奈良県桜井市三輪で「みむろ杉」と「三諸杉」を醸す今西酒造。現蔵元・今西将之社長が蔵を引き継いだ時には廃業の危機に直面していましたが、綿密な研究・計画作りと手間暇をかけた造りで人気銘醸蔵へと変身しました。この実行力は、他の若い蔵元たちにも刺激を与えています。その成長の軌跡をたどります。
引き継ぎのないまま、28歳の若さで蔵元に
今西さんは1983年生まれの36歳。今西酒造の長男に生まれ、物心ついた頃から家業を継ぐことを考えていました。
先代には30歳で蔵に帰ると宣言し「知識や人脈を広げて蔵に戻りたい」と考え、大学は同志社大学の商学部に入学。卒業後はリクルートに入社し、トップセールスとして社内で多くの表彰を受けるなど、実績を積み上げていました。
ところが、2011年秋、28歳になった今西さんのところに、先代蔵元から「余命いくばくもないと医者に言われた。ただちに帰って来い」との連絡が入ったのです。急ぎ蔵に戻ってた1週間後に先代は急逝されます。
「何の引き継ぎもないまま社長になり、酒蔵の経営をしなければならなくなりました。帰ってからじっくり勉強するつもりだったので、酒蔵のことはまったく何にも知らない状態で途方に暮れました」と、今西さんは当時を振り返ります。
蔵の経営を始めるにあたり、帳簿を見ると会社は大赤字。負債も大きく、このままの経営では、近い将来蔵をたたまなければならない状況だったと言います。当時、今西酒造は酒造りのほかに飲食店や宿泊業なども手がけていましたが、これらをただちに売却して酒造りに集中することに。ところが、肝心の酒造りは不振が続いていました。
「造っているお酒のうち、半分以上が普通酒。そのため『三諸杉』というブランドは奈良県でもまったく知られていませんでした。当時の造りはいかに効率良くやるかを優先していて、美味しい酒を造るという情熱がなく、新たな設備投資もしてなかったので、蔵の老朽化は深刻でした。これでは美味しい酒ができるわけもなく、全国の人気地酒をブラインドで飲み比べると、特に見劣りするのがうちの酒でした」
情熱を持った酒販店との出会いと「みむろ杉」誕生
美味しい酒を造るにはどうしたらいいのか悩みながら、営業で既存の取引先にサンプルを持って足を運ぶと、お酒は開けられずに値下げや協賛の話ばかり。「これが日本酒業界の常識なのか」と諦めていたところ、今西さんはとある地酒専門の酒販店を訪問し、そこで衝撃を受けます。
「店主はサンプルのお酒を利いて『こんなまずいのは話にならない』とは言うものの、話す内容は酒の味や香りのことばかりで、値引きだとか協賛はおろか、値段という言葉も出ませんでした。店主からは地酒に対する愛情があふれていました。これから自分が命をかけて酒造りをしていくのだから、こういう情熱を持った酒販店と一緒に仕事をしたいと強く思いました」
今西さんのその決心は、翌年2012年に特約店限定流通品「みむろ杉 ろまんシリーズ」という形で発売されました。
「自分が一番のファンになれる酒を造りたい」
今西さんの美酒造りは模索を始めたばかり。どういう酒を造りたいか、どんな酒質でアピールするのかも定まらないまま、人気の酒の味を真似てみたり、話題の技法を取り入れたり、酸が特徴の酒や香り高い酒も造るなど試行錯誤する日々でした。
「ブレまくりの酒造りが続くなか、ずっと自問自答していました。自分は本当に何が造りたいのか。悩み抜いた結論は、自分が一番のファンになる酒を醸す。そのためには小仕込みで、徹底的に手間暇をかけた酒造りをすることでした」
2014年、今西さんは5カ年計画を立てます。
「みむろ杉らしさがありつつも、お客様に美味い!といってもらえる」ことをゴールとし「穏やかな香りと、フレッシュで米の旨みが広がるキレイな酒」と目指しました。
その手段として「穏やかな香り」は協会901号酵母を使い、「フレッシュさ」は搾った翌日に瓶詰めして−5度の冷蔵庫で出荷まで貯蔵。「米の旨み広がるキレイな味わい」は完璧に糠を落とした米をよく溶かすことで、これらを組み合わせて目指す酒質を表現したのです。
