステーキハウスなどで見かけるようになったと、私も気になっていました」(リンゼイ)
旅をするなかで、SAKEの人気が全米で高まっていることを実感した2人。そんなとき、アメリカでSAKEの醸造所が次々とオープンしているという記事を目にします。しかし、当時、全米50州の中で生産量3位という米どころのルイジアナ州には、まだ酒蔵が1軒もありませんでした。
ふたりの運命を決めたのは、ルイジアナ産の「ピローグ」という米との出会いでした。
「ルイジアナ産の米が使えないのであれば、酒造りを始めることはないと最初から決めていたんです。最初は2ポンド(約900グラム)のピローグを用意し、研究所でミネラル、鉄分、タンパク質、デンプンなどを分析しました」
1年間の醸造試験を経て、ピローグが酒造りに適した品種であることを証明できた2人は、種子を購入して農家と契約し、本格的な生産を開始。昨年は10万ポンド(約45トン)、今年は20万ポンド(約91トン)もの米を収穫しました。
SAKEのクラフト醸造所としてはアメリカで国内でもかなり規模が大きく、年間で最大1,000バレル(約650石)を生産可能だといいます。
SAKEを年中造れる最新の設備
莫大な費用を投じてルイジアナ産米の研究を行ったナンとリンゼイ。彼女たちの酒造りは、麹菌や酵母、機材の調達を入手するためのルートを調べるところから始まりました。
「ルイジアナ州でこれからSAKEの醸造所がさらに増えることはないんじゃないでしょうか。とにかく長くて大変なプロセスが必要だから」と話すナン。リンゼイは「醸造所を立ち上げることは簡単ではないし、お金もすごくかかります」と、その困難さを振り返ります。
5月から9月までの夏の時期には気温が30℃を超え、湿度も高くなるニューオーリンズ。決して酒造りに適しているとは言い難い気候ですが、Wetlands Sakeでは空調設備を導入し、四季醸造が行えるように環境を整えています。
「醸造所内の気温は年間を通じて一定です。タンクは二重に断熱され冷たく保たれているほか、酒造り用の大量の水も冷たいまま保管しています。麹室は、換気扇やファン、加湿器などを備えたカスタムメイドの温度調節室になっています。環境をコントロールするために必要なものはなんでもそろえていますよ」と、ナンは蔵の設備について教えてくれました。
Wetlands Sakeで働く蔵人は現在4名で、いずれもビールや蒸留酒といったアルコール醸造の経験者たちです。ナンとリンゼイは酒造りの経験者を招き、長い時間をかけて彼らの研修や試験醸造を行いました。
「みんな好奇心が旺盛ですし、良いものを造りたいという向上心もあります」とリンゼイ。「醸造メンバーは発酵の仕組みについて充分に理解していますし、原材料や機材の知識もあるので、酒造りに適任だと感じています」と、ナンはそれぞれのメンバーに信頼を寄せます。
楽しみ方を広げる缶入りのSAKE
ナンとリンゼイは、アメリカでのSAKE市場の拡大を実感しながらも、それがペアリングを前提としていることや、ボトルやグラスでしか注文できないことにハードルの高さを感じていました。そこで生まれたのが、缶入りのアイディアです。
「環境にやさしい点も、缶というパッケージを選んだ理由のひとつです。缶はアメリカでもっともリサイクルされている素材ですから」と話すリンゼイ。
「私たちの造るSAKEは、必ずしも料理と合わせて飲んでほしいとは思っていません。ビーチに行くときにもSAKEを、釣りに行くときにもSAKEを、ハイキングへ行くときにもSAKEを、バレーボールをするときにもSAKEを。ソーダ缶のようにパカっと開けて、どこでも気軽に飲んでほしいんです」と、ナンはさまざまなシーンでSAKEを楽しんでほしいと話します。
その味わいは、アメリカの人々に飲みやすいよう、ライトで爽やかなフレーバーを目指しました。現在のWetlands Sakeのラインアップは4商品。「Filtered」は精米歩合70%の純米酒です。
「吟醸レベルの精米歩合(60%以下)まで精米をしたかったのですが、米の水分を逃がさないようにした結果、精米歩合70%がちょうど良いことがわかりました。ピローグは、味も香りもとても個性的。蒸している時の良い香りが際立っています。
これまでにアメリカの酒造りでもっとも使われているカリフォルニア産のカルローズや山田錦も試してみましたが、『これだ!』と思ったのがこの米でした。他の米にはないわずかなニュアンスが、私たちの商品をユニークなものにしているんです」(ナン)
