休蔵や廃業寸前の酒蔵が造りを再開するニュースは、日本酒業界はもちろん、日本酒ファンにもうれしいものです。
長崎県壱岐島で「ちんぐ」などの麦焼酎を造る重家(おもや)酒造もそのひとつ。2018年12月13日、都内で日本酒の新酒お披露目会を開催しました。
28年ぶりに壱岐島での日本酒造りが復活
壱岐島は、日本初の原産地呼称に認定された「壱岐焼酎」と呼ばれる麦焼酎が有名な地域。青い海に囲まれた離島では、漁業はもとより米作りも盛んで、1902年には17蔵もの日本酒蔵があったそうです。
時代の流れから、島の酒蔵は減り続けました。最後に残った重家酒造も、1990年に日本酒造りを断念。
しかし28年の時を経て、焼酎造りを続けることで蔵を受け継いだ横山雄三さん、太三さんのご兄弟が日本酒蔵を再建し、壱岐島での日本酒造りを復活させたのです。
日本蔵の復活までどのような経緯があったのか。また、再建した蔵で造られた「よこやま」シリーズはどのようなお酒なのか。重家酒造の杜氏である横山太三(たいぞう)さんにお話を伺いました。
日本酒を辞め、造りは焼酎一本へ
日本酒造りを中断したのは、太三さんが高校生の頃のこと。
「以前は普通酒をメインに造っていたため、大手との価格競争に入らざるを得なくなり、徐々に経営は苦しくなりました。そして福岡の久留米市から来ていた杜氏さんが高齢のため辞めてしまうのを機に、日本酒造りを辞めたのです」
長男の雄三さんは、先に大学へ進学し名古屋へ就職。太三さんも東京の大学へ進学しましたが、ラベル貼りなど夜遅くまで働く母親の姿を見ていたため、少しでも力になろうと、蔵に戻ることを決めていたそうです。
「うちの蔵に最も足りないのは営業力。帰ることは決めていたものの、営業の修行をしておこうと、卒業後は住宅メーカーへ就職し、4年間飛び込み営業で鍛えました。その後、自分の焼酎をもって全国をまわりました」
新しい業界の中で苦労を重ねながらも、重家酒造は10年古酒の「確蔵」がきっかけで、全国の酒販店にその名が知られるように。さらに、壱岐産の原料でできた麦焼酎「ちんぐ」が全国展開され、マスコミなどにも取り上げられました。焼酎ブームの後押しもあり、軌道にのりはじめたのです。
山口県・澄川酒造場で造りはじめた「横山五十」
そんな中、人づての紹介で、はせがわ酒店代表の長谷川浩一さんとの出会いがありました。これが日本酒造りに舵をきる大きなきっかけとなります。
「長谷川さんと一緒に飲む機会があると、いつも日本酒ばかり勧められるんですよ。そうやって、いろんな銘柄を飲ませてもらっているうちに、日本酒の美味しさにのめり込んでいったんです」
いつか日本酒造りを復活させたいという両親の思いもあり、酒造免許は手放さずにいたのだそう。
「長谷川さんに『全国で日本酒を造りたいやつはいっぱいおるけど、なんで造らんの』と言われたとき、ぐさっと心に刺さりました。壱岐島で日本酒を造りたいという自分の気持ちに気付いたんです」
日本酒蔵の再建を決意するも、蔵を作るには相当な額が必要です。長谷川さんの推薦もあり、まずは、澄川宜史さんが代表を務める澄川酒造場で酒造りの修行をはじめました。その間に資金をつくり、プランを練ることに決めたのです。
ところが、太三さんが酒造りに行こうと決めた2013年7月。山口県や島根県を襲った大雨による水害で、澄川酒造場は大きな被害を受けました。
「蔵が泥にまみれ酷いありさまで、もう酒造りは無理なんじゃないかと思えるような状況でした。おれの酒は二の次でいいから、澄川さんの蔵を復興させることに力を注いでもらおうという気持ちでした。そんな大変な中でしたが、澄川さんは一緒に造ろうと約束したことを実現してくださったんです」
多くの協力をうけて、澄川酒造場は約半月で再開することができました。太三さんは、2014年3月から泊まり込みで酒造りに参加。そうしてできたのが、マスカットの様な香りがみずみずしい「横山五十」という日本酒です。蔵復活の思いに共感しあった、ふたりの友情からできたお酒にも感じられます。
最新設備の日本酒蔵が、ついに完成
そこから5年を経た2018年5月に、重家酒造の日本酒蔵「横山蔵」は壱岐島に完成しました。中でも苦労されたのは、島内で水を探すことだったとか。