その中で何よりも伝えたいことは、地元「三輪」のことだと言います。今西酒造からほど近いところには、酒造りの神様で、杉玉発祥の地でもある大神(おおみわ)神社があり、さらに日本で唯一の杜氏の神を祀る神社もあります。
「三輪は日本酒の歴史の原点であり、酒の神が鎮守している地です。そして、この地に残る唯一の酒蔵がうちです。そんな恵まれた環境にあるからこそ、三輪を表現する酒造りをしたいと思いました。そのため、お酒のコンセプトは『三輪を飲む』と掲げています。仕込み水は三輪山の伏流水を使い、伏流水と同じ水脈の水で米作りをしている農家と契約しています」
酒造りのすべての作業をていねいに
コンセプトが決まると、今西さんは地酒販売店の協力を得て全国の銘醸蔵を巡り、設備を徹底的に研究しました。それをもとに5年かけて設備を一新し、酒造りのための最高の環境を整えます。
「小仕込みでていねいな酒造りをするためのいいとこ取りをしたので、音楽CDのベスト盤のような酒蔵になっています」と話します。
真っ先に実施したのが原料処理です。最新鋭の気泡で洗う洗米機を導入し、甑(こしき)も乾燥蒸気を当てられるタイプにしました。続いて、タンク貯蔵をやめて全量瓶貯蔵のための冷蔵庫をつくり、酒母室と搾りの部屋も冷蔵対応にしました。麹室も一新し、麹造りの道具もすべて最新のものに切り替えました。仕込みタンクはサーマルタンクを増設していきました。
設備導入しながらも、最もこだわっているのが、各工程を手作業でていねいに行うことでした。
「それを徹底するには、蔵人がお客様の美味いのためになることは、すべてやるんだという気持ちを常に持ち続けることです」と、今西さんは言い切ります。
たとえば、米洗いの単位。麹用の米だけでなく、掛米も全量を10キロ単位で洗って、完璧に糠を落としています。さらに、蒸した掛米は量が多くなると機械を使ってタンクに移動させる蔵が多いのですが、衛生面で懸念が残ると考える今西さんは、全量を蔵人が担いで仕込みタンクまで手運びするようにしました。
また、麹造りは、酒母用、添え仕込み用、仲仕込み用、留め仕込み用を、それぞれ異なる麹菌で異なる造り方をしています。同じ麹菌を使ってでまとめて造れば効率的ですが、あくまでも手間暇をかけることを厭わないという考えです。
手作りの理想を追うために、一回の仕込みに使う米の量は900キロと1トン未満にしました。これは、他蔵に比べると少ない量です。
「酒造りに秘策はありません。美味しい酒を造るには、効率は一切無視して、愚直にていねいにやることに集中することです。地元向けの普通酒から大吟醸酒まですべてを同じ造りでやっています」と、今西さんは話してくれました。
これだけ手間がかかれば、少人数ではできません。毎年若い蔵人を採用していて現在の体制は15人。正社員の平均年齢は30歳です。
「うちと同じ醸造規模だと7~8人体制が普通だと思います。手作業が多いので人を増やした側面もありますが、同時に、蔵人たちには冬場も休日を取らせ、ワークライフバランスを大切にしながらも、本気で酒造りに向き合えるための増員でもあります」と、今西さん。
こうした結果、5カ年計画の2年目、2015年から首都圏の地酒販売店との取引が相次いで始まり、知名度は一気に拡大しました。
酒質のレベルも年々進化し、全国新酒鑑評会で、2014年に久しぶりに金賞を獲得し、現在5年連続を更新中です。2019年は京都・松尾大社で開かれる「酒―1グランプリ」で1位を獲得、仙台日本酒サミットも1位を獲得。さらに、「SAKE COMPETITION 2019」で純米酒部門で2銘柄、純米吟醸酒部門で1銘柄がGOLDに入賞しています。
「三輪」という土地とともに歩む蔵の姿
猛スピードで酒蔵を改革・進化させてきた今西酒造ですが、これからやりたいことについて、今西さんは次のように話しています。
「もっと三輪を表現する酒造りをしていきたい。そのためにも米にはさらにこだわります。いままでは契約農家とともに米作りをしてきましたが、これからは三輪の地で自分たちも米作りをします。自社田も確保し、三輪を表現するための取り組み、三輪の地域全体が元気になることにもチャレンジしていきます」
これからも「みむろ杉」の進化から目が離せません。
(取材・文/空太郎)