市販酒のナンバーワンを決める「SAKE COMPETITION」において、2017年に純米酒部門、2018年に純米吟醸酒部門、2019年に純米大吟醸酒部門で1位を獲得し、初の三冠を達成した「作」を醸す三重県・清水清三郎商店。
全国新酒鑑評会では過去10年で金賞を7回獲得し、2019年の全米日本酒歓評会では4部門のうち2部門でグランプリに輝いた実力蔵です。20年前から「作」を牽引してきた、杜氏・内山智広さんの酒造りに迫り、その軌跡をたどります。
偶然の出会いから、杜氏に抜擢
高校を卒業後、専門学校でバイオテクノロジーを学び、三重県四日市市の酒蔵に就職した内山さん。その当時を、次のように振り返ります。
「蔵元の息子さんが修行から戻ってきたばかりで、醸造理論に詳しかったんです。一方で、ベテランの蔵人からは実際の酒造りを細かく学びました。理論と実践、両方を体得することができ、自分の酒造りの基礎ができあがりました」
その後、4年間の勤務を経て、蔵を退職。次の勤め先を探していたところ、偶然にも地元の清水清三郎商店が蔵人を探していました。清水慎一郎社長から「1年でもいいから来てみないか」と誘われた内山さんは、入社を決意します。
「あの時誘われていなければ、今の私はありませんでした。不思議な縁でしたね」と、内山さん。
長年、清水清三郎商店は、新潟杜氏や能登杜氏を冬の間だけ雇用していましたが、「これからは社員杜氏の時代」と通年雇用に切り替えることに。
そこで、別の蔵にいた蔵人を杜氏として招き入れたところ、1年後に杜氏が退職してしまいます。後任探しに迫られた清水社長は、「若いけれどもセンスがある。潜在能力に期待しよう」と、内山さんを杜氏に抜擢しました。
「以前から、もっと自分がやりたいように造ってみたいと思っていました。なので、杜氏に選ばれた時は、責任の重さよりも喜びの方が大きかったですね。ここで杜氏としての実績を積めば、どこの蔵でも通用するとも感じていました」
杜氏としての熱意を持った、内山さんの飽く無き探求がスタートしました。
蔵の進退を懸けた「作」の誕生
もともと、灘の大手蔵への桶売りが主力だった清水清三郎商店ですが、オイルショック後はその量も減少。内山さんが杜氏に就いた時には、生き残るために自社ブランドを育てる必要がありました。
清水社長からの「まだ若造なんだから、『なんでも教えてください』と頭を下げて、酒造りのノウハウをどんどん溜め込んでこい」というアドバイスをもとに、多くの酒蔵を訪問した内山さん。その熱心な姿勢を見て、多くのベテラン杜氏が酒造りを教えてくれたといいます。
そして、1999年に「作」が誕生。造りの方針は、「全国新酒鑑評会に出品する大吟醸酒と同じ造りをする」というものでした。
「すべての製造工程を大吟醸酒と同じにすれば、作業が統一できて品質は安定するという当時の考えから、造りの方針を決めたんです。そのうえで、突き破精の麹と低温長期醪によって、いい酒を造る体制を整えていきました」
その評価は当初から高かったそう。取引先の酒販店に「『作』は美味しい。レベルの高い酒に仕上がっている」と言われていましたが、内山さんは「来季はもっと欠点の少ない酒にしよう」と、努力を重ねてきました。
「欠点がない綺麗な味わいこそ、うちの目指す個性。『作』は当たりはずれがあるという評価が一番の屈辱です。いつ飲んでも、安心して飲める味を追求しています」と、内山さんは話します。
内山さんは、酒造りを極めるには、できるだけ多くの人からアドバイスをもらうことが必要だと考えているそう。ほかの蔵の杜氏だけでなく、県外の技術センターの酒造指導者や、国税局の鑑定官などにも話を伺うことが多いのだとか。
「造りに問題が発生した時、どう対応するのか。それは、自分の中にどれだけ多くの引き出しを持っているかで決まると思います」と話す内山さん。7年前には能登杜氏組合に入り、さらに交流を深めています。
そうした努力の結果、「作」の評判は年々上昇していきました。
2000年に全国新酒鑑評会で初めて金賞を受賞すると、2006年からは5年連続して金賞を受賞。最初は自信がない状況での金賞でしたが、だんだんと出品する段階から手応えを感じるようになったそうです。
そして、2012年に始まったSAKE COMPETITIONでは、3銘柄が10位以内に入賞。それから入賞を続け、「作」は全国的に知られる銘柄となりました。
その華々しい受賞歴について、内山さんは次のように話します。
「『評価基準に合わせて、品評会ごとに酒質を変えているのか』とよく聞かれるのですが、すべて同じお酒を出しています。安定的に高く評価されているのは、欠点のないスタンダードな酒質なので、審査員の方が減点しにくいからではないでしょうか」
酒造りに、終わりはない
酒造りは「一に麹、二に酛(酒母)、三に造り(醪管理)」と言われるように、多くの杜氏は「麹造りが一番大事」と考えています。
ところが、「一番重要なのは醪管理です。麹造りと酒母造りは作業を標準化してしまえば、できあがりはそれほど大きく変わりません。それに比べて、醪は1本ずつ状況が異なるので、特に対応が難しい。
醪管理でできることは、追い水と温度管理、搾るタイミングの3つ。これを臨機応変に操り、搾ったお酒を最高のものにするには、データをにらみながらの判断がすべてです。1年間に200本以上造る醪の大半を、今でも私が決定権を持って造っています」と、きっぱり言い切る内山さん。
25歳で杜氏になった内山さんは、現在47歳。仕込み1本分を任せる「責任仕込み」などを通して、後継者の育成にも力を入れています。
「これからは、お酒を造った蔵人の名前をラベルに入れて、モチベーションが上がるようにしたいと考えています。将来、杜氏を継いでもらう蔵人には、休日でも夜中でも、気になることがあったら蔵に足を運ぶような情熱を持ってほしいですね」
「作」の酒質について「もう完璧なのではないか」と伺うと、内山さんからは「とんでもない」とのお答え。
「よりよい酒を目指すことに終わりはありません。20代の若い杜氏でも、素晴らしい酒を造る人がどんどん登場しています。酒造りをどんなに頑張ったとしても、ほかの蔵が『とても真似できない』という酒にはならないのです。手を抜いたら簡単に置いていかれてしまう。100メートル走のタイムで、100分の1秒を競っている感覚です」
いつ、どれを飲んでも美味しい「作」。これからも変わらない酒であり続けることでしょう。
(取材・文/空太郎)