そのほかには、にごり酒と、2種類のスパークリング酒(パッションフルーツ・ブラッドオレンジ)があります。
秋ごろまでに完成予定のタップルームでは、限定商品も出す予定なのだそう。どんなお酒かヒントをたずねると、「ルイジアナの人々は冷たいものが好きだからね。たとえば凍ったものとか」と、こっそり教えてくれました。
「タップルームは、地元の人々にSAKEについて知ってもらうための"ハブ"となる場所になります」とリンゼイ。
「これまで私たちは、試飲会や食料品店でのサンプリングに多くの時間を費やしてきました。はじめは『SAKEは好きじゃない』と断る人が大半でした。彼らに『アジア系のレストランでのホット・サケを飲んだの?』とたずねてみると、みんなイエスと答えるんです。ところが、私たちの造ったSAKEを飲んでもらうと、『わあ、全然違う!』と感激して心を開いてくれます。アメリカ中を探せば、私たちの商品だけではなく、彼らの心を開けるSAKEがたくさんあります。でも、ニューオーリンズでは、まだ広まってないんです」(リンゼイ)
「タップルームではテイスティングを行うほか、SAKEについて知ってもらうための教室も開催する予定です。いずれは他のエリアや日本からもゲストを招いてイベントを行うこともできるでしょう。今後は、バーやレストランなどと協力しながら、コミュニティへの働きかけを強化していきたいと考えています」(ナン)
ルイジアナの地酒であるために
2021年初めに商品を発売し、すでにルイジアナ州の大半のレストランや酒販店、食料品店へと販路を拡大しました。コロナ禍で事業をスタートしたにもかかわらず、売上は好調で、生産量も伸長。今後は、ルイジアナ州の枠を超えて他州へと展開していく予定です。
Wetlands Sakeが短期間でここまで拡大した理由は、彼女たちの商品が従来の日本酒やSAKEの飲み手に留まらない影響力を持っているからです。
「Wetlands」とは「湿地帯」を意味します。全米にある湿地帯のうち、その40%を占めるルイジアナ州で生まれ育った2人は、その豊かな自然の生み出す景観や野生動物の恩恵を受けてきました。ハリケーンの多いルイジアナ州では、湿地帯は沿岸部を守る役割も果たしています。しかし、現在は地盤沈下や温暖化による海面上昇などを原因に、その大部分が失われつつあります。
ナンとリンゼイは、自分たちの美しい故郷を守りたいという願いを込めて、ブランドに「Wetlands Sake」と命名。ロゴマークには、湿地帯のシンボルであるサギをあしらったデザインです。また、利益の2%は、湿地保全団体「Save America’s Wetlands」に寄付することを公約しています。
「ある店で試飲会をしていたとき、利益の一部を寄付していると説明していたところ、離れたレジに並んでいた男性がそれを聞きつけて、私たちの商品を買いに戻ってきてくれたことがあります。ルイジアナの人々は湿地帯の重要性を理解しています。それだけハリケーンの被害を受けてきたからです」(ナン)
ルイジアナ産の米でSAKEを造ることで地域経済を支え、その利益の一部を寄付することで湿地帯の保全に努めるWetlands Sake。
ナンは、自分たちの酒造りは「湿地帯への恩返し」だと語り、リンゼイも「ニューオーリンズ生まれである私たちが、SAKEを通してニューオーリンズを表現することは、自分のルーツに戻ることでもあります。『Wetlands Sake』は、本当の意味でルイジアナSAKEなのです」と同意します。
「ルイジアナ産の米が使えないのであれば、醸造所の建設には至らなかった」と語る2人。アメリカの人々にとってSAKEへの親近感を増す「缶」というスタイルは、環境への配慮と、彼女たちの地元愛の表れでもあります。
「アメリカで酒蔵がオープンするたびに、業界全体にとって良いことだと感じます。私たちの使命のひとつは、Wetlands Sakeだけではなく、SAKEそのものと人々を結びつけ、この素晴らしい飲み物を試してみようという気持ちを生み出すことです」とナン。
アメリカで誕生した新たな醸造所は、これからの世界でSAKEが受け入れられるためのあり方を教えてくれています。
(取材・文:Saki Kimura/編集:SAKETIMES)