全国新酒鑑評会において、現在まで金賞を10年以上連続して獲得している酒蔵は全国にわずか5蔵しかありません。

そのうちの2蔵が宮城県にあります。以前紹介した14年連続受賞の川敬商店(美里町)と、もうひとつが10年連続受賞を果たした中勇酒造店(加美町)です。市販酒の評価も高く、鑑評会の出品酒と変わらない手法で造っています。中勇酒造店の杜氏・上野和彦さんに、金賞常連蔵になるまでの道のりを聞きました。

すべての工程を見直して、改善を重ねる

中勇酒造店杜氏の上野和彦さん

宮城県涌谷町出身の上野さん。学校を卒業後、電機会社に就職しましたが、30歳を過ぎたところで会社が希望退職を募集します。それを聞いた上野さんは「ちょうど良い区切りかもしれない」と会社を辞めることを決めました。次の会社を探していたところ、中勇酒造店が蔵人を募っていると知り、迷わず酒造りの世界に身を投じます。

「もともと、モノづくりが好きだった」と話す上野さん。酒造りにどんどんのめり込み、数年後には前杜氏・高橋健一さんの片腕になるまでに育ちます。

あるとき、高橋さんとの雑談のなかで「うちの蔵は全国新酒鑑評会で一度も金賞を獲ったことがない。どうすれば獲れるのか、いっしょに考えてみないか」という言葉が出てきました。

中勇酒造店の洗米の様子

それから、高橋杜氏を中心に蔵人たちが一丸となって研究を始めました。原料処理、蒸米、麹造り、酒母造り、醪の管理......すべての工程を見直して、改善を重ねていったのです。

そして平成16BY(醸造年度)に、ついに金賞を受賞します。続いてその翌年も金賞を受賞。上野さんは「試行錯誤のなかで結果的に獲れたのであって、杜氏を含めた蔵人全員が獲れると確信するまでには至っていませんでした」と振り返ります。案の定、翌年度は金賞はおろか入賞すらもできませんでした。

上野さんは「敗因は明らかに原料処理のミスでした」と語ります。

原料処理とは、米を洗う洗米と、米に水を吸わせる浸漬を総称した言葉です。いちばんの大きな原因は浸漬でした。そこで、蒸した米をそのまま仕込みタンクに投入する"掛米"の重要性に着目。水を吸わせる割合や、蒸した後、タンクに投入するまでの管理などを徹底したところ、平成19BYに再び金賞を獲得したのです。

常に金賞を狙えるレベルに達したことを、高橋杜氏と上野さんが実感した年でした。

杜氏交代というプレッシャーに負けず

中勇酒造店・蔵人のみなさん

以後、平成28BYまで10年連続で金賞を獲得してきましたが、試練になったのが平成23BY。高橋杜氏が引退し、上野さんが新任杜氏として出品酒を造らなければならなくなったのです。事情があって、高橋杜氏が突然蔵を去ることになったため、引き継ぎは慌ただしく、満を持してのバトンタッチではありませんでした。

「高橋さんが4年連続金賞という記録を残していたので、それを私が途絶えさせるわけにはいかない。プレッシャーはありましたね。ただ、それまでの出品酒造りにはしっかりと関わっていたので、なんとかなるという自信もありました」と、上野さん。

杜氏1年目の出品酒については、酒造りの指導をしている宮城県酒造組合の先生から「素晴らしい出来」とお墨付きをもらい、とてもうれしかったことが印象に残っているそうです。その後、現在まで杜氏として6年連続の金賞を受賞します。

「『金賞を獲れないのでは』と、不安に感じることはありましたか」と尋ねると、「10年連続がかかった昨年の出品酒造りは、さすがに緊張しました。やはり、"10"という区切りは大きいですね」と話してくれました。

市販酒と同じ方法で造る出品酒

中勇酒造店「天上夢幻」

中勇酒造店では、こうしたハイレベルな出品酒造りのノウハウを、市販酒にも注ぎ込んでいます。

出品酒から特定名称酒、さらには普通酒に至るまですべて、米は10キロ単位で洗米。麹造りも同様で、出品酒でも市販酒でも、麹造りの後半には最新鋭の自動製麹機を使い、高品質の麹を安定的に造っています。

また、多くの酒蔵では出品酒が小さなタンクの仕込みで、完璧な温度管理のもとで造られているのに対し、中勇酒造店の出品酒は純米酒や純米吟醸酒と同じ大きさのタンクで醸しています。

中勇酒造店の上野杜氏と蔵元後継者の中島崇文さん(右)

中勇酒造店の杜氏・上野和彦さん(左)と蔵元後継者の中島崇文さん(右)

「洗米のごく一部だけは出品酒のみに採用しているやり方がありますが、残る作業はすべて同じです。逆に言えば、市販酒と同じ造り方で出品酒を造っているということにもなりますね」と、蔵元後継者の中島崇文さんは話します。

上野さんは現在、50歳半ば。現在は、バトンを渡す後継者の育成を強く意識しながら酒造りを行っています。

「杜氏でいる間にやっておきたいことはありますか」という質問に、「バトンを渡すまで、金賞の連続記録を途絶えさせないことですね。できれば20年連続を」と、茶目っ気たっぷりに答える姿が印象的でした。

(取材・文/空太郎)

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