「5年かけて、15箇所ほどの候補地から分析しても、よい結果が得られず絶望的でした。先祖が日本酒造りをやめろと言っているんだと思えましたね。ある日、銀行の紹介で木材屋さんの土地を見に行ったんです。すると、偶然そこでアスパラを作っていたそうで、井戸がありました。そこを分析してみたら、まさに理想的な水だったんです」
さらに横山蔵には、理想の酒を造るためのこだわりが詰まっています。蔵の規模はクオリティを確保できるよう約1000石と考えて、設計士と共にさまざまな蔵を訪ね、シミュレーションを重ねたそうです。
「蔵のサイズ感から逆算して、タンクの大きさや、動線をどうするかを考えました。蔵内は完全冷蔵で、常に5度で管理できるようになっています。もろみにとっては、最高に気持ちの良い状態ですし、発酵を0.2〜0.3度くらいで操作できるんです。電気代はかかりますが、狙った酒質にするためには必要な設備です」
麹室は、密閉度合いをあげるために天井の高さを低くしています。また、フレッシュ感を保つために搾ったあと、タンクへ送るためのポンプの仕組みを変えるなど、理想の酒造りのための細かな工夫が施されています。
造りたいのは「ファーストドリンク」
横山蔵で造った新酒は、どのようなお酒に仕上がったのでしょうか。
「もともと、自分の造りたい酒はファーストドリンク。1杯目に選んでもらえるような酒です。少し戦略的ですが、1杯目に飲んで美味しかったら、2杯目も飲みたくなるのではないかと考えました。『純米吟醸よこやま SILVER』は芳醇な味わいにしたかったので、香りは立ち香よりも含み香を重視し、ふくらみと甘みのあとに酸できれるような酒質をイメージしました。10人に美味しいと言われる酒は難しい。それなら、自分が美味しいと思うお酒を造ろうと思ったんです」
「純米吟醸よこやま SILVER」は、複数の酵母をブレンドしたシリーズです。瓶についた短冊の色によって、使用されている酵母が違います。酵母は、糖をアルコールに分解する役割を担い、酵母の種類によって香りや酸味などの風味が変わるので、短冊ごとに異なる味わいが楽しめます。
「5種類の酵母を使ったのは、1年目のチャレンジという気持ちが大きいです。9月から酒造りを始め、ほかの蔵に比べると後発なため、こっちに目を向けてほしい気持ちがありました。あとは、新しいことをやると自分の経験値もあがります。実際に、酵母ひとつひとつのタイプの違いが分かり、酵母のパフォーマンスを最大限に出せるように工夫することができました」
新酒お披露目会では、「純米吟醸よこやま SILVER」の白、赤、黒、緑の4種類が試飲できました。フレッシュ感がベースにありながら、シャープさや甘みが特徴的だったりと、風味の違いを楽しむことができました。また、ラベルも大きく変更しています。「横山五十」には女性ファンが多かったため、女性が手に取りやすいようにピンクやシルバーなどの色を用いて、柔らかいデザインに仕上げたそうです。
壱岐で唯一の日本酒蔵としてできること
現在、重家酒造は壱岐島で唯一の日本酒蔵。少子高齢化によって人口が減っていく中、文化や産業を支える意味でも、地元の酒蔵の存在は大きいでしょう。
「もともと壱岐島には17蔵あったのに、時代の流れの中で消えてしまいました。僕らがやらないと日本酒文化が島から途絶えてしまう。そういう気持ちがあったので、この島で造ることにこだわりました。このお酒を飲んだ人が壱岐に興味を持ち、壱岐に行こうと思ってもらえたらうれしいです」と太三さんは語ります。
玄界灘に浮かぶ壱岐島は、古くから大陸と日本をつなぐ要所としての歴史もあり、魚介や壱岐牛など、美味しい食べ物にも恵まれています。博多から高速船に乗って約1時間。離島ですが、想像より近いことも魅力です。
「でも島の魅力は、なんといっても人。みんなおせっかいなんです。島外から来た人をおもてなししたい、一緒になにかやりたいという気持ちが大きいんですよ」
今後は、日本全国への展開はもちろん、海外への輸出も積極的に取り組んでいくそうです。「横山五十」は引きつづき澄川酒造場での造りを継続。「よこやま」シリーズは2019年4月に「よこやまGOLD」をリリースする予定とのこと。
最先端の技術の粋を集めた横山蔵で誕生する、壱岐の自然が詰まった日本酒に今後も目が離せません。
(取材・文/橋村望)