福岡県三井郡の甘木線大堰(おおぜき)駅は無人駅。筑後平野に広がるのどかな田園風景の中、小石原川の堤防沿いに進み、細い橋を渡ったところに「三井の寿」醸造元・株式会社みいの寿があります。「この橋はうちの蔵専用にかけたんです」と笑うのは、井上宰継専務。

筑後川に注ぐこの清流は超軟水で知られています。
「どこの水を飲んでも、帰ってくると、この水はつくづく旨いなあと思いますね」

株式会社みいの寿は1922(大正11)年創業。「三井の寿」という銘柄は、三井郡に昔からある、酒造りに適した3つの湧水に由来しています。

井上さんは4代目の蔵元杜氏。弟の康二郎さんほか3名の蔵人とともに造る「三井の寿」「美田」の製造石数は、現在あわせて800石だそう。地元福岡のみならず、東京や大阪、さらにはイタリア、シンガポール、香港などアジアを中心に高い評価を得ています。

昨年話題になった、ロバート・パーカー・ワイン・アドヴォケイト社による独自の評価基準"パーカーポイント"では「三井の寿 純米大吟醸」が91点を獲得。また、IWC(インターナショナル・ワイン・チャレンジ)のSAKE部門でも、2年連続でリージョナルトロフィーを受賞しました。井上さんは「時代がうちの蔵に追いついてきたんですね」と、語っています。

井上さんは、ハーゲンダッツジャパンに就職後、蔵に戻って家業を継ぎました。20年あまり前のことです。

「先代である父に先見の明があったんです。父は、福岡とボルドーが姉妹都市になった35年前、ワイン醸造を学びにボルドーまで視察に行きました。そこでテロワールの考え方に出会い、普通酒が99%を占めていた当時の酒造りに疑問を持ったようです。そこから普通酒をやめて、ほぼ純米蔵に方向転換。『ローカリティ』『クオリティ』『オリジナリティ』を信条として掲げていました」

今では全生産量の99%が純米酒。鑑評会出品用の大吟醸なども造りますが、その量は全体の1%ほどだとか。また、ワイン造りに影響を受け、35年前から低温貯蔵にこだわり続けており、商品貯蔵用の冷蔵庫も設置しました。この頃はまだ、日本酒用冷蔵庫が店頭でも珍しかった時代です。

こうした蓄積が「三井の寿」の品質を担保する一因でしょう。現在も、ヤブタによる搾りを低温管理した室内で行うなど、品質を守るための温度管理に神経を使っています。

「親父はとにかく時代より早かったんです。そんな親父を尊敬していて、小学校のときに酒蔵を継ぐと作文に書きました。家を継ぐことは考えていましたが、酒造りまですることになるとは予想外でしたね」

蔵に戻った後は精米担当から仕事をはじめ、当時現場にいた、以前石川の菊姫合資会社で酒を造った経験のある能登杜氏に学び、酒造りのイロハを受け継ぎました。このときに気づいたことがあったそう。

「他の蔵が造った酒と、自分の酒を飲んで比較してみたんです。うちの蔵、山廃はたしかにおいしいけれど、速醸はイマイチだなあと思いました。それを杜氏にぶつけると『それならお前が造ってみろよ』と。麹から造り方を変えていき、杜氏システムではなく、製造部という形をとりながら、若い人間で試行錯誤して造っていこうとしたのはそこが始まりでした。15年前のことです」

以来「酒造りは、科学とセンスと情熱」をモットーに各蔵元と交流しながら、地道かつ徹底した造りの研究を積み重ねていきました。"化学"ではなく、"科学"という言葉を使ったのは「科学とは自然科学のことで、化学や心理学、あらゆる学問を指す。それは人間学でもあり、精神学でもある」からだそう。

イタリア語で"蝉"や"四つ葉のクローバー"を表す「Cicala (チカーラ)」「Quadrifoglio (クワドリフォリオ)」など、季節限定のイタリアンラベルシリーズやワイン酵母を使った酒、澱を引かずに1か月の間、櫂を入れて攪拌する"シュールリー製法"の「バトナージュ」、テロワールにこだわった無農薬山田錦を使用した酒、幻の酒米「三井神力」を復活させた純米大吟醸など、数々の斬新な発想でファンを増やし続けています。

今では、もともと評価が高かった「辛醸 美田 大辛口+14 山廃純米」とともに、速醸の「純米吟醸 +14 大辛口」が売れ筋。

井上氏は大のイタリア好きで、これまでに15回以上イタリアに足を運びました。これが、イタリアンラベルシリーズの醸造につながったそう。その胸の奥には、ワイン愛好家にも日本酒を飲んでほしいという願いに加えて、「現地で買ってくださる方の、日本酒の勉強に一役買えば」との思いがありました。

「夏酒の『Cicala (チカーラ)』が、いちばん最初のイタリアンラベルシリーズでした。近年店頭に並ぶようになった夏酒の走りに近いですね。春限定の『Quadrifoglio (クワドリフォリオ)』は、『吟のさと』を酒米として使った、オリジナル酵母の酒。これを秋まで貯蔵し、一回火入れをして、ひやおろしとして出荷したものが秋の『porcini (ポルチーニ:日本語で"きのこ")』なんです。同じ酒米で、酵母を9号酵母に変えたものが、夏の『Coccinella (コチネレ:日本語で"てんとう虫")』。実は、てんとう虫って夏の季語なんですよ」

「火入れをする、酵母を変える...造り方を変えることで日本酒の味わいがこんなにも変わり、楽しめるということを飲んでいただく方に知っていただきたい、という気持ちで造っていますね」

父から受け継いだ"純米酒こそが世界に通用する酒である"という考えのもと、後進の指導にも余念がありません。

「自分にとっての財産は、酒造りのトップにいる人たちから教えてもらえたこと。他蔵の人で日本酒造りを学ぼうとしている人がいれば積極的に教えますが、『まず自分で考えてやってみろ』と言いますね。なぜこういう造り方をしているのか、自分の頭で考えなければ、良い酒はできません。日常の常識からいかに疑問を見つけるかがとても大事なんです。他の蔵でどれだけ経験があっても、それが自分の蔵でベストなのかは、やってみなくちゃわからないですから」

取材後、売れ筋のひとつ「三井の寿 純米吟醸 +14 大辛口」をいただきました。ダブルA面ラベルの本商品は、裏に14の背番号があり、人気漫画『スラムダンク』の天才スリーポイントシューター・三井寿を連想させます。このキャラクターの名前は「三井の寿」に由来しているそう。

爽やかでありながらもキツさがない、リンゴを思わせる吟醸香のあと、旨みや深みも感じさせながら後味がスッとキレていく、絶妙なバランスの逸品。井上氏の誠実でまっすぐな思いが伝わってくるような気がしました。

(文/山口吾往子)